悪法だらけのこの世界で

嘉ノ海 祈

第1話 悪法も法である

『何人も、法を犯してはならない。法を犯した者は、相応の罰を受けなければならない』(ディアブル王国ディアブル法典1条)


ザクッザクッ


 白く覆われた大地に足跡をつけながら、俺は背中に大きな籠を背負って町に向かう。籠に入っているのは昨日一日がかりで家畜である羊から刈りとった毛。冬場、連日のように雪が降り積もるこの地域では羊毛は重宝され、高値で売れる。だから、俺たち羊飼いはこの時期になると町までやってきて、採れた羊毛を買い取ってもらい換金してもらうのだ。


 町についた俺は馴染の店に向かい、いつものように羊毛を売りたいと声をかける。店主は既に俺の顔を覚えていて、待っていたよと声を弾ませながら俺が差し出した羊毛を手に取って確認し始めた。


「うんうん、やっぱり君のところの羊毛は質がいいね。これなら良質な毛糸が作れそうだ。そうだな…これくらいの金額でどうかな?」


 そう言って店主はお金を詰めた袋を俺に差し出した。俺は袋の中からお金を取り出して、金額を確かめる。そして、首を横に振りながら袋を返した。


「向こうの店ではこれの倍の値段で羊毛を買い取ってくれるらしい。聞いたところ、あんたのところでは向こうより高い値段で毛糸を売りさばいているらしいな。俺は高値で買い取ってくれるところにしか売るつもりはない」

「ま、待ってくれ!なら、これでどうだ!?」


 俺が羊毛を取り返し、他の店に行こうとすると店主は慌てた様子で俺を引き留めた。そして、銀貨をもう3枚追加すると俺に見せびらかした。


「よし、取引成立だ」


 俺は羊毛を店主に渡すと、代わりに金の入った袋を受取った。店主はホッとした表情を浮かべながらも、参ったねと降参の意を示す。次も向こうより高値で買うからまた来てくれよと俺に言って、店主は俺を送り出した。


 店を後にした俺は、懐に入った金の重みを感じながら、今日は何を買っていこうかと思案した。自給自足の暮らしをしている俺らにとって、町に売られているものはすべてが新鮮だ。お土産として買っていけば、家族は絶対に喜ぶ。全額を使うわけにはいかないが、交渉して上乗せさせた分くらいは使っても問題ないだろう。俺は家族へのお土産を町で探すことにした。


 立ち並ぶ店に目を配せながら、俺は目欲しい物を探していく。そして、一つのアクセサリーが目に入り俺は足を止めた。翡翠のクローバーが埋め込まれた金属製のブレスレット。それを見て、俺が幼い頃、母さんにクローバーを編んでブレスレットをプレゼントすると嬉しそうに身に着けてくれていたことを思い出す。女手一つで、俺と幼い妹を育ててくれている母さん。俺達には手の込んだ服を作ってくれて、着飾らせてくれているのに、自分は別に簡素なものでいいと適当に毛皮を縫い合わせた服を着ている。母さんだって女性だし、まだ若い。きっとブレスレットを嬉しそうに着けてくれたのだから、お洒落に興味がないわけではないだろう。単に自分より俺たち子供に優先的に時間を割いてくれているだけだ。


 幸せを運んでくれるという四葉のクローバー。少しでも母さんに幸せが訪れると良い。そう思った俺は目の前のブレスレットを購入することにした。


 店主と軽いやり取りをしながら、店を後にしたところで誰かが悲鳴を上げた。声のする方へ振り返ればそこには雪玉を投げて遊んでいる二人の子どもがいた。そして、運悪くそのうちの一人が投げた雪玉が通りかかった人間に当たったようだ。


「くぉいつ!―誰か!警備兵に連絡しろ!」


 雪を当てられた男は元凶となる子どもに掴みかかり、警備兵を呼べと騒ぎ立てる。掴みかかられた子どもは訳が分からないのかびゃーっと泣き出す。きっとその子の兄なのであろう子どもは、自分が悪いのだと大声で男に主張を続けていた。


 外の騒ぎを聞きつけたのか、近くの店からその子どもの母さん親らしき女性が出てきた。自分の子どもがしたことを理解したのか青ざめた顔で男の元へ駆け寄ると、必死に謝罪を繰り返す。しかし、男の怒りが収まることはなかった。


 たかが雪弾を子どもに当てられたくらいで…と普通は思うだろう。俺もそう思う。だが、この国では人に雪玉を投げることは大事なのだ。なぜなら、法律でそう定められているから。


『何人も雪玉を人に投げつけてはならない。投げつけた者は5年間、犯罪奴隷へと降格する』(ディアブル法典47条)


 警備兵は直ぐにやって来た。兵たちは雪玉を投げた子ども乱暴に抑えると、そのまま引きずりならが連れ去っていく。周囲はそれを何もせずに見守っていた。慈悲を呼びかける母さん親の叫びと取り残された子どもの泣き声だけが、辺りに響く。せっかくの良いものを買えたという高揚感はそれによって打ち消されてしまった。胸糞が悪い。


 あの連れ去られた子どもがもう少し大きく、善悪の分別がつく年頃であればまだ気分は違ったかもしれない。でも、実際に連れていかれたのは言葉もまともにしゃべれないくらいの幼い少年。同じくらいの妹を持つ俺には、他人事に思えない光景だった。


 きっと連れ去られた子どもの兄であろう少年は、一生、自分を責め続けることになるだろう。浅はかな行動で弟を犯罪者にし、母さん親から息子を奪った自分を。きっとあの母さん親も複雑な感情でこれからあの息子に接していかなければならなくなるに違いない。


 10年間の犯罪奴隷への降格。それは実質的に死を意味する。この国の犯罪奴隷に対する扱いは最悪だ。四肢が取れようが、命がつきようが、罪を償わせるためならば気に留めることはない。仮に運よく生き延びて釈放されたとしても、社会的に受け入れてもらえるかは別だ。犯罪奴隷であった過去が経歴から消え去ることはない。一度犯罪奴隷になれば、一生犯罪奴隷であった過去は付きまとう。犯罪奴隷が嫌悪されるこの世の中で生きていくのは至難の業だろう。


 もし自分の家族が、あの家族と同じ立場になったら…そう思うと俺はぞっとした。誰にだって起こりうる可能性があることなのだ。


 だってここは貴族によって作られた理不尽な悪法が根強く残る国。悪法だらけの世界なのだから。

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