第47話 戦いを終え

 モンスターの襲撃を警戒しながら、待つこと数時間。


「――ルゼフさーん!」


 背後から声が聞こえてきた。

 見ると、リディーが駆け寄ってきており、その後ろに兵士たちを乗せた二台の馬車があった。

 リディーは合流するや否や、ベンゼルに耳打ちする。


「領主様と相談して、今回の騒動はミュー・ブラックブルの仕業とすることになりました」

「ミュー・ブラックブルだな。わかった。いい判断だ」


 黒い牛型のモンスター――ブラックブルの突然変異個体であれば、二等魔法を使える兵士が五人掛かりで挑んで敵わなかったとしてもおかしくはない。

 それにブラックブルは草食なので、彼らが食われず、生きていられたことも皆に納得してもらえるだろう。


「あっ、それと、シュライザーは馬宿に預けてきました。だいぶ疲れているみたいだったので」

「そうか、ありがとう。諸々ご苦労だったな」

「はい! ルゼフさんもお疲れ様でした!」

「ああ。……っと、来たな」


 二人のもとに馬車が到着した。


「お前達は彼らを頼む」


 上官と思しき年長の兵士は部下に指示を出すと、ベンゼル達に頭を下げてきた。


「ベンゼル様、リディー様。この度は彼らを救ってくださり、そしてミュー・ブラックブルを討伐してくださり、本当にありがとうございました」

「どういたしまして。何事もなくてよかったです」

「ええ、本当に。これもお二方のおかげです! ……それにしても、まさかブラックブルの突然変異個体が出没していたとは」


 兵士が眉をひそめる。

 そんな彼に何と答えたらいいのかわからず、二人はただ苦笑することしかできなかった。


「それでミュー・ブラックブルの死体はどちらに?」

「「えっ?」」

「あっ、私も長く生きておりますが、まだミュー・ブラックブルを見たことがないものでして。今後のためにも、実物をこの目で見ておきたいなと」


(まずい……)


 ベンゼルの背中に冷や汗が流れる。

 ミュー・ブラックブルの死体などどこにもない。

 今回の騒動は実際は魔族によるものであり、ミュー・ブラックブルによる仕業というのは嘘なのだから。


(おっ、そうだ!)


 必死に頭を働かせた結果、ベンゼルは閃いた。


「申し訳ない。ミュー・ブラックボアはリディーの火の魔法によって、灰となってしまいまして。なっ?」

「えっ? あっ、は、はい! ごめんなさい、ちょっとやりすぎちゃって!」

「ああ、気になさらないでください! ただ死体が残っていたら見てみたいと思っただけですので」


 兵士が気まずそうに頭を掻く。

 どうやら信じてもらえたようで、二人はほっと安堵の息を吐く。

 と、その時、一人の兵士が近づいてきた。


「大尉! 皆、馬車に載せ終えました!」

「そうか、ご苦労。では、すぐに街に戻るぞ。ベンゼル様、リディー様、狭くて申し訳ございませんが、どうぞこちらへ」


 ベンゼル達は頷くと、言われた通りに荷台へ上がった。



 ☆



 馬車に揺られること数時間、一向はオルバンに戻ってきた。

 門をくぐってすぐ、ベンゼルの耳に喧噪が届く。


 領主がリディー達を送り出した後、行方不明者が見つかったこと、騒動の原因であるモンスターを討伐したことを街中に通達したのだろう。

 馬車の中から外を見てみれば、人々は揃って笑みを浮かべていた。


「ルゼフさん!」

「ん?」

「やりましたね!」


 ベンゼルは「ああ」と大きく頷くと、目の前に広がる平和な光景に目を細めた。



 ☆



 兵士達は救出した彼らを治療院に運ぶということで、途中で馬車を降りたベンゼルとリディーは、その足で領主の館にやってきた。

 領主に礼の言葉を並べられ、それが一段落したところでベンゼルが本題を切り出す。


「――それで領主殿。今後の対応についてご相談があるのですが」

「ええ。私もベンゼル様のご意見を伺えればと思っておりました」

「では、まず今回の騒動については、民達にはこのままミュー・ブラックブルの仕業ということにして頂きたく。そして行方不明者達が目を覚ましたら、彼らには真実を伏せておくよう命じてほしいのです」


 行方不明者達はその目でペイティーらの姿を見ている。

 なので、いずれ目を覚ましたら、彼らは真実を口にする。

 魔族の残党がいたと広まれば、『他にもいるかもしれない』と民達はたちまち恐怖と不安に覆われてしまう。

 これはそんな事態を未然に防ぐためのお願いだ。


「はい、私もそのつもりでした。民に無用な不安を抱かせる必要はありませんから。彼らも事情を話せば、きっと従ってくれるでしょう」

「お願い致します。それともう一つ、皇帝陛下や各領主殿にも今回のことは伏せておいて頂きたく」

「……えっ?」


 領主が目を瞬く。

 やはり彼女は魔族の残党がいたことを各地の代表者に報告するつもりだったらしい。


 それはそうだ。

 ペイティーの話を聞いていない以上、領主はきっと他にも隠れ潜んでいる魔族がいるかもしれないと考えている。

 そこで被害に遭う人が出ないようにと、各地に警戒を促そうとするのは人として当然のことだ。


 しかし、そうされると困る事情がベンゼルにはあった。

 領主が今回のことを報告したら、それを受けた各地の代表者は警戒し、魔族の捜索を始めかねない。

 そんなことをされると、あいつらが見つかってしまう。

 それだけは避けなければならない。


「私達が相対した魔族曰く、『残っているのは自分達だけ』ということでした。そいつらを屠った今、もうこの世界に魔族は存在しません。ですから、無駄に残党の存在を警戒させる必要もないかと思いまして」

「し、しかし! 魔族が嘘をついている可能性も!」

「魔族共は私を侮っていたようで、その余裕からかペラペラと話してくれました。あの様子からして嘘ということはないでしょう」

「ですが、それでも警戒するに越したことは――」

「その必要はありません。もう魔族はいないのですから」


 堂々と言い切ったベンゼルに、領主は口をつぐむ。

 ひと呼吸おいて、諦めたように息を吐いた。


「……承知いたしました。他でもないベンゼル様がそう仰るのであれば」

「おわかり頂けて幸いです」


 正直かなり強引ではあったが、何とか聞き入れてもらえた。

 これであいつらは無事だ、とベンゼルが胸を撫で下ろした――その時。


 隣から「グウウゥゥ」と低い音が聞こえてきた。

 見ると、リディーが腹を押さえながら顔を赤くしている。

 どうやら腹の音だったようだ。

 思えばもう十数時間、食事をとっていない。

 意識をした途端、ベンゼルも急激に腹が空いてきた。


「あっ、申し訳ございません、気が利かず! すぐに食事を用意させますので、少々お待ちください」


 領主が慌てた様子で執務室を出ていく。

 バタンと扉が閉まると同時、リディーは大きく溜め息を吐いた。


「ごめんなさい、大事な話を邪魔しちゃって」

「いや、あれで話は終わりだ。それにちょうど俺も腹が空いてきたところでな。お前が空腹を訴えてくれて助かった」


 恥ずかしいのか、リディーは「あはは……」と困ったように笑った。

 その直後、リディーは途端に表情を引き締め、ベンゼルを見つめた。


「ルゼフさん、どうして領主様に各地への報告をやめさせたんですか? 何か理由があるんですよね?」


 リディーもベンゼルの様子がおかしいことに気付いていたようだ。

 だが、今ここで理由を説明するのは得策ではない。


「……すまない。今は話す訳にはいかない」

「そう、ですか。でも『今は』ってことは、いつか話してくれるんですよね?」

「ああ。その時が来たら必ず」

「……わかりました。じゃあ今は聞かないでおきます! あー、それにしてもお腹空きましたね!」

「フッ。そうだな。もう腹と背中がくっつきそうだ」

「あはは、確かに! 今ならいくらでも食べられちゃいそうです!」


 その後も食事を心待ちにしながら会話をしていると、執務室に領主が戻ってきた。

 そうして二人は領主に連れられ、広々とした客間へやってきた。


「おおっ!」

「わぁ!」


 大きなテーブルには豪勢な料理が並べられていた。

 どの料理にも、このオルバンで作られたものであろう野菜がふんだんに用いられている。


「ベンゼル様、リディー様、大変お待たせ致しました。さっ、どうぞお召し上がりください」

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」

「いっただっきまーす!」


 二人は返事をするや否や、フォークを手に取った。

 最初にベンゼルが手をつけたのは、色とりどりの野菜を使ったサラダだ。


(うん、美味い)


 さすがは農業都市、どの野菜も新鮮で瑞々しい。

 シャキシャキとした心地よい食感と、酸味の効いたドレッシングがより食欲を引き立てる。


 さて、と、次に目に留めたのは、玉ねぎや人参などがごろごろと入ったスープ。

 さっそくスプーンを口に運ぶと、野菜本来の甘みがジワァと口に広がる。

 疲れた身体に優しい味が染み、ベンゼルはほっと息を吐いた。


 直後、隣から「んー!」と声が上がる。

 見れば、リディーが恍惚の表情を浮かべていた。

 手元の皿には少量のスープに浸かった丸まったキャベツがある。

 あれは何だと、さらに注視してみると、その断面から肉の塊が見えた。


(ほう、あれは肉をキャベツで包んだ料理なのか)


 幸せそうに食べるリディーの姿に、自然とベンゼルの手が伸びる。

 そして豪快にかぶりつくと、ぶわっと肉汁が溢れ出た。

 肉の凝縮された旨味とキャベツの甘み、塩気が効いたスープの味わい。


「フッ」


 あまりの美味しさにベンゼルは思わず笑みをこぼした。


「ルゼフさん、これめちゃくちゃ美味しいですね!」

「ああ。これはたまらん」

「それはロールキャベツですね。ふふっ、お気に召して頂けたようで」

「ええ、それはもう。サラダもスープも絶品でしたが、この料理は特に美味で」

「それはよかった! あ、よろしければ、ぜひそちらも召し上がってみてください」

「はい。ではさっそく――」



 ☆



 翌日。

 昼過ぎに目を覚ました二人は今、オルバンを見て回っていた。


「んー。のどかでいいところですねぇ」


 昨晩のお祭り騒ぎが嘘だったかのように、今や街はすっかり落ち着いていた。

 皆、穏やかな表情を浮かべていて、のんびりとした空気が流れている。

 きっと、これが本来のオルバンの姿なのだろう。


「ああ、そうだな」


 実に平和な光景にベンゼルは頬を緩めた。

 これでルキウス達にもいい報告ができる。

 ベンゼルはふぅと安堵の息を吐くと、引き続き緑豊かなオルバンの街を散策するのだった。 

 

 

 

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