初デート編・1

 ぽてぽてとヘルヴィルは庭を歩いていた。

 ほんわかした日差しが癖のある赤毛をほかほかと温めている。

 気温も暑すぎず寒すぎずに気持ちがいい。

 散歩日和のなか広大な庭の一角をのんびり散策中だ。


「よく晴れてますね」

「はれー」


 後ろを歩くエイプリルの言葉に、返事を返す。

 エイプリルが大号泣した日から、彼女は今まではなんだったのかというくらいヘルヴィルの傍についている。

 それにエイプリルが席を外すときは、他のメイドが一時的に傍につくようになった。

 実質一人の時間は就寝時のみである。

 一人の時間がメインだった以前との落差が激しい。

 幸い施設で育った記憶があるので、人が傍にいてもヘルヴィルには苦ではない。

 結構人の多い施設だったから相部屋どころか数人で大部屋を使っていたし、食事などの共有スペースもつねに人がいた。

 むしろ小さい子がいないぶん、泣き叫ぶ癇癪の声がないので快適だった。

そんなわけで部屋に誰がいてもまったく気にならない。

 それと父の傍にいつもいる執事のクリーズにも謝られた。

 指示が行きわたっていなかった。

 こちらの不手際だと頭を下げられたので気にしないと答えたら、何ともいえない表情を浮かべていた。

 解せぬ。

 そして今度からは何でもエイプリルに話すようにと何度も言われた。

 エイプリルに言えなかったら私でもかまいませんと言っていたけれど、今のところ二人にわざわざ言うことはないなと思いつつ一応頷いておいた。

 シュークリットはあれから何度かヘルヴィルに会いに来ている。

 一緒にお菓子を食べて、少ししたら帰っていく。

 カスティも一緒に来るけれどお菓子は食べないので、相変わらず友人枠に入れていいものか迷っている状態だ。

 正直二人が来るのはとても楽しみにしている。

 それ以外は基本的に部屋にいる。

 最近はヘルヴィルがせがむので、エイプリルが絵本を読み聞かせてくれる。

 この家には図書室があるらしく、本は基本的にそこに置いてあるらしい。

 ヘルヴィルの部屋の絵本以外にも、度々エイプリルが持ってきてくれる。

 近いうちに行ってみたいと野望を抱えていた。

 エイプリルの読み聞かせは、最初は慣れていないせいで恥ずかしそうに小さく震える声で読んでいたし、一緒にいると緊張してかビクビクしていた。

 けれどヘルヴィルが基本的に物事に動じない図太いタイプとわかってきて少し安心したのか、最近は慣れてきた雰囲気だ。

 ぽてぽて庭を歩きながら視界に入る光景に、ヘルヴィルはここの庭って広いなと思う。

 芝生や花壇、植え込みはもちろんあるのだけれど、とにかく先が見えない。

 そして廊下などから見える外もずっと先まで庭が続いている。

 どれだけ庭があるのか見当もつかなかった。


(というか、おうちひろすぎる)


 これだけ庭があるというのに建物も作りが全体的に広くて天井も高い。

 どれほど広大な土地を持っているのか、驚きだ。

 家というかお城というか屋敷は把握しきれていないし、把握できる気がしない。

今のところヘルヴィルは決まった所にしか行かないので、廊下の角をひとつ間違えるだけで迷子になりそうだと思っている。

食堂と浴室、そして自室。

これのみだ。

最近はほんの少し庭に出て散歩をするようになったけれど。


(かくれんぼしたら、そうなんしそう)


 体のバランスが幼子独特なせいで、歩き方がいまいちおぼつかない。

 そのせいでよく転んでいるので、今もエイプリルのハラハラした視線を感じる。

 エイプリルは心配性な性格らしく、一度転んだら大げさなくらい動揺するので気を付けたいとは思っている。


「んにーぅ」

『イタイ』


 突然なにかの鳴き声のようなものと、それとはまた違う声が聞こえてヘルヴィルは立ち止まった。


「なんかきこえた」


 キョロキョロと目線を動かすと、また「んにー」と聞こえてくる。

 どこか悲愴な感じなのが気にかかる。

 入る視界には何もない。

 あれえ?と首を傾げると近くの植え込みから小さく葉擦れの音がした。


『イタイ、イタイヨ』


 今度は鳴き声ではなく自己主張される。

 そしてまた「にえー」と鳴き声。

「何か動物がいるみたいですね」

 エイプリルが緊張の走った表情で植え込みの方を見る。

 その手はぎゅっと握りしめられていた。


「どうぶつ!」


 この世界では見たことがない。

 ついでに生前も近くで見たことはない。

 施設なのでペットなんて無理だし、友達もいなかったし。

 遠足なんかは動物園のときもあったけれど、そういう時に限って興奮して発熱するタイプだったので、一度も行けなかったのだ。

 ぜひとも近くで見たい。

 欲を言えば触りたい。

 立ち止まっていたヘルヴィルはタッと植え込みに走り寄った。


「ダダダメです!危ない!獰猛とかだったら怪我します!」


 慌ててエイプリルが追いかける。

 その動揺ぶりはちょっと可哀想なくらいだ。

 彼女のなかでは最悪の事態を想定しているのかもしれない。


「ここはびうのおうちだから、まいごかも!」


 さすがにいきなり触ったりしないからと脳内で言い放ちながら、ヘルヴィルは何のためらいもなく生い茂る植え込みに体ごと突っ込んだ。

 後ろからヘルヴィル様!と悲鳴が聞こえる。


「あああ!すみません!ヘルヴィル様を危険に晒してすみません!」


 誰になのかわからないけれど、怒涛の勢いでエイプリルが謝罪するのを背後に、ヘルヴィルは植え込みの奥を覗き込んだ。

 するとそこには。


「ねこちゃ!」

「ええ?猫?」


 真っ白な猫がうずくまっていた。

 子猫というほど小さくはないので多分成猫だろう。

 葉っぱがついて毛の乱れた状態から、なんだかくたびれて見えた。

 奥の植木に体を隠しているので全体像はあまり見えない。


『イタイ、アシ、イタイ』

「しゃべった!」

「ヘルヴィル様?」


 んにーという鳴き声とは別に聞こえた声に、ヘルヴィルは目を丸くした。

 訝し気なエイプリルが驚いていないので、この世界では猫は喋るものなのだろうかと思う。

 白い猫は首元に赤いリボンを結んでいた。

 白一色の毛並みなので、とてもよく目立つ。


「飼われている子みたいですね」


 ヘルヴィルの横にしゃがんだエイプリルが、ガサリと奥を見やすいように手で植木の葉を押さえている。


「まいご?」

「はい、多分……それにこの子」


エイプリルが何か言いかけたときだった。


「ヘルヴィル?」


 名前を呼ばれて覗き込んでいた植木の奥から振り返ると、カスティをつれたシュークリットがゆったりと近づいてきた。

 彼はいつも動作がゆったりとしている。

 とろくさいというより優雅といった雰囲気で、幼子特有の姦しさや落ち着きのなさはない。

 王子様だからだろうかと、ヘルヴィルはいつも不思議だ。


「りっとだ!」

「こんなところにいたんだね。散歩に行ったと聞いたから追いかけてきたんだ」


 ヘルヴィル達のもとまで来たシュークリットに、しゃがんだまま挨拶に手を振っておいた。

 すると赤毛をひと撫でされる。

 シュークリットの背後にいるカスティにも、しっかり手を振っておいた。


「かしゅてぃもいる」

「こんにちはヘルヴィル様」

「う!」


 挨拶もすんだところで、シュークリットが小首を傾げた。

 本日も絶好調で、動くたび色気が溢れ出そうだ。


「今日はお土産があるんだけど……何してるんだい?」


 しゃがんでいるヘルヴィルに少しかがんで目線を合わせてくれたので、植木の奥をあっちと指差して見せた。

 それにつられるように青い瞳がそちらへ動く。


「これは」

「ねこちゃ!」


 ドヤ顔で見つけたものを報告しておくと、シュークリットが苦笑した。


「猫というか、羽根ねこだな」

「はねねこ?」


 初耳な単語である。

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