藁人形に五寸釘①
「やあ、待ちくたびれたよ」
佐倉薫は開口一番そう言ってきた。大きな黒い瞳がにやにやと笑っているように見える。いや、実際に口元はにやにやと笑っている。
「なんで……」
悠季はそんな雇い主のよりも部屋の惨状に絶句していた。三日前に掃除をして、最低限、人を呼べるような状況にしていたというのにもはや見る影もなくなっていた。テーブルの上にまき散らされた書類の束、床に捨てられているペットボトルやお菓子の空き箱、雇い主の前にあるデスクに至っては、商売道具でもあるノートPCが様々なもので埋もれてしまっている。おまけにソファーの上に折り重なった分厚い本はさながらピサの斜塔のように傾いており、今にも崩れ落ちそうになっていた。
「早速だけどコーヒーを淹れてくれるかな、当然砂糖とミルクはマシマシで」
薫はそんな惨状に気にした素振りもなく、優雅にアンティーク調の椅子にゆったりと腰かけながら本をぺらぺらとめくっていく。無駄に様になっているから余計に怒りが沸々と湧き上がってくる。
「どうやってたった三日間でこんな状況を作れるんですか!」
悠季の怒鳴り声の振動が最後の一押しとなり、ソファーの上の本がばたばたと崩れ落ち、埃が部屋中に舞い散る。
「ふむ、バベルの塔のように見事に崩れ去ったね」
「そんなこと言っている場合じゃないですよね! 依頼人の人が六時には来るんですよ!」
「せっかちだな君は、まだ五時じゃないか。依頼人がくるまでまだ一時間もある」
「一時間しかの間違いですから!」
「見解の相違だな」
「そんなこと言ってないで早く片付けてください、いいんですよ深見さんに言っても」
悠季は薫を注意しつつ、テーブルの書類をそろえていく。
「相変わらず君は口うるさいな。まるで小姑だ」
文句を言いつつも、薫はのろのろと動き出す。深見さんのおかげなのは間違いない。
「そうでもしないと動かないから言ってるんですよ」
「私が雇用主なのに」
「深見さんも雇用主なので」
「相変わらずの減らず口だな」
「薫さんほどではないですよ」
お互いに言い合いながらも悠季はせっせと片付け続け、依頼人がくる10分前にはなんとか最低限の体裁を保てるようにした。
「まったく、依頼人の話を聞く前に疲れてしまったよ」
薫は椅子にだらりと腰かけた。
「僕の方がその数倍は疲れましたけどね……」
ペットボトルをまとめて入れた袋の口を縛り終えた悠季は大きくため息をついた。
大きなゴミ袋二つに及んだゴミは別の部屋に隠し、帰るときにまとめて廃棄するとして、まずは一息入れたい。来て早々動き回らされたから体力の消費が激しいのだ。
悠季は薫の椅子の後ろにある年季の入った棚の中からハンドミルとカップを取り出した。
「ようやくコーヒーにありつけるのか」
「道具も豆もあるんですから自分で入れたらいいじゃないですか」
「めんどくさいじゃないか」
「なら缶コーヒーを買うとか」
「あんなものはコーヒーじゃない」
「……そう思う気持ちはわからないでもないですけど」
悠季は慣れた手つきで部屋の奥の方に置いてある冷蔵庫からコーヒー豆の袋を手に取ると、ミルの中に入れハンドルをぐるぐると回す。ついでにポットの中に水を足し沸騰させるのも忘れない。コリコリと豆を挽く音に合わせてコーヒーの香りが部屋中に漂いはじめる。
「……いい香りだ」
「そうですね」
挽いた豆をフィルターの中にさらさらと落とし、沸騰したお湯を少しずつかける。ほのかに香る程度だったコーヒーの香りが部屋中に花開いていく。
「今日の依頼内容ってどんな感じなんですか」
指示通り砂糖とミルクをましましにして、もはやカフェオレになっているコーヒーを薫の前のデスクに置きながら悠季は尋ねる。
「知りたいかい?」
薫は両手でカップを掴みふーふーと息を吹きかけながら、まるで大好物を目の前にした子供のように屈託なく笑う。
「まぁ、あとで書記をするときに把握しておきたいので」
悠季は薫から顔を背けながらデスクのノートPCをテーブルに移動させ、電源を入れる。
「今回の依頼はなかなかに面白そうだぞ」
「そうなんですか?」
「ああ! 何せ、あの有名な“丑の刻参り“のようだからな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます