凧があがる空の下で


 それから、みんなで順番に凧を上げてたくさん走り回りました。


 セッちゃんは凧あげの名人かというくらいに凧を操り、キレイにクルクルと空で踊らせていました。


 幼い三姉妹のヨシ子ちゃんとアキちゃんは何度か地面に落としながらも、セッちゃんの教えでコツをつかみ、上手に凧を上げています。


 サチちゃんは4才でまだまだ走るには幼いので、トシさんが肩車で走り回って、サチちゃんが凧のヒモを引っ張っています。

 それを見てヨシ子ちゃんやアキちゃんも肩車をせがみ、結局は順番に三人を肩車して回っていました。


 その後、私も凧を上げました。久々ですが、毎年新年は凧あげをしていたので、体が覚えていてすんなりと凧を空で踊らせることができました。その腕をセッちゃんに認められて免許皆伝をいただきました。


 今はミエちゃんの番で、彼女が上げる凧は上手にふわふわと空を舞っています。


 それを眺めながら私は土手の坂で座り、隣に座るトシさんの背中をさすっています。

「おつかれさまです。だいじょうぶ?」


 私が言うと、トシさんは辛そうに言います。

「うぅ……ぎっくり腰やろか?肩車なんて久しぶりにやるもんやないな」


 後悔の弁を述べつつも、声色は明るかったです。彼は視線を河川敷で凧を上げるみんなに向け、満足げに「ふぅ」と息を吐きました。その姿は一仕事終えた大工の親方みたいでした。


 間抜けだけど、どこか男らしいトシさんの姿を私は写真機に写すようにじっと見ていました。

 どうしてでしょうか、ずっと見ていたい。覚えていたいと思ってしまいます。

 ぼー、とトシさんを見つつ、彼の腰をさすっていると、


「もうええでアッコさん、だいぶ楽になったわ」


 そう言い、トシさんがこちらを向きます。私はあわてて視線を反らしました。

 トシさんが立ち上がり、腰をトントンと叩きます。


「温かくて、ええ手当てやったわ。腰がぬくなって痛みが引いた」


 申し訳なさそうな苦笑いをするトシさん。その顔にはどこか愛嬌があって、目を奪われそうになるけれど、なんでだか真っすぐに見られません。

 私はトシさんと顔を合わせず、折った膝にアゴを置いて、河川敷をみつめます。そして、元気に走り回る女の子たちが目に入ります。


「トシさんは……妹想いですね」


 話をそらすかのように出た言葉。ですが妹想いだというのは本心で、素直にトシさんは優しい人なんだなと思っています。

 そんな彼は鼻の頭をかいて、「ま、兄やからな」とすまして言います。

 それを聞いた私は、彼がどんな表情をしているのか気になり、上目づかいで顔をのぞきます。

 私の動きに気付いたトシさんは気まずそうにそっぽを向いて言いました。


「な、なんやねん。意外か?」


 聞かれ、私は素直に言います。

「私が高見家に雇われた日のトシさんは、私を値踏みするように見てたから」

「せやから俺を冷たい人間やと思ってたんか?」

「いえ、あの態度も妹や家族を想うためだったんだなって」


 値踏みするのは、私が高見家の支えになるかを見極めようとしていたのでしょう。高見家の母が亡くなるのを見越し、頼りになる人であるかどうか。


「ですから、最初はトシさんがきびしい人だと思っていました。今はあの態度も納得しています」

「今は、てことは、前は不満やったんか?」

「少なくとも初対面の女性にする態度ではありません」


 私は頬をふくらまします。出会った頃のトシさんを思い返すとあの時の不満が沸騰するお湯のようにふつふつとわいてきます。

 ですが、トシさんの次の言葉でそれもおさまります。


「それはすまんかった」


 トシさんが真っすぐ私を見て謝ります。それを聞いた私はその目線をしっかり受け止めました。


「正直、あの時は気が立っていたんよ。おかんが調子悪い時期によそモンが来て面倒事にならへんかって」

「うん。その気持ちは分かります」

「せやから、許してほしい。アッコさんは十二分に働いてくれはった」


 トシさんは頭を下げます。私はうなずいて応えます。


「今までのあなたの傍若無人な振る舞いと非礼を許しましょう」


 冗談めいて言う私に、トシさんは苦笑いをしながら顔を上げます。


「傍若無人て思われとったんか、てかアッコさんの台詞回し、日活(映画)や小説の影響を受けすぎやろ」

「地主の方々とお話するには言文一致された作品を見るのが一番かと思いましたの」


「地方の地主を大名かなんかと勘違いしとるやろ。ワシらはただの土地を持った田舎もんや。アッコさんと最初会った時、どうりでお高くとまっていると思うてたんよ」


「あら、お高くだなんて、女性に対して歯に衣着せませんのね」

「お互い様や!」


 声を張って言うトシさん。それから目線を合わせてしばらくの沈黙。

 口火を切ったのは、お互いに笑いを吹きだしてからです。


 二人で大きく口を開けて笑い合いました。


 そんな私たちをミエちゃん、セッちゃん、ヨシ子ちゃんとアキちゃんとサチちゃんが下の土手からポカーンとしてこちらを見上げています。


 すると大きな風が吹いて凧がひとりでに飛ばされていきました。

 あわててセッちゃんたちが追いかけていきます。

 それを見て、余計に私はおかしくて笑ってしまいます。

 たくさん笑って一息ついて、それからトシさんを見ます。今はなんだか彼をまっすぐに見れます。緊張がほどけて、親しみがわいたからかも?


 とか思っていたら、トシさんが耳を疑うようなことを言います。

「アッコさんは良い匂いするな」

「は?……はぁああ?」


 なんで、そんな?女性の匂いとか!?そんなこと言う!?

 え、なに?匂いとか!?えっ?かがれてた?体を!?

 いつ?すれちがいざま?なんで今そんなことを?


 頭の中がメチャクチャで混乱してしまいます。

 もはやまともに頭が働かない私にトシさんは言葉を続けます。

「あれやな、アッコさんも持っとるんやな。匂い袋」


「へ?に、匂い…ぶくろ…あっ!」


 言われて気付きました。そうです、持っています!匂い袋。


 匂い袋というのは、お香を巾着袋や布袋に入れたものです。匂い袋を持ち歩くのがこの時代の女性の流行でした。振袖の袖の下に入れたり、懐に入れたりして携行します。


 普段はお仕事があるので匂い袋を持たないです。料理の時に匂いで嗅覚が鈍りますから。ですが今日はお正月というのもあり、気分的に胸元にしまっておいたのです。


 と、いうのを今の今まですっかり忘れていました。

 トシさんの言いたいことを理解し、私はあわてて返事を返します。


「あ、はい。そうです、お花の匂い袋を……トシさんは鼻が良いんですね」

「草花の少ない冬に、花の匂いや。そら気付くて」


 ああ、なるほど。と、うなずきます。それでも、


「とつぜん、人の匂いがどうとか、失礼ですよ」

 と私が頬をふくらませて言いましたが、トシさんは取り合わず、

「そうか、で、なんの花の匂いやったっけ?それ」


 だなんて話を続けます。ほんと粗野。ですが、匂い袋に気付いてくれたのには少し嬉しく思います。


「色々と香料が混ざっていますが、主なのは菜の花です」

「あぁ~、それでか。好きよな、百姓の家のもんは」


「ええ、春の匂いですからね。百姓は冬の間が色々とひもじいですから」

「わかる!その分、草花の春の匂いがうれしく感じるよな。やっと冬が開けたって匂いや」


「そうです!そうです!中でも菜の花が好きです」

「へぇ~、そうなんや。そういえばおかんも好きやったな、菜の花。ま、俺は花より団子でセリや三つ葉にタラの芽と美味しいもんがええけどな」


「あら、菜の花も食べられますよ?」

「へ?そうなん?菜の花ってアブラナやから、油にするだけかと思ってたわ」


「それは西洋のアブラナですね。日本のアブラナは食用が多いです」

「知らんかったわ。どうやって食べるん?」


「辛子にあえても美味しいですし、おミソ汁にしても美味しいですよ」

「へぇ~、アッコさんはほんま色々と知っとるんやな。感心するわ」


「いえいえ、でも意外です。ここらの土地は菜の花を植えないのですね」

「畑の畝(ウネ、作物を作る土の土台)に花を植える場所があるんやったら作物を植えろ言われるからな。花を愛でる余裕はないで」


「そうですか…それは残念です」


 美味しい菜の花をみんなに食べてもらいたいと思ったのですけど、ガッカリです。私は折ったヒザにアゴを置いてため息を吐きます。

 そんな私の顔を、トシさんは不思議そうにのぞきます。


「菜の花なんてそこらへんに生えてくるやん」


 トシさんは言いますが、私は首を左右に振ります。


「ちゃんとしたウネで作った菜の花は甘くて柔らかくて香りがいいのです」

「そうなんか?けど種はあるん?」


 聞かれ、私はうなずきます。


「匂い袋の中に花の種も入れているのです」

「ああ、なるほど、ゲンかついだり、お守りにしたりする人もおるな」

「はい…」


 私がうなずくと、トシさんは立ったまま腕を組んで首をかしげます。

 そして、手をポンっ、と叩くと、その手を私の頭にのせます。


「畑はあかんけど、家の庭に使ってないウネがあったやろ!」


 トシさんが言い、私はポカンとしてうなずきます。

 ポカンとしてしまったのは、いきなり頭を触られてどうしたものやら、怒っていいのか、でも頭上の手がとても心地いいのでどうしたらいいのか。

 そんな私を置いて、トシさんは話を続けます。


「んで、そのウネは夏野菜用なんよ。敷地内にあるんは家のモン用でもあるし、カラスよけになるからやな」

「そ、そうなんですね?それで?」


「なんや、察しが悪いな。そこに植えたらええねん。夏野菜の苗を植えるまで用事ないしな」

「いいんですか!?」


「ええねん、ええねん。もとはおかんのやったけど、ウネを世話してくれた方が草葉の陰のおかんも畑も喜ぶもんやろ。それに……菜の花、好きやったしな」


 トシさんが言い終わり、私の頭の上から手をどけます。

 そして、その手を私に差し出します。


「そのかわり、美味しい菜の花料理、頼むで!」


 陽の光を受けたトシさんの屈託ない笑顔に私は応えたくてその手を力強く握ります。


「任せて下さい!」


 私が言うやいなや、手を強く引っ張られ、私は立ち上がりましたが、坂の斜面でもあり、体が前に傾き、


「きゃっ!」


 その勢いが余ってトシさんの胸に顔をうずめてしまいました。


「す、すまん……」

 頭上からかかるトシさんの声。

「い、いえ……」

 そのまま固まってしまう二人。気候は肌寒いですが、顔が熱くなり汗がでてきます。


 どのくらいそうしていたでしょう。数分?いえ、数秒?もしかしたら一瞬だったのかもです。


 顔を離し、顔を合わせず、うつむいて、ただただ下をみる、男女二人。


「坂だったので、その……」

「うん、俺も、気が回らんで……」


 気まずいままの私とトシさん。しばらく続く沈黙。


 そんな静かな時間を破ったのは、お化けでした。

 突然に、骨のお化けが現れたのです!


「きゃぁッ!」


 驚いた私はトシさんに飛びついてしまいます。

 ですがよく見ると、その骨は、動物の顔の骨で、後ろからセッちゃんが持ち上げていたのです。

 骨の顔をカタカタと動かしながら、セッちゃんが二マリとして、


「ランデブー?」


 と聞かれ、私はすぐに体をトシさんから離します。

 トシさんは顔を真っ赤にして、


「おまえなぁ!」


 と大きな声を出し、逃げるセッちゃんを追いかけていきました。


 私は土手の坂に落とされた動物の顔の骨を拾い、思い出しました。

 以前、ここの川で解体したイノシシの物です。骨になったのは野犬か野鳥にでもキレイに食べられていたからでしょう。


「ごめんね」


 と、私は骨に謝り、この子を持ち帰って畑の肥料にしようと決めました。

 土手から河川敷を見ると、元気に走り回るトシさんとセッちゃん、それを追いかけるヨシ子ちゃんとアキちゃん。


 サチちゃんは転んで泣いて、それをミエちゃんがあやしています。


 今日はとても楽しいお正月でした。

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