人々(上)
その後俺が真っ先に連絡をとったのは、神学校での友人・ポーチエレンだった。
帰ってきたエミリアは決して口を割らなかったが、二人は親交があったらしい。成長し教会で働き、街の悩める子羊たちを導くポーチエレンなら、もしかすると姉を殺すことなく、幸せになる方法を教えてくれるかもしれない。愚かしいが、そう考えたのだ。
教会のステンドグラスを通して、色あざやかな光が床に照っている。陽光に彫り出された図画を見て、眩しさに目を細めた。
荘厳な雰囲気とは裏腹に、講堂は空っぽだった。奥で一人、鮮やかな金髪の修道女が説教台を布で掃除している。やがて彼女はこちらに気づき、ぱあっと顔を輝かせながら駆け寄ってきた。
「久しぶりだね」
「……ポーチエレン」
濃い花の香りに包まれ、女性が笑いかけた。
さらさらの短髪は金に輝き、整った唇が花のようにほころぶ。小柄な体型が顔立ちのあどけなさを強調していた。
「ここに来るのは久しぶりだね、ジョージ。暇なのかな? ふふっ。手伝いしてくれたっていーんだよ?」
血色豊かな、しかし薄い唇が円に歪められる。俺は額に手をあて、やれやれと首を振って見せた。
「説教台磨きなら学校時代に十分やった。もうごめんだね」
わざとぶっきらぼうに言うと、ポーチエレンはいたずらっぽく、くすくす笑った。まったく、成人してもこのあたりは全く変わらない。
「で、何の用事? 私の顔を見に来るだけなら、日曜昼の説教で充分じゃない?」
数秒、形容し難い気まずい空気が流れる。 俺はおずおずと絞り出した。
「姉の、……エミリアのことで、相談に」
彼女は表情をこわばらせ、短く相槌を打った。
「血の匂いがするよ。まだ、やってるの」
黒衣に包まれた豊かな胸がたゆたう。その表情には依然として影がさしていた。
神学校を出てからもポーチエレンと連絡を取っているのには、理由がある。エミリアの事情を知った彼女は、俺達の「仕事」の手伝いをしてくれるようになったのだ。
顔を潰した死体を、身元不明の死人として処理し、行き倒れ人のための墓に収めてくれる。死体が出なければ、軍警も俺たちを追うことが出来ない。ポーチエレンは俺たち殺し屋姉弟の共犯者だった。
俺とポーチエレンは椅子に腰掛けた。ポーチエレンは腰周りの布を整え、俺に向き直った。俺は、ポーチエレンの細い肩を軽く抱き寄せる。
「ごめん」
「謝るくらいならやめてよ。お姉さんもジョージも、神様に背いた行為を重ねて、愚かしいと思わないの」
「本当のところは?」
「……お見通しなんだね……。そう、ただの私情よ。神様なんて関係ない、二人がこうして人殺しをしてること、私が悲しい」
不自然に引きつった声で、ポーチエレンが応えた。彼女身体を寄せて、俺の服にすがり付いてくる。ポーチエレンの柔らかな髪から、ふわりと匂いが広がった。きつく焚き付けられた香の中から、体に染み付いた懐かしい匂い、『ある匂い』を感じ取った。
それを感じた俺は俺の喉の奥に、どす黒い思いが広がってきた。ならば、殺してやるしかない。ポーチエレンを恫喝する。
「俺は一体どうすればいいんだ」
「償いの方法が一つだけあるよ」
ポーチエレンがはね起きた。
「叛逆者を殺すの」
彼女の言葉に、身がこわばった。寂寞がじわじわと心を蝕んでいく。
「あなたのお姉さんは神に逆らいすぎた。世界の終末では、悪魔は神に敗れ、神に逆らった人間はみな死ぬの。お姉さんにとっての終末が、今だということよ」
「俺が、姉さんを殺すのか」
視線で彼女の目を抉った。ポーチエレンは快活に笑う。一言で形容するなら聖画の天使。一点の曇りもない、華やかな笑みだ。
天使が語りかける。
「ジョージも、お姉さんと共に罪を重ねてきた。それはもう消せない。だから、お姉さんを葬ったらここに来て欲しいの」
乾いた笑いを漏らすと、ポーチエレンは目に涙を浮かべた。
「ごめんなさい。けれど私は、もうあなたを庇いきれない。お姉さんやあなたがお金と引換に殺した人を、身元不明って誤魔化して葬るでしょ。神父様は私を疑ってる。嘘はもう限界なの……私の心も」
涙が零れる。俺は頷いた。
そう、純情で素直なのは彼女だった。今までさんざん世話になったのだから、俺は、彼女の無垢な心を癒してやらねばと心に決めた。もし邪魔が入れば、そいつを殺してやる。俺達の幸せな未来は、誰にも壊させない。
「俺は俺の敵を殺す」
俺は秘めた決意を伴い、ポーチエレンを見据えて吐き捨てた。くりくりとした瞳が、ぱちくり丸くなる。彼女はしかし、笑った。
「成功したら――この教会で会おうね」
その笑みに導かれるまま、俺はエミリアを墓地へ呼び出すことにした。
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