第44話 カジノの魔力
スコルティア帝国の中央南に位置する都市――ゴインに到着してからおよそ一時間。
串焼きを片手に街を歩いていた二人の視線の先に、城壁の半分ほどある大きな岩の壁が立ちはだかった。
「あっ! あの先が噂の?」
「世界最大の歓楽街だ」
「おおっ、楽しみ! ルゼフさん達は前に行ったことあるんですよね?」
「領主が用意してくれた宿があそこにあったからな。まあ、あの時は人影もほとんどなく、寂しいものだったが」
「あっ、そっか。じゃあ、本来の街並みを見るのはルゼフさんも初めてなんですね!」
「ああ。だから実は、俺も内心楽しみにしていた」
「そうですか! じゃあ、一緒に精一杯楽しみましょう!」
リディーが満面の笑みを向けてくる。
ベンゼルはフッと笑うと、大きく頷いた。
「そうだな。よし、行こう」
☆
壁に沿って歩くこと数分、ベンゼル達は門にやってきた。
門の前には兵士が一人立っていたが、特に何かする訳でもなく、通行人は素通りしている。
「――あっ、お、お待ちください!」
ベンゼル達も同じように門をくぐろうとすると、兵士が慌てた様子で二人の前に立ち塞がった。
「……何か?」
「申し訳ございません。ここに入れるのは成人している方のみでして」
「ん? スコルティア帝国の成人年齢は十六でしたよね?」
「ええ。ですから、そちらのお連れの方はちょっと」
兵士に申し訳なさそうな顔を向けられたリディーが目をぱちくりとさせる。
「……あの、私十八なんですけど」
「えっ?」
驚く兵士に、リディーもまた「……えっ?」と驚きの声を返した。
そこでベンゼルは察した。
この兵士は未成年者を歓楽街に入れないためにここに立っており、リディーは未成年者だと思われているのだと。
(まあ、リディーは童顔だしな)
そんなことを思いながらリディーに顔を向けると、子供だと思われたのが悔しかったのか、ふくれっ面をしていた。
「こ、これは失礼しました! ただ、一応念のため、年齢が確認できるものを見せてもらってもよろしいでしょうか?」
「えっ、それは……」
渋ったリディーに、兵士が申し訳なさそうな顔から一転して訝しげな眼を向けてくる。
「どうしましょう、ルゼフさん」
リディーが小声で伺いを立ててきた。
身分証を呈示すれば、一発でルキウスの妹だとバレる。
そうなれば「勇者の妹が来た」と騒ぎになり、多くの人に取り囲まれてしまいかねない。
そんな事態を避けるために、ベンゼルは「ルゼフ」という偽名で自分を呼ばせており、リディーにもフルネームを簡単に口にしないように言っていたのだ。
できることなら身分証の提示は避けたいところだが、見せない限り中には入れてもらえないだろう。
「仕方ない。見せていいぞ」
「そ、そうですか。わかりました」
リディーは革袋から身分証を取り出すと、恐る恐る兵士に手渡す。
兵士はひと呼吸おいて「えっ!?」と声を上げ、リディーの顔と身分証とで視線を行き来させた。
「まさか、あなた様は!」
兵士は想像通りの反応をした。
大声に釣られて、周囲にいた者が一斉にリディーに視線を向ける。
「えっと、あの……」
「あっ、いえ、何でもありません! ささっ、どうぞ! お通りください!」
驚くことに、兵士は何も触れずにいてくれた。
身分証の提示を渋ったことと、リディーの不安そうな顔から察してくれたのだろう。
ベンゼル達はほっと安堵の息を吐くと、兵士に頷いてから歩き出した。
「はぁ。私ってそんなに幼く見えるのかな……。もう立派なお姉さんなのに……」
聞こえてきたぼやきに、ベンゼルは苦笑することしかできなかった。
「ひぇー……」
「……これが本来の歓楽街の姿か」
両側には、多くの店が立ち並んでいた。
ビアジョッキが描かれた突き出し看板からするに、全て酒場のようだ。
まだ真っ昼間だというのに、どの酒場にも多くの客が入っているらしく、あちこちからしきりに騒ぎ声が聞こえてくる。
その中央を走る通りは、見るからに高そうな服を纏った者にみすぼらしい恰好をした者、肌を露わにした美男美女から鎧を纏った者まで、多様な人々でごった返していた。
ここに入るまでとは、雰囲気や空気が全く異なる。
同じ街だというのに、岩壁の外と中ではまるで別の街のようだ。
その変わりように思わず呆けてしまっていたベンゼルのもとに、美女が駆け寄ってきた。
「お兄さーん! 景気づけに一杯どうですかぁ~?」
「……すまない。遠慮させてもらう」
「えー! そんなこと言わずにぃ~! 一杯だけ! 一杯だけでいいから!」
美女はそう言うと、ベンゼルの腕に抱きついてきた。
立派な胸をグッと押し当て、上目遣いで「ねっ?」と尋ねてくる。
(なるほど。これは確かに子供には見せられないな)
性を押し出した強引な客引きに、ベンゼルは子供の立ち入りを禁じている理由、そしてこの歓楽街が岩壁で仕切られている理由に納得した。
(いや、むしろ仕切られているからこそ、このような真似が許されているのかもな)
ベンゼルは冷静にそんなことを思いつつ、美女を引き剝がした。
「もー! お兄さんのいけずぅ~!」
聞こえてきた甘い声を無視して、リディーに視線を向ける。
すると、リディーは胸元を露わにした美男に捕まっていた。
「さあ、お姫様、こちらへ。僕が最高の癒しを提供します」
「えっ、あっ、その」
跪く美男を前に、リディーは困り顔をしていた。
リディーはルキウスに似て優しい性格の持ち主だ。
いくら客引きとはいえ、無碍にはできないのだろう。
ベンゼルは助け船を出してやろうと、一歩踏み出した。
すると、その瞬間――
「ご、ごめんなさーい!!」
リディーはぴゅーと走り去っていった。
(あいつは断り方一つとっても面白いな)
ベンゼルはフッと笑みをこぼすと、ゆっくりリディーの後を追うのだった。
☆
「おお……!」
通りを抜けた二人は、金色に輝く建物を見上げていた。
その大きさと過剰なまでに装飾が施された外観は、城以上の存在感を放っている。
この贅沢を極めた建物こそが、ゴインの一番の目玉――カジノだ。
世界に三つ存在するうち、最も大きく人気なのがこのゴインのカジノであり、世界各国から訪れた客で日夜賑わっている。
今この瞬間も一攫千金を夢見た者が吸い込まれていっており、そんな彼らをリディーは羨ましそうに見つめていた。
「よし、俺達も少し遊んでいこう」
「い、いいんですか!?」
リディーが目を見開いて迫ってくる。
「もちろんだ。そもそも歓楽街に来たのはカジノが目的だからな」
「えっ? そうなんですか?」
「ああ。あいつらにカジノの感想を話してやりたくてな」
◆
領主は気を遣って、このゴインで最も評判がいい宿を用意してくれた。
その宿は歓楽街にあるとのことで、ルキウス達は束の間の休息をとるべく、早速岩壁に囲まれた区画にやってきていた。
「おおっ!」
「わぁ!」
ほとんど人影がない通りを抜けた瞬間、ルキウスとゼティアが感嘆の声を上げた。
「これがカジノか。噂には聞いていたが、確かに凄いな」
「ですね! こんなに大きいだなんて!」
「あれ、フィリンナは来たことあるんじゃないのー?」
「いえ、ゴインには何度も来たことがありますが、この歓楽街に来たのは初めてです」
「そうなんだ。……カジノかぁ。一回でいいから行ってみたいな」
入り口に顔を向けたルキウスがボソッと呟いた。
高級感漂う重厚な扉は閉められており、人の気配は感じない。
さすがに今は営業していないようだ。
もっとも営業していたところで、ギャンブルに興じる時間など彼らにはないのだが。
「ん? ルキウスさんって、ギャンブルお好きなんですか?」
「ううん。ただカジノって面白いってよく聞くし、どんなところなんだろうって気になって」
「なるほど。そういう意味では俺も気になるな」
「あっ、じゃあさ! 魔王を倒した後、いつかみんなで集まってここに遊びに来ない?」
ゼティアの提案に他の三人は顔を見合わせ、同時に頷いた。
「うん、ぜひ!」
「そうだな。いつの日かきっと」
「楽しみにしておきます!」
約束を交わした四人は歩き出した。
楽しみができたからか、四人の表情は先ほどよりも明るかった。
◆
「そうですか! じゃ、じゃあ!」
「ああ、いこう」
「はいっ!」
いつにもなく嬉しそうなリディーと共に、ベンゼルは欲望が渦巻くカジノへと足を踏み入れた。
☆
金色に輝く壁、床にはふかふかの赤い絨毯。
天井からは巨大なシャンデリアが吊るされている、何とも豪勢な内装。
等間隔に設置されたテーブルでは様々なゲームが行われており、あちこちから歓声と嘆声が同時に上がっている。
その光景に最初こそ目を丸くしていたベンゼル達だったが、もうすっかり慣れたもので、他の客達と同様に二人もゲームに興じていた。
今ベンゼル達が遊んでいるのは、カードを使ったブラックジャックというゲームだ。
「ヒット!」
リディーの前にカードが置かれる。
数字は6。元の手札と合わせて20となった。
「よし! ステイ!」
リディーが嬉しそうに言うと、ディーラーはベンゼルのカードに手を向けてきた。
今のベンゼルの手札は合計17。
このままでは少し弱いが、かといってもう一枚引いたら21を超えてしまう可能性が高い。中々際どい数字だ。
ベンゼルは悩んだ末、手を左右に振った。
このアクションはステイ。つまり、このまま勝負することを選んだのだ。
「ディーラー、オープン」
ディーラーが自身のカードをめくる。数字は9。
元の5と合わせてこれで14。
ディーラーは山札からもう一枚カードをとり、めくった。
出たのは10。合計24になった。
21を超えたのでディーラーは
「フッ」
「やった!」
ベンゼル達の前に掛け金と同額のチップが置かれる。
これでベンゼルは7勝3敗、リディーは6勝4敗だ。
着実に増えていくチップに、二人の顔は緩み切っていた。
「よし、そろそろ他のゲームも遊んでみるか」
「はいっ! 今ならどんなゲームでも勝てそうです!」
☆
二人はとてつもなく大きな溜め息を吐きながら、ルーレットのテーブルから離れた。
ブラックジャックでの快進撃は何だったのか。
あれからベンゼル達は負けに負けを重ね、希望を託した最後のチップもあっけなく持っていかれてしまった。
まあ、負けはしたが、思っていた以上に楽しめた。
そう自分に言い聞かせて入り口に向かおうとするも、足が動かなかった。
「何?」
ベンゼルは自分に驚いてみせるも、本当はわかっていた。
このまま負けっぱなしで帰るのは気に食わない。
そしてあの勝利の感覚をもう一度味わいたい。
そんな思いが身体を支配していることに。
そう、ベンゼルはすっかりカジノの魔力に取りつかれてしまっていた。
「……ルゼフさん」
隣を見ると、リディーが血走った目でこちらを見上げていた。
「いきましょう!!」
「……いや、しかし」
「大丈夫です! ルゼフさんはこれまで何度も死闘をくぐり抜けてきたんですから! だから今回も大丈夫です!!」
それを聞いてベンゼルはハッとした。
そうだ、自分は魔族との命を懸けた大勝負を勝ち抜いてきた。
だから今、ここにこうして立っているのだ。
そんな自分がこんなところで負けるはずがない。
「……そう、だな。お前の言う通りだ。俺としたことが負けることを想像するとは。まったく、どうかしていた」
現在進行形でどうかしているベンゼルは、生活費が入った巾着袋を取り出した。
「さすが! それでこそルゼフさんです!」
「フッ。おだてても何もでないぞ」
そして駄目な大人達はチップを買いに、受付に歩いていった。
☆
三十分後。
ベンゼルとリディーは正気を失った顔でカジノを後にした。
路銀はほぼゼロ。素寒貧とはまさにこのことである。
(まあ、これはこれでいい思い出話ができた)
ベンゼルは自嘲した。
もう、そう思うしかなかった。
「……さあ、働くぞ」
「……はい」
二人は大きく溜め息を吐くと、本来このゴインで訪れる予定はなかったはずの依頼仲介所に向かうのだった。
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