第9話

テーブルに近づき椅子によじ登ろうとすると、たれ目少年が抱えて座らせてくれた。

優しい。

「ありあとー」

 んしょとしっかり腰を落ち着ける。

 隣の椅子にシュークリットも腰を下ろした。

 たれ目少年はシュークリットのすぐ傍に立っている。

 座らないらしい。

メイド達も座らずに控えているから、たれ目少年もそちらの枠なのかもしれない。

 たれ目少年が二人が座ったのを確認してティーポットを手に取った。

 紅茶の注がれたティーカップをシュークリットの前に静かに置く。

 ちなみにヘルヴィルの前にはメイドによってジュースらしきものの注がれたグラスが置かれた。

 シュークリットも子供だからジュースの方が喜ぶのではと思ったけれど、当の本人は当然のように紅茶を口に運んだ。

 じーっと見ていると、シュークリットが目元を緩めてカップをテーブルに戻す。

「さて、何を話そうか」

 小さく首を傾げるしぐさがなぜか艶っぽい。

 ヘルヴィルはシュークリットとたれ目少年を交互に見てから、疑問を口にした。

「りっとは、えらいひと?」

「だとしたらどうする?」

 疑問を投げると疑問が返ってきた。

 しかし否定はされなかったので、偉い人間らしい。

(それなら、おもてなしせねば!)

 なんてったって念願の友達第一号だ。

 ヘルヴィルはむふんと気合を入れると、小さな両手でケーキの並べられている皿の隣にあるトングを掴んだ。

「ヘルヴィル様!」

 慌ててメイドの一人が声を上げて手を出そうとしたけれど、かまわずヘルヴィルはそのトングで皿の上にある小さな苺と生クリームのプチケーキを挟んだ。

 小さな両手で不器用に操っているので、トングはプルプル震えているし、そのせいでケーキがじわじわとつぶれて形も崩れていっている。

 いつテーブルに落下してもおかしくない状態だった。

「お、おい?大丈夫か?メイドにまかせよう、な?」

 なんだかシュークリットがなだめるように声をかけるけれど、ヘルヴィルは「んーん!」と拒否して首を振った。

 そしてその場のヘルヴィル以外がハラハラするなか、一応無事に苺のケーキは皿に着地した。

 置いた途端に倒れて、苺が皿の上に転がったが。

 ほっと皆が息をつくなか、ヘルヴィルはトングをテーブルに置いて、ケーキの乗った皿をずいとシュークリットの方へ押し出した。

「あい!どおじょ!」

 目の前に押し出された皿に、シュークリットはきょとんと目をまばたいた。

 たれ目少年も凝視しているし、メイド達もぽかんとしている。

「これは……」

 シュークリットがマジマジと崩れて倒れた無残としか言えないケーキを見下ろすと、ヘルヴィルは自信満々にドヤ顔を浮かべた。

「おもてなし!」

 ヘルヴィルは知っているのだ。

 生前いた世界では手土産を渡す文化があったし、学校ではクラスメイト達が友達同士でお菓子をわけあっていた。

 食べ物をあげると仲良くなれるのだ。

 兄のリスタースだって朝食の時にチョコレートをくれたのは嬉しかった。

 美味しいものは幸せになる。

 甘いものはとっても美味しいから、幸せレベルも高くなるというものだ。

 にこにことシュークリットを見上げると、何故か口元に手を当てていた。

 おや?と思ったら、肩を震わせ始めて。

「ふ、ふふ……そうか、おもてなししてくれるのか!はは!あっはは!」

 なんか急に笑い出した。

 その様子にメイド達は目を丸くしているし、たれ目少年は口元をひくつかせている。

 あれは笑うのをこらえているのかもしれない。

 そんな笑う要素あった?と不思議に思っていると、シュークリットがひいひいと笑いながら目じりを指先で拭った。

 涙がにじむくらい笑ったらしい。

「ふ、くくく、ありがとう。じゃあ私もお返ししよう。チョコが好きなんだよね?」

 はあーと息をひとつ吐いて落ち着くと、いいものがあるとシュークリットが中央の皿に無造作に指を伸ばした。

 少年らしい細い指がつまんだのはチョコチップの練りこまれたクッキーだった。

 殿下、とメイドの若干焦ったような声がしたけれど、気にすることなくシュークリットはそのクッキーをヘルヴィルの口元に差し出した。

 差し出されたクッキーを見てシュークリットを見上げると、ゆるやかに眼差しが細められる。

 笑みを浮かべた表情に食べてもいいのだと認識し、ヘルヴィルは躊躇なく大きく口を開けてクッキーにかぶりついた。

 幼児の口は小さすぎて、大口を開けても半分しか入らなかったしパンパンになった。

 ヘルヴィルは残ったクッキーより口の中の美味しさに感動していたので、そのあいだにシュークリットが食べ残したクッキーを自分の口に放り込んでしまう。

 王族が他人の食べかけを口にするなんてと、メイド達は目をかっぴらいていた。

「んんー!」

 バターたっぷりの風味と甘いチョコの味に歓喜の声をヘルヴィルは上げた。

「おいしい?」

「んん!」

 ぜひとももっと食べたいとヘルヴィルはぶんぶんと首を縦に振った。

 口のなかの水分がどんどん持っていかれるが、それを上回る美味しさだ。

 ヘルヴィルの様子に「それはよかった」とシュークリットがくっくっと喉の奥で笑う。

 機嫌がよさそうだし愛想いいんだなとヘルヴィルはクッキーをもしゃもしゃする。

「ほら、ついてる」

 指先で口元をぐいと拭われた。

「むぐ」

 どうやらクッキーに練りこんであるチョコがついていたらしい。

 指を拭くためのナプキンはあるだろうかと思っていると、シュークリットはぺろりと指先のチョコを舌先で舐めとった。

(さまになりゅのしゅごい)

 そういうのは大人がするものでは?

 いやお母さん枠?

 などと思うけれど、とてもお母さん枠とは思えない色めかしさがあった。

 赤い舌先がチョコを拭った瞬間、若いメイドが顔を赤くしていた。

「シュークリット殿下、いかがわしいですよ」

 こほりとたれ目少年が空咳をひとつした。

 シュークリットは軽く肩をすくめている。

「いかがわ?」

「こら、変な言葉覚えちゃうだろ」

 聞きなれない単語にようやくクッキーを全部呑み込んでヘルヴィルは首を傾げた。

 口内の水分がなくなったので何か飲みたいとジュースの入ったグラスに手を伸ばすと、シュークリットがさっとグラスを手に取ってヘルヴィルの両手にしっかりと持たせてくれる。

 お母さんのようだ。

 世話焼きタイプなのかもしれない。

 眉を寄せたシュークリットに、しかしたれ目少年はどこ吹く風だった。

「シュークリット殿下は無駄に色気垂れ流してるの自覚してるんだから、もっと気を付けて下さい。幼児の情操教育に悪いですから」

「お前が情操教育なんて言うな」

 たれ目少年の苦言のようなものに、シュークリットが眉を少し寄せる。

 けれど表情に苦々しいものはなく、ただの軽口の応酬のようで慣れている雰囲気だった。

 二人の年は離れているけれど、なんだかとても親友とかそういった単語を感じさせる気安い空気感だ。

 おお……とヘルヴィルはその友情のやりとりをじーっと見つめてしまう。

 生前こんな友人関係を持ってみたかった。

「なかよしだ」

「「仲良し……」」

 思わず口からこぼれた言葉に、たれ目少年とシュークリットはぽかんとした顔で声をそろえた。

 仲良しだ。

 そしてお互いを何とも言えない表情で視線を交差させると、シュークリットがわざとらしく咳払いをひとつした。

「彼はカスティ・テスラッド。私の従者兼護衛だよ」

「よろしくお願いしますね」

 にっこりと微笑むカスティの腰に下げている剣は飾りではなかったらしい。

 大人じゃないのに。

「かしゅてぃは、つよいひと?」

 名前を思い切り噛んだらカスティもシュークリットも唇を震わせた。

 笑うのをこらえたのだけれど、ヘルヴィルは幸い気づかなかった。

「まだ十二歳だけれど、剣も騎士と張り合えるし、何より魔法が規格外の実力だからね」

「まほー?」

 騎士なんているんだと思った矢先に魔法と言われて、ヘルヴィルの興味は一気にそちらに傾いた。

 魔法なんて生前の世界ではなかったし、女子高生のオタクトークに出てきた知識がふわっとあるだけだ。

 悲しいことにアニメや漫画はおろか、映画やテレビなども縁遠かったのでフィクション作品に関する知識はとても乏しいのだ。

 なんか不思議なことができる。

 そんなざっくばらんな知識しかない。

「魔法は知らない?」

「う!」

 シュークリットに問いかけられて、こくりと頷く。

 見る機会なかったのかなとシュークリットが首を傾げているので、とても身近で当たり前のもののようだ。

 カスティの「まあ、まだ二歳ですしね」という言葉にシュークリットはそれもそうかと頷いた。

「魔法っていうのは、魔力という自分にある力を動かすことだよ」

 こんなふうに、とシュークリットが指先をひょいと動かす。

 中央にある皿から、先ほど食べさせてもらったものと同じクッキーが一枚ふわりと浮いてヘルヴィルの手元までやってきた。

 思わず手を差し出してみると、小さなぷくぷくのてのひらにクッキーが一枚静かに着地した。

「しゅご、しゅごい!」

「魔力は誰にでもあるものだから、すぐヘルヴィルも使えるようになるよ」

 ほわあ!と頬を興奮で真っ赤にさせてシュークリットを見上げると、なんてことないように言われた。

 つまりヘルヴィルにも今のようなことが出来るようになるということだ。

(たのしそう!)

 それはぜひとも使えるようになりたい。

 手の中のクッキーをじーっと穴があくほど見つめると。

「なりゅほど」

 こくりと頷き、もしゃりと口にした。

 なんだかとても特別な気分になって、うきうきである。

 カスティが中身の少なくなっていたグラスにジュースを注いでくれた。

 とても気が利く。

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