スタンドアップ・リバース!

和泉茉樹

第1話

      ◆


 トレーラーの助手席は激しく揺れていた。

 どうにもサスペンションが固すぎる。もしかしたら故障の予兆かもしれない。そう思ったジューンだが、無言を守った。もう何があっても引き返せないのだ。

 周囲は闇に包まれ、前方だけをライトが照らしていた。街灯すらない裏道だった。昼間だったら周囲には耕す者のいない田畑が、もはや荒野と化して広がっていただろう。

 いや、前方に明かりが見える。近づいていくと、三台程の車両だとわかる。赤いランプが明滅するのもわかった。警察だ。

「検問だぞ」

 運転席にいる相棒のチェンの声はやや強張ってる。

 その肩をジューンは小突いてやった。

「安心しろ。連中のやり方は熟知している」

「それなら安心だ、と言えたらいいんだがな」

 トレーラーの前に警官が立ちふさがる。手に光を放つ棒を持っているが、そんなものでトレーラーを止められるわけもないから、ここで強行突破するのも手段の一つではある。そんなことをすれば、いらぬ恨みを買うし、追跡が激しくなるだけであるから、却下である。

 チェンがゆっくりとトレーラーを減速させ、停車。警官が運転席に脇に立ち、チュンが短く深呼吸した後にドアを開いた。

「身分証を」

 簡潔な警官の言葉。チェンが懐からカードを取り出し、ジューンも自分のカードをチェンを経由して警官に渡した。

「こんな時間へどこに行く?」

 身分証を端末で読み取りながら警官が油断のない視線でチェンを、そしてジューンを見る。

 視線がぶつかる。

 ひやりとしたものを感じるが、警官はすぐに視線を手元へ戻した。タイミングよく電子音が鳴ったのだ。

「オルタミスのハッキンへ行く」チェンが固い口調で質問に答えた。「スタンドアッパーの大会があるんだ」

 そうか、と警官が頷く。ジューンとチェンのトレーラーはちょうどスタンドアッパーが一機、搭載できる大きさである。塗装が剥げかけたボロボロのトレーラーではあったが、荷物は積める。

「荷物を見せてもらってもいいか」

 何かを疑われているのか、とジューンは逡巡した。チェンがチラッとこちらを見るのに、頷き返してからジューンも車を降りた。

 警官一人が見ている前で、ジューン、チェンは荷台の後部ハッチを開けた。警官が中を覗き込んだ。スタンドアッパーが土下座をするような姿勢で固定されているのがはっきり見えただろう。

 それで警官の気配が変わる。

 こいつらを強請ってやろう、という気配だ。

 ジューンには馴染み深い空気だった。この国の警官は、みんなそういう空気を発散するのだ。

 さりげなく近づき、ジューンは警官の手を取っていった。

「もういいでしょう。何の問題もない、ただのスタンドアッパーだ。でしょう?」

 警官の表情が途端に変わっていた。皮肉げな笑み、犬を見るような顔つきになり、「そうだな」と頷いた。それから一度、手を上着のポケットに突っ込むと「もういいぞ」と離れていく。

 チェンがそれとなく息を吐き、運転席へ戻る。ジューンも助手席へ戻ろうとしたが、警官が不意に振り返った。

「もう一ついいか」

 寒気が背筋を這い上がる。

 しくじったか。

 ジューンが見ている前で、警官が手を振った。

「タバコを切らしているんだ。持っているか」

 ジューンは助手席の前のダッシュボードから、一カートンの箱を手に取ると、それを警官に放ってやった。器用に掴んだ警官が「良い旅を」と言葉を残して、今度こそ仲間のいる警察車両の方へ引き返していった。

 助手席に戻ると、チェンが即座に車を動かし、検問を抜けた。

 しばらくは二人共が無言だった。

「いくら渡したんだ」

 国境を越えたところで、やっとチェンがそうジューンに尋ねてきた。ジューンはなんでもないように答える。

「十万ダラーだ」

「十万?」

 チェンが横目でジューンを見て、嘆かわしげに首を左右に振った。

「たったの十万で裏切り者を見送るとは、腐っているな」

 腐っているんだよ、とジューンは答える。そして懐からタバコの箱を取り出すと、素早く一本を抜き取った。くわえて火をつける前に、もう一度、言葉にした。

 重要なことだからだ。

「腐っているから、俺は裏切り者になったのさ」



(続く)

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