第二章:平穏な日常





 連日の試合に疲れ果てたライカは、一枚の紙に何かを書き込んだ。

 そして、「DOLLGAME」試合会場の受付嬢にその紙を渡すと、賞金を貰って会場を後にした。


「何の紙だ?」

 帰りの自動操縦車の中で、フォルトはライカに問いかけた。

「んあ?あー……しばらく試合入れないで下さいって申請書。流石に二週間に十回も試合をやらされて疲れないは無理なので」

 フォルトは静かに頷いて、手近の鍔広の帽子を被って眠る体勢を取った。

「……フォルトさん」

「何だ?手短に頼む」

「身体、大丈夫、なんですか?」

 ライカは服で隠しきれていないフォルトの身体の痣に視線を向けて言う。

 視線に気づいたフォルトは、鬱血した部分を隠しもせず、またライカを見ることもせず、口を開いた。

「ああ、慣れている」

「慣れて、いる? だって、さっきまで血が……」

「此処に来る前は、もっと酷かったからな」

「え?」

 驚くライカを落ち着かせるように、フォルトは帽子をどけて薄い微笑みを浮かべて、ライカの短めの黒い髪を撫でる。

 フォルトの予想外の行動に、ライカは顔を赤くして狼狽えた。


 ライカを家に届けてからフォルトは研究所に戻った。

 以前の様に研究素材として扱われる割合が少なくなり、身体の負担が減った事から休める時間が増えたという事に安堵していた。

 それでも連日の試合での生体媒介として「DOLL」にリンクさせられることはかなりの負担になっていることは間違いなかった。

 フォルトは自分の腕を見る。

 先ほどまで鬱血していた部分が残っていた場所には、もうシミ一つなく、不気味なほど青白く、同時に美しい肌に治っていた。

(痛めつけられても、傷はすぐ消える、か)

 自嘲気味に笑い、手で傷があった場所をなぞる。

 そして手を口まで持ってくると、手についた香りに気がついた。

 優しい、花の香りに。

「……ラベンダー?」

 そう、何処か気持ちを落ち着かせる香りを放つ花の名前を言ってから、その手を見つめる。

 フォルトは香水など使わない。

 この香りと同じ物を漂わせている人物が一人だけ思い浮かんだ。

「……ライカ、か」

 フォルトは、ライカが「ラベンダーのポプリを作ったんです」と言って巾着を見せたのを思い出す。

 ラベンダーは香りの強い花。それゆえ香りがライカに移り、そしてその香りがフォルトに移ったのだろうと考えた。

 フォルトはその香りに懐かしさを感じ、目を閉じた。


『フォルト』

 目の前に花園が広がっていた。

 花園の中には黒い髪の女性が立っていた。

 白いブラウスに、薄い水色のスカートを着用している、女性が。

(ソロネ……)

 フォルトは女性の名前を心の中で呟いて、近づいていく。

 女性は満面の笑みを浮かべて、フォルトを手招きする。

 一面の紫の花の園を女性は楽しそうに歩いている。その花はラベンダーだった。

 フォルトは心地よい香りを感じながら、女性の後を追う。

『フォルト、どうしたの?』

 女性は笑っている。

 フォルトはその笑顔を見て、泣きそうな子どものような顔をする。

「ソロ、ネ」

 名前を呼んだ次の瞬間、女性は身体から血を噴き出して地面にゆっくりと倒れる。

 フォルトは、絶叫した。


「…………」

 フォルトは目を開く。

 今まで見ていた物が夢だと気付き、安堵の溜息をついた。

 その時、頬を伝う冷たい物に気付き、頬に手を当てる。

「なみ、だ?」

 フォルトは自分が泣いていた事に気付き、驚きの声を上げる。

「俺が……泣いていたのか……?」

 フォルトは自分の身体を抱きしめると、小声で女性の名前を呟いて嗚咽を漏らした。


 翌日、フォルトはレイヤに呼び出されグリーンプラント本部に向かった。

 社長室に入ると、レイヤは不機嫌な表情をしながら爪を磨いていた。

「レイヤ、何のようだ?」

「…………」

 レイヤは何も言わず、書類を手にとる。

 フォルトは書類を受け取ると目を通し始める。

「……昨日、ソロネが夢に出た」

「それは良かったな」

「其処までは」

 レイヤは爪磨きを机に置いて、横目でフォルトを睨む。

「……奴が出てきた、そして彼女を撃ち殺した」

 フォルトの手の動きが止まる。

 レイヤは不機嫌を隠さないまま続ける。

「正直頼むのは嫌だが……フォルト」

「……何だ」

「ライカと同棲してくれ」

「……彼女が許可をくれるか?」

「先ほど貰った、ただ『兄には気をつけてくれ』とのことだ」

「『兄』?」

 フォルトは聞き返すとレイヤは静かに頷いた。

「ああ、そう言えば言ってなかったな。ライカには兄がいるんだ。一人な」

「兄と一緒に暮らしているのか?」

「いや、兄の方はグリーンプラントの職員寮で暮らしている」

「どういう兄だ」

 レイヤは顎に手を当てて考え始める。

 しばらくしてから、口を開いた。

「ああ、脳みそ筋肉、シスコン、色んな意味で腹が立つ上羨ましい奴だ。私個人としてはアレの妹がライカだとは思いたくもない」

「……似てないのか?」

「似てないと言えば似てない、似てると言えば似てる。非常に微妙だ。顔は悪くないと私は思うが、性格がアレだからな……」

「そうか」

 レイヤは深い溜息をついて机に突っ伏した。

「くそっ。あんな夢を見なければ、こんな頼みをすることもなかったのに……忌々しい!」

 フォルトはレイヤを見て呆れの溜息をついた。

「……随分と変わったな」

「貴様が変わらなすぎてるだけだ」

「だろうな」

 髪を掻きむしるレイヤを見ながらフォルトは社長室を後にした。


「レイヤ社長、今週の医療費の……社長?」

 秘書の女性がフォルトのいなくなった直後に社長室に入って来るなり素っ頓狂な声を上げた。

 社長であるはずのレイヤが、威厳を微塵も感じさせない様子で机に突っ伏していたのだ。

 髪の毛はぼさぼさになり、服装も乱れていた。

「社長!どうしたんですか?!」

 秘書は慌ててレイヤの元に駆け寄るが、レイヤは微動だにしない。

 揺すり始めると、レイヤは鬱陶しそうに手を払って起きあがった。

「……五月蝿い」

「す、すみません……ですが、どうしたのですか?」

 レイヤは「何でもない」と言ってから、秘書に下がるように言い秘書が出て行くのを見送った。

 それからレイヤは深い溜息をつき、その後机から写真を取り出した。

 写真には一人の女性が写っていた。

 黒いショートボブの髪に、白いブラウスに、薄い水色のスカートの二十代ほどの女性が写っていた。

 その写真の中の女性は手にラベンダーの花束を抱えていた。

「……ソロネ」


 貴方なら、私にどういってくれる?

 私をどう叱ってくれる?

 今では私を叱ってくれる人など何処にもいないのだ。

 私を止めてくれる人間などいないのだ。

 ライカ以外に。

 でも、ライカは貴方じゃない。貴方ほど人を止めるのが上手じゃない。

 貴方とよく似ているけども、貴方ほど人を信じていない。

 だけど。

 貴方とよく似ている。

『レイシャ』

 私の本当の名前を呼ぶのは、貴方だけだった。

 彼女は私の本当の名前を知らないから呼ばない。

 もし教えたら呼んでくれるだろうか。


「ソロネ……」

 レイヤは辛そうな声で名前を呼ぶ。

「苦しい、辛いんだ……」

 頭を振り乱してレイヤは蹲る。

「助けてくれ……!」

 レイヤの悲鳴は誰にも届くことなく、部屋の中に木霊して消えていった。




 ライカは使われていない部屋の掃除をしていた。

「全く、『パートナーになるから生活面も共有した方がいい』ってどんな理論だよ……」

 箒で埃を掃きながら、愚痴を言う。

 誰もいない部屋で、その言葉は反響して消えていった。

 ライカは箒を置くと、今度は掃除機をかけ始めた。

 モーター音だけが聞こえる部屋に、別の音が突如響く。

 チャイムの音だった。

 ライカは掃除機の電源を切ると、急いで玄関に向かう。

「はーい」

 ドアを開けると、茶色の髪の20代後半ほどの男が立っていた。

「よ、ライカ」

 ライカは顔を引きつらせて、その男を見る。

「な、何の様でございましょうか……? ラルフお兄様?」

 ラルフと呼ばれた男は、豪快に笑うとライカの肩を叩く。

「いや、最近顔を見てなくて寂しくてな。そう言えば親父の見舞いには行ってるのか?」

「行ってるよ、ラルフとは違って……て言うか、お父さん病気なんだからしっかりしてよ」

「いや、仕事が忙しくてなー……ちょっと待てライカ」

 突然真剣な表情を作るラルフを見て、ライカは身体を硬直させた。

「さっき、『ラルフお兄様』と言ったな?」

「……キノセイデゴザイマスヨ」

「おい! 一体何を俺に隠している! 正直に話せ!」

 ラルフに揺さぶられた所為で、ライカは短い悲鳴を上げる。

 ちょうどその時、再びチャイムが鳴り響いた。


 家の主の出迎えを待つことなく、チャイムを鳴らした張本人がドアを開ける。

「入るぞ」

 其処には、黒髪の男が立っていた。腕に小さな子猫を抱いて。

 気まずい沈黙がその場を支配する。

「何をしている?」

 その沈黙を壊したのは、黒髪の男――フォルトだった。

「えーっと……実兄に絞められてます」

「警察を呼べばいいか?」

「ちょ、待て! ライカ! この男は一体誰だ!」

 ライカは再度ラルフに揺さぶられて、「あー」と奇声を発する。

「た~す~け~て~」

 ライカが棒読みの発音で助けを求めると、フォルトはラルフの腕を掴む。

「でっ!」

 短い悲鳴を上げてラルフはフォルトの腕を払って、自分の腕を押さえる。

 手首には、手の型がくっきりと浮き上がっていた。

「いてて……おい、ライカ! 此奴は誰なんだ!」

「あー、うん。その、えーと……」

 言葉を濁すライカの代わりに、フォルトがライカの前に出る。

「今度からライカと同居することになったフォルトだ。宜しく頼む」

 その言葉を聞いたラルフは、しばらくの間硬直してから我に返ってフォルトに掴みかかる。

「冗談じゃない! 俺の可愛い妹をお前みたいな野郎なんかと一緒に住ませられるか!」

 フォルトをがくがくと揺さぶるラルフを、ライカは必死に取り押さえようとラルフの身体にしがみつく。

「この馬鹿兄貴! こっちにはこっちの事情があるんだからいい加減ほっといてよ!」

「男はみんな狼なんだぞ! つーかこういう能面野郎に限ってムッツリスケベなんだ!」

 ラルフはフォルトを睨み付けながら揺さぶるが、フォルトはラルフの目から視線を逸らして明後日の方向を見つめていた。

 しかし、何かを思い出したようにフォルトはラルフを見下ろした。

「すまんが」

「何だ!」

「猫を抱いているんだ。揺するのは止めてくれないか?」

 フォルトに言われ、ラルフはフォルトが抱きかかえているものに視線を落とす。

 腕の中には、白い色のふかふかとした毛を持つ子猫がいた。

「あ、可愛い~!」

 ライカも子猫に気がつき、フォルトから受け取ると優しく抱きかかえる。

「この猫どうしたんですか?」

「それは遺伝子操作種だ。飼い主が飽きた事が原因で捨てられていたそうだ」

 ライカはフォルトから事情を聞くと、眉をひそめた。

「酷い!」

「此処に来るとき業者が『処分したくないから貰ってくれないか』と言ってきてな。断るのも何だったから貰ってきた」

「どんな業者だよ……」

「こんな可愛いのに、捨てるなんて酷い!」

 ライカは子猫を撫でながら怒声を上げる。

「可哀想だね、お前。此処に住むかい?」

 子猫は嬉しそうに「みゃあ」と鳴く。

 ライカは嬉しそうに、子猫を可愛がり始める。

「フォルトさん、後でペットショップ行きませんか?」

「それがいいな。名前はどうする?」

 嬉しそうに話し始めるライカの髪を、フォルトは優しく撫でる。

 口元には微笑が浮かんでいた。

「綿飴みたいにふかころして白いから『わたあめ』!」

「……そのままだな」

「おい、俺は無視か?」

 無視されたと感じたラルフが、二人の会話に割り込んだ。

「あ、ラルフまだいたの?」

「ひ、酷いぞライカ……ほ、本当に其奴と同居するのか?」

「するって言うか……うん、まあそうだね」

 ライカが事も無げに言うと、ラルフはがっくりと肩を落とした。

「解った……俺はもう何もいわん……」

「それでいいの。後、お母さん達には言わないでね。自分で言うから」

「解った……」

 ラルフは項垂れたまま家を出て行った。


 実の兄が帰って安堵したのか、ライカは深い溜息をついた。

「漸く帰った……」

「悪いタイミングで来てしまったようだな」

「そうだね、うん」

 ライカはフォルトに家に上がるように言うと、部屋に案内した。

 先ほどまで掃除されていた為か、小綺麗でベッドと箪笥、クローゼット以外何もない部屋だった。

「必要な物は有れば教えて下さいね」

「本棚が欲しいのだが」

「使ってないのが一つありますんでそれでいいですか?」

 フォルトは頷くと、ライカの後をついていき別の空き部屋に置かれてある空の本棚を両手で抱えると自分の部屋となる場所に運んでいった。

「本とかは宅急便で送ったから後で届くはずだ」

「そ、そうですか」

「じゃあ、行こうか?」

「へ?」

 間抜けな声を出すライカの頭を小突くと、フォルトはライカの腕の中にいるわたあめを指さす。

「ペットショップに行くんだろう」

 フォルトがそう言うと、ライカは一瞬驚愕の表情を浮かべるが、直ぐに満面の笑みに変えて嬉しそうに返事をした。


 二人は自動操縦車で市街地にある大型のペットショップに向かう。

 ペットショップでわたあめの首輪と家、猫用の玩具を購入した。


「わたあめ~」

「みゃう」

 家に戻り、一通り準備を終えてからライカはわたあめと遊び始めた。

「大きくなったらどんな猫になるのかな~」

「大きくはならん」

「え?」

 ライカが不思議そうな顔をすると、フォルトは呆れたように溜息をついた。

「其奴は遺伝子操作種だ。大人の姿になることはない、一生子猫の姿のままだ」

「ど、どうして?」

「大きくなると可愛げがなくなる、そういう理由から遺伝子操作種は人気だ。だが、その分飽きられやすい。其奴(そいつ)もそうなんだろうな」

「じゃあ、この子……」

「其奴は文字通り子猫らしい。業者が簡易検査で調べた結果だ」

 ライカは少し寂しそうな顔をして、わたあめを優しく撫でる。

 わたあめは可愛らしい鳴き声を上げて、ライカの腕に収まる。

「……ねえ、遺伝子操作種って……」

「このタイプの操作種は寿命が短い。他の同じペットに比べてな」

「やっぱり……」

「最後まで、見てやれ」

「……うん」

 ライカはフォルトを見上げて力強く頷いた。




 夜中、ライカは目を覚ました。

 静寂に包まれた部屋には、時計が時間を刻む音がカチカチと響いていた。

 ライカはベッドから抜け出すと、リビングに向かう。

 リビングに入ると月の光で照らされて、床が光り輝いていた。

「…………」

 其処には他の影とは異なる影が一つあり、ライカはその影の持ち主に目をやる。

 影の持ち主は、フォルトだった。

 フォルトはソファーに背を持たれるように眠っていた。

 静かな寝息だけが、その場に音を奏でていた。

 ライカは足音を立てないように歩き、フォルトの寝顔をのぞき込む。

 淡い青色をした美しい形の唇が、時折小さく開く。長い睫が微かに震える。

「綺麗……」

 ライカはうっとりと呟いて、思わずフォルトの顔に手を伸ばすが、直ぐにその手を引っ込めた。

「……何やってるのよ、私」

 ライカは呆れたように呟いて、忍び足で別室に向かい毛布を取ってくるとフォルトに掛けて自分の部屋へと戻っていった。


 ライカがいなくなったリビングで、フォルトは目を開いた。

 そして自分の唇に手を持っていく。

「綺麗、か」

 そう呟いた。


「…………」

 明け方、ライカは目を覚ます。

 髪は寝癖でぼさぼさになっており、爆発していた。

 ライカは近くに放り投げてあった靴下を履き、洗面所に向かう。

 髪を梳く部分を水につけると、くしで髪を梳かし始めた。

 何度も繰り返して髪を梳かし、毛のはね具合がある程度収まると梳かすのを止めた。

「あ、顔洗うの忘れた」

 ライカは急いで顔を水で洗うと、タオルで顔を拭く。

 洗面所の近くにある物干し竿から掛けてある服を取ると服を持って自分の部屋に行き、着替える。

 十字架の描かれた黒の七分袖のシャツに、黒のパンツ。全身黒ずくめになると部屋を出た。

「みゃぁ、みゃあ!」

 部屋を出るとわたあめが盛んに鳴き声を上げていた。

 ライカは猫用のミルクを準備するとペット用の器に注ぎ、わたあめの前に出す。

 わたあめは無心にそのミルクを舐め始めた。

「お腹、空いてたんだね」

 ライカは呟くように言うと、わたあめの頭部を優しく撫でた。

「何をしている?」

 フォルトがリビングに顔を出した。

「ああ、わたあめの朝ご飯」

「ミルクじゃ足りないだろうからキャットフードか何か持ってこよう」

「あ、大丈夫。其処にあるから」

 ライカは猫の絵が描かれた缶詰を見せる。その缶詰の中身を別の器に盛りつけるとミルクが入った器の横に置く。

 わたあめは嬉しそうな鳴き声を上げて盛りつけられた物を食べ始めた。

「……何の缶詰だ?」

「確かマグロの缶詰。最近の遺伝子技術は凄いわねー。おばちゃんびっくりだわ」

「君はいつの時代の人間だ?」

 フォルトは呆れたような声をだした。


 大戦前、食料や資源の枯渇が叫ばれていた。

 しかし、大戦中に発達した遺伝子技術、生産技術はその枯渇したはずの資源さえも復活させた。

 クローン動物の大量生産、植物の遺伝子改良と技術改良による短期生産、人工生産の難しい動植物の遺伝子改良による大量生産、タンパク質を短期で別のエネルギー物質へと転化させる化学変化の実用化。

 十年以上続いた戦争によって、人類は新たな生産手段と生存への道を開いたのである。


「……戦争が食糧問題を片づけるとは、皮肉だな」

「んあ?」

 朝食のパンを食べながらフォルトはぼやいた。

 ライカは言っている意味が理解できず首を傾げる。

「……ところでライカ、何だその黒い物体は?」

「佃煮。結構旨いけど?」

「いや、いい……」

 パンに佃煮を乗せて食べているライカを見ながらフォルトは信じられないものを見たしたような顔をして赤いジャムを塗り直した。


 朝食後、皿洗いをしているライカとは別にフォルトはテーブルを拭いていた。

 ライカに「暇ならテーブルでも拭け」と言われた為である。

「それ終わったら、床に掃除機掛けてくれません?」

「解った」

 フォルトは布巾をライカに渡すと、リビングの隣の物置に置かれてある掃除機を取り出し、リビングとキッチン床に掃除機をかけ始めた。

 掃除機は音を立てず、静かに細かな塵を吸い込んでゆく。

「今まで一人でやってたから助かるわ」

「毎日こうしてたのか?」

「掃除機は三日に一回。普段はモップがけ」

 ライカは食器を仕舞(しま)い終わると、布巾を洗い始める。

「……潔癖性か?」

「いえいえ、元々は掃除嫌い。でも今は掃除して綺麗にしとかないと落ち着かないので」

「そうか」

 掃除機をかけ終わると、フォルトは元の場所に掃除機を片づける。

 ライカも仕事を片づけたらしく、手をタオルで拭いていた。

「試合までしばらく休みあるから久しぶりにゆっくりしよっと」

 背伸びをしてライカはソファーに寝っ転がる。

「そう言えば」

「何だ?」

「どうして昨日此処で寝てたの? ベッドにはちゃんと布団もあったのに……」

「そうだな……強いて言えば」

「何?」

「ベッドが柔らかすぎて眠れなかった」

「……兄貴用の硬いベッドが有りますが、そちらにしますかい?」

「頼む」

 苦笑いするライカに釣られて、フォルトも笑った。




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