第12話
自室に戻ると、安定の無人だった。
ちょうどお散歩とお茶で体力を消費したせいか、自室に戻る道すがらは眠気で頭がぐらんぐらんに揺れていたのでお昼寝することにした。
転ばなくてよかったと思う。
ごそりとベッドに潜り込むと、やたらフカフカしていて寝心地が抜群で感動した。
施設は木製の二段ベッドに布団を敷いて寝ていたので、固かったのだ。
しかもとても広いので、思わずテンション上がって左右に何度もゴロゴロ転がっていたら体力が尽きてしまい、いつのまにか爆睡してしまった。
パカリとおもむろに開いた目が天井を見上げたことと、口の端からよだれが垂れていたことで、爆睡していたことに気づいた。
「あえ?」
ぼんやり天井を見ながら、そうだった今はヘルヴィルになって友達が二人出来たんだったと思い出す。
「んむ」
ごしごしと服の袖口で口元を拭いて起き上がると。
「びゃあ!」
「ひえ!」
ベッド横に何かがうずくまっていて悲鳴を上げてしまったら、何故かその何かも悲鳴を上げた。
バクバク動く心臓を押さえながら、その何かを確かめるために広いベッドの端へとにじり寄る。
おそるおそる何かのいるベッドの下を覗き込むと。
「えいぷいる?」
「……はい」
そこにはヘルヴィル付きのメイドであるエイプリルが、今にも死にそうな顔で膝を抱えて小さくなっていた。
ヘルヴィルが名前を呼んだことで顔を上げたけれど、その大きな眼鏡の奥は泣きそうだ。
すでに涙目なので泣くのも時間の問題といえるくらいの表情だった。
「ごようじ?」
エイプリルが部屋にいるなんて珍しい。
何か用があるのだろうと尋ねたら。
くしゃりとエイプリルの顔が崩れた。
「あ、い、いいえ、その……私、ヘルヴィル様付きのメイドで……」
「う」
こくりと頷く。
それは知っている。
一歳までは乳母とやらがいたらしいけれど、さすがにヘルヴィルにも生まれてしばらくの記憶はない。
あるのは大体一歳になったあたりからの記憶だ。
確かエイプリルはヘルヴィルが二歳になってから付いたメイドだ。
最初は色んなメイドがついていたけれど、あまりにもヘルヴィルの反応がなくて何度も変わったのだ。
だから、最初はベテランの大人ばかりだったけれど、最終的に十五歳のエイプリルになった。
しかも確かエイプリルはこの屋敷に来てすぐにヘルヴィル付きになったと自己紹介された気がする。
十五歳で働いて、初めての職場で幼児の世話を任せられる。
とてもハードモードだ。
大変だなあと思いながら「しょれで?」と先を促すと、エイプリルは何度か口を開閉させて唇を震わせた。
「本当なら、ヘルヴィル様から離れちゃ駄目だったんです」
「……ええ?」
驚きである。
ヘルヴィルにとっては、いないのが当たり前で一人で過ごすのは当然のことだ。
今更感が凄いし、何より一人で何も問題なんてなかった。
「びう、ひとりでへーきらよ?」
エイプリルも忙しそうにしていたから、仕事がいっぱいあるのだろうと思う。
今まで問題がなかったし、新生ヘルヴィルは中身は一応高校生だったから幼児ではない。
何も心配はないのだというつもりでそう言ったけれど、エイプリルの顔はくしゃりと歪んでしまった。
「うぅ……うええええん!」
ついにはボロボロと涙をこぼして声を上げて泣き出した。
「ええ……」
ぐしぐしと両手の甲で涙をしきりに拭うエイプリルに、突然泣き出されてどうしようとヘルヴィルは冷や汗を流した。
生前いた施設ではドライな空気感のせいか、年下の子が泣いていても基本的に放置だった。
職員がおざなりに少し宥めたら、泣き止むまで放置だ。
それが繰り返されている施設だから、当然自分が泣いたときに慰められた記憶はない。
なので慰め方がわからない。
ヘルヴィルはどちらかといえば慰めてあげる人間ではあったけれど、そんな理由で泣いている人間の扱いは上手くない。
ましてエイプリルは十五歳。
幼児みたいに抱っことかでごまかしは出来ない。
どうしようとオロオロしていると、ぐすぐすと鼻を鳴らしながらエイプリルが顔を上げた。
目がすっかり真っ赤になっている。
「私、先輩に仕事押し付けられてただけで、サボッてたんじゃないんです。本当なんです」
「ぱわはらかな?」
「ぱわ……?」
思わずこぼした一言に、エイプリルが首を傾げる。
それにとりあえず気にするなと首を小さく振っておいた。
(あ、もしかして)
突然の懺悔室みたいな展開に、ヘルヴィルはピンと閃いた。
エイプリルはヘルヴィルから離れてはいけなかったらしい。
しかしエイプリルは仕事を先輩に押し付けられていたと言った。
「おこりゃれた?」
仕事をしていないということになるのではと確認すると、エイプリルは細い顎をこくりと頷かせた。
「わ、私、小さい子に関わるの初めてで、ヘルヴィル様は全然動かないし喋りもしないから、一人にしても大丈夫なんだって思って……でもクリーズさんから子供は目を離した隙に死ぬこともあるって言われて」
エイプリルの震える声を聞きながら、ヘルヴィルは内心首を傾げた。
(くりーずってだれ)
初めて聞く名前だけれど、とても「誰それ」と聞ける雰囲気ではない。
ヘルヴィルは空気を読んで黙っておくことにした。
あとで確認せねばと思いながら大人しく聞いていると、エイプリルはとうとう小刻みに震えだした。
顔色も真っ青になっている。
ただでさえネガティブな性格なので、もういっぱいいっぱいなのが見ていてよくわかった。
「わ、わたしがいないと、しんじゃうなんて……!」
とうとう鳴き声混じりの声は悲鳴みたいになっていた。
とても痛々しい。
「びうはらいじょうぶだよ?」
慰めを口にしたけれど、エイプリルはブンブンと首を横に振った。
そもそもエイプリルは真面目な女の子だ。
だからヘルヴィルは純粋に仕事が立て込んでいるのだと気にしていなかったのだけれど、エイプリル自身は自分のことを許せないというように涙をこぼれさせ続けている。
「ごめんなさい……!私グズで仕事できないから、やることの少ないヘルヴィル様につけられたって、だから他の人の仕事も手伝わなきゃいけないって言われたの真に受けて……ヘルヴィル様以外を優先なんてしちゃいけなかったのに」
ぐすぐすと鼻をならすエイプリルは、もしかしたら他の使用人と仲良くできていないのかもしれないと思う。
別に仕事仲間だから友達になる必要はないとヘルヴィルは思うけれど。
生前のバイト仲間の女子高生もものすごく話しかけてくる子だったし好感を持ってて一緒にいたら楽しかったけれど、友達ではなかった。
バイト先のコンビニ以外で会ったこともないし。
でもエイプリルは住み込みだし、いじめられているのかまではわからないけれど、仲良くは多分出来ていないのだろう。
(ちゃんとしごとないよう、おしえてもらってないし)
ヘルヴィルから離れてはいけないことを知らなかったなんて、報連相が駄目すぎる。
泣くエイプリルの鼻から鼻水が垂れるのを見ながら、そもそもエイプリルって学校とかはと疑問に思う。
義務教育ってあるのだろうか。
兄のリスタースは八歳だから、小学生だけれど学校に行っているのかわからない。
というか、食事の時以外に家族を見ないから普段どんな生活をしているのか知らないのだが。
それにしても生前のヘルヴィルより若いのに働いているなんて、大変だしえらいよなとヘルヴィルはエイプリルの頭を小さな手でポンポンと撫でた。
(したっぱは、しごとおしつけられりゅもんね)
よくある、よくあると内心頷きまくる。
ちなみに女子高生は何を押し付けられそうになっても、自分が仕事をしていたら。
『自分でお願いしまーす』
とバッサリ切り捨て、時間外労働を求められても。
『時給発生しないんなら無理ですねー』
と颯爽と帰っていた。
見習いたいし、エイプリルにお手本として見せてあげたい。
「よしよし」
うえっ、ひっく、と喉を鳴らすエイプリルの頭を撫で続ける。
髪がくしゃっとなってきたし、腕が疲れてきたのには早すぎないかと驚いた。
「ごめんなさい、グズで役立たずで、私……私……!」
「だいじょぶ、えいぷいる」
よしよしとしながら大丈夫ともう一度繰り返すと、すびりと鼻をすすりながらエイプリルが伏せていた目線を上げた。
眼鏡をかけているのに、その下に手をいれて涙を拭っていたから目の周りまで真っ赤に腫れている。
不安げなそのガラス越しの瞳を緑色の眼差しがまっすぐ見つめて、力強く頷いた。
「そゆこともありゅ」
ハッキリ言い切ると、しばらく沈黙が漂った。
「え……」
エイプリルの固まった姿から、とまどうような声が漏れる。
「そゆこともありゅ」
「ええ……」
再びこくりと頷いて繰り返すと、エイプリルはパチパチと目を忙しなくまばたきしまくった。
「そんなこと……」
「びう、おこってないよ」
腕が疲れたので、最後にもう一度だけよしよしと頭を撫でた。
「しっぱいは、だれにでもありゅ」
ヘルヴィルだって生前コンビニで働いていたのだ。
仕事に失敗はつきものだったし、ましてエイプリルは仕事を教えてもらえていなかった。
それに失敗しても結構何とかなるものだ。
コンビニ店員として数々の失敗をしたけれど、案外シフトは減らなかった。
そもそもヘルヴィル自身は自我が芽生えたのが今日の朝なのだから、次頑張ったらいいというスタンスだ。
以前のヘルヴィルが傷ついたり悲しんだりしていれば心象は違っただろうけれど、そんなものはないので気にならないという選択肢しかない。
「だいじょぶ、なるよーになる!」
エイプリルは十五歳でフォクライースト家で働き始めたばかり。
カラのついたヒヨコ同然なので、伸びしろしかないのだ。
「なるように……」
「う!」
呆然と呟いたエイプリルの頭から手をおろす。
「えいぷいる、がんばりょ」
ヘルヴィルも覚醒したばかりだし二歳なので、伸びしろしかない。
エイプリルとおそろいだ。
主従そろって伸びしろがあるなら、一緒に成長できる。
そんな気持ちでにへらと笑うと、エイプリルはぐっと唇を引き結んでから眼鏡を取って、乱暴に袖口で目元をゴシゴシとこすった。
眼鏡をかけなおした顔には、何か決意をしたような真剣な表情を浮かべている。
「ヘルヴィル様の傍にいて、役に立てるよう頑張ります!」
エイプリルにしてはハッキリとした大きな声で言い切った。
ヘルヴィルは何だか急にやる気に溢れたなと思ったけれど、それはそれでいいことだと頷いておいた。
(ありぇ?そばに、というと)
エイプリルの言葉を反芻してうむむと考え、ヘルヴィルはそっとエイプリルの顔を見上げた。
その顔にはどこか期待を含んでいる。
「……これかや、びうといっしょ?」
「はい!私はヘルヴィル様のメイドですから、これからはずっと傍にいます」
問いかけに大きく笑顔で頷かれたので、ヘルヴィルはパアッと顔を輝かせた。
以前のヘルヴィルのように周りに誰もいない生活をこれから送るのかと思っていたからだ。
まあ生前、人とのコミュニケーションに飢えていたので自分から気になる人には突撃する気満々だったけれど、いつも傍にいる人がいるようになるのはとても嬉しかった。
「しょっか!えいぷいる、なかよししよう」
にぱっと笑うと、じわじわとエイプリルの表情に笑みが広がっていった。
「はい、ヘルヴィル様」
そこでハッとヘルヴィルは我にかえった。
素朴な疑問がわいたからだ。
(えいぷいるは、ともだちわくなのか、かぞくわくなのか、どっち?)
一緒の家にいるし、ずっと傍にいるなら家族枠だろうか。
けれどそこで、そういえばエイプリルは仕事だったと気づく。
仕事で傍にいるなら家族枠にも友人枠にも勝手にいれたら迷惑だろう。
でもお喋りする相手が出来たと思えば嬉しい。
女子高生には機関銃のようによく喋られていたけれど、相槌もほとんど挟めなかった。
コンビニでの来客との会話が一番生活のなかで話していた気がする。
なので、幸運にも今日は友達が一人と暫定友達が一人出来て、さらに話し相手が出来たことはとても嬉しかった。
今生は盛り上がる会話を楽しみたいなと思う。
ちなみにクリーズとは父の傍にいた執事のことだったらしい。
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