今宵、あなたは静かに死んだ。

夢色ガラス

第1話目

「お母さんただいまっ!」

「おかえりなさい。忙しいのに、よく来たわねぇ」

私はお母さんに抱きついた。今日は夏休み初日。田舎にある実家に帰ってきたわ。遠かったから、着いたのはもう夜の9時だけどね。26歳の私、笹原麻里絵ささはらまりえは、忙しい会社からなんとか抜け出して実家に帰ってきた。今日から3日間休みが取れたわ。大好きなお母さんと過ごせるなんて幸せ!

「麻里絵ちゃんったら。まだ甘えん坊なのね。仕事場でもこうなの?」

「やぁだ、お母さん。そんなわけないでしょーっ」

笑いながらふたりで和室へ向かう。お祖父ちゃんが作ったらしいこの古い家はもうボロボロだけど…思い出がギュッと詰まっているからホッとする。

「ねぇお母さん、この部屋って澄美枝が使ってた部屋だよね?」

「そうよ。あの子、いつも学校行かずにここで怪しげな怖い話とか、心霊現象の本を読んでたよね」

「あぁ、そうだったねー。中学でオカルト研究部作ってたよね」

懐かしいわ。今は大学でがんばっている5歳年下の妹の澄美枝すみえとの思い出話に盛り上がる。和室に入ってからも話は尽きることはなくて、お母さんとずっと話をしてた。お母さんの面白い話し方も、笑うときにできる愛らしいえくぼも昔と変わっていなかった。変わってるところといえば…私、いつの間にかお母さんの背を抜いちゃってたみたい。

「そういえばプリンちゃんに会ってないわね。連れてくるわね」

「あぁーっ!プリン、会いたい!!!」

プリンっていうのは、澄美枝が15歳になる時の誕生日プレゼントでやってきた犬のことだ。猫みたいな気まぐれ猫で、結構わがまま。食いしん坊の澄美枝とは気があっていつも遊んでいたけど、私はいつも睨まれて噛まれてた。でも、あの固い牙と目付きの悪さを思い出すとホッとするんだ。家族であることは間違いないし、機嫌が良い時にはつるっつるの舌でなめてくれたこともあるしね。そう、愛情表現らしいの!首のところを撫でてあげると嬉しそうに目を細めるの。毛はさらっさらで、お嬢様みたいなオーラが出てる(態度もデカイしねw)。

「麻里絵ちゃん、プリンちゃん寝ちゃったわ。最近体調が悪いみたいで、ずっと寝てるのよ。気持ち良さそうに寝てて、起こすのは可哀想だからまた明日遊んであげて」

「そっかぁ、残念」

私はそう呟くと、お母さんは眠そうにあくびをしてから言った。

「最近私、プリンちゃんと一緒に早く寝ちゃうのよね。ご飯準備するから、麻里絵ちゃんも、ご飯食べてお風呂入って寝なさい」

「うん!今日のご飯はなに?」

お母さんはフライパンを手に、こう言った。

「肉じゃが」

わーっ!肉じゃがは私の大好物なの。お母さんが作る肉じゃがは、レモンをかけて食べる、和洋折衷の料理。あぁ久しぶり!あぁ嬉しい!

「やった!お母さんの肉じゃが、ほんっとに美味しいもん。昔は澄美枝と肉じゃがの取り合いしてたぐらいだったよね」

お母さんが懐かしいねぇと呟いてふふっと笑った。私は久しぶりに田んぼ道を歩いて棒になった足をなんとか立ち上がらせて、台所に行く。釜で炊かれた熱々のご飯をお椀によそう。少量のお米が残っていて、ふんわりと甘い香りが立ち上った。小さい頃から大好きだったおこげが貼り付いている。やった。

「麻里絵ちゃん、さっきから携帯がブーブー言ってるわよ。電話でも来てるんじゃない?」

お母さんが優しく笑って私を見た。鞄に入りっぱなしになっていたスマホをチェックする。お母さんが言う通り、LINEの通知がたくさん来ていた。私でも気付かなかったのに。お母さんの耳はすごくいいのね。

「あ、澄美枝から電話来てる。LINEも来てる。『連絡ないからちゃんと着いてるか心配だよ~』…だって」

「あら、じゃあ電話したら?」

「うん。そうする」

スマホを操作して澄美枝に電話をかける。

テゥルルルル…

テゥルルルル…

テゥルル…

3コール目で明るい声が聞こえた。

『はい、笹原です』

「澄美枝?私よ」

『あっ!お姉ちゃん?!家に着いた?』

「着いてるわよ。1時間前くらいにはね」

『そうなの?もーっ、連絡ちょうだいよー』

「ごめんごめん」

『…お母さんは、大丈夫?』

「…大丈夫ってどういうこと?」

『えっと、ボケてないかな、とか元気にしてるかな、とか』

「あぁ、そういうこと。ボケてるってひどい(笑)。お母さん、元気よ」

『そっか。お姉ちゃん、ほんっとに気を付けて!私、今合コン中だからもう切るから。またね!』

「す、澄美枝?ちょっ、待ってよっ!?」

ブーブーブー

一方的に電話が切られた。どうしたんだろう。すごい慌てぶりだ。優しい澄美枝は、いつも私の長電話につきあってくれるのに。最近は電話していなかったから、久しぶりに話したかったんだけど…。澄美枝いまだに彼氏がいないらしいから、必死なのかな。合コンがあるんならしょうがないわ。

「澄美枝、もう電話切っちゃったよ」

電源を切ると、画面が暗くなった。そのとき。

「ひっ!」

画面の中に怪物が映った…気がした。私の後ろに、毛が茶色くて目が青く光っている、大きな怪物がいたように見えたのだ。背筋がゾッとした。けど…。目を閉じてからもう一度目を開けると、そこには不思議そうな顔をして立っているお母さんが映っているだけだった。なんだ、びっくりした。見間違えか。私がホッとしてお母さんの方を振り返ると、お母さんは首をかしげて笑った。

「もう電話切っちゃったのね…。というか、麻里絵ちゃん、どうしたの?」

お母さんが優しく微笑んだ。

「あ、なんでもないや。化け物が見えた気がしたの。それだけー」

「疲れてるんじゃないの?長旅だったしね、今日はゆっくりしてね」

「ん、ありがと」

私は頷いてから、お皿をを机の上に並べる手伝いをした。そして、何年も使っていなかった花柄の椅子に腰を下ろした。


久しぶりのお母さんのご飯は、とんでもなく美味しかった。

「ごちそうさまでした!」

疲れで幻覚を見ていたことも忘れて、私は笑顔で手を合わせた。

「美味しかった!」

「そう」

小さい頃から食べるのが遅い私。今日はいつもより早く、1時間程度で食べ終わることができたけれど、お母さんは遅い、とイライラしていたみたいだった。私がこの家に住んでいた時は、どれだけ遅くても私を待っていてくれたんだけど…。

「麻里絵ちゃん、もうお風呂入ってきちゃいなさい」

お母さんはテレビを見ながら、小さい声でそう言った。バラエティー番組で、今は一時流行っていた芸能人がネタを披露していた。ネタ切れなのか、全く面白くない。お母さんは香りの良いコーヒーを飲みながらつまらなそうに画面を見ている。時々あくびをしてウトウトしているから相当眠いんだろう。

「…はーい」

私は当たり障り無い返事をして、スマホとタオルとパジャマだけ持って、リビングを出た。


私は懐かしい匂いのする狭いお風呂の中に入った。

チャポン

湯気が立ち昇るお風呂は熱くて、ゆっくりじゃないと入れなかった。

「ふぅ…」

ここへ来ると、なんだって忘れられた。そうだ、小さい頃は澄美枝と一緒にお風呂に入ってたくさん恋バナしたんだったなぁ。うちは夜、お母さんが一緒に寝に来たから、コッソリおしゃべりできなかったからね。あぁ、なんて懐かしいのかしら。ずっとここにいたいわ。…木とシャンプーの匂いがふわりと香って、なんだか眠たくなってきた…。


テゥルルルル

テゥルルルル

テゥルルルル…

はっ!知らないうちに眠っていたみたい!ん?電話?お風呂の外から、電話のなっている音が聞こえた。慌てて立ち上がる。急いで扉を開けて、急いで画面を見る。

中井悠里なかいゆうり

寝起きでしょぼしょぼする目を擦り、がらがらしてる喉を軽く叩く。嬉しくてにやけてしまいそうになる頬を押さえて電話に出る。

「悠里?私だけど」

悠里っていうのは大学が一緒だった、私の恋人だ。優しくて頭が良い人気者の悠里は、いつも私の心配をしてくれる自慢の彼氏。結婚の約束だってしている。でも、恥ずかしいからお母さんにも友達にも交際していることは伝えていない。

『麻里絵!どうして着いたよって教えてくれなかったの?心配してたんだよ』

「ごめーん。お母さんと話してたらつい夢中になっちゃって」

『麻里絵、おっちょこちょいだから、事故ってないかヒヤヒヤしたよ。無事ならよかった。帰りも気を付けて帰ってこいよ?早く会いたいな』

「ふふ、私も早く会いたいわ。っていうか、お母さんにもおっちょこちょいって言われた。悠里、お母さんみたい(笑)」

『www』

「悠里、今何してるの?」

『寝ようとしてたとこ。麻里絵は?』

「私はご飯終わってお風呂入ってるわ」

『そうなんだ。ごめんゆっくりしてたのに』

私はブンブンと首を振った。

『そうだ麻里絵。さっき澄美枝ちゃんが俺んち来て、お姉ちゃんに早く帰ってきてって伝えて、って言われたんだけど…』

澄美枝は私の恋人が悠里だってことは知っていて、澄美枝も悠里がお気に入りだからよく一緒にゲームしているっていう間柄なんだけど。ん?澄美枝、合コン中なんじゃないの?早く帰ってきてってどういうこと?

「澄美枝が?さっき電話来たわよ?合コン中だからってすぐ切られちゃったけど。どういうこと?」

『澄美枝ちゃんお疲れ気味だよ。目が血走ってて、すごく痩せてたよ。今日は合コンも行ってないんじゃないかな?麻里絵も俺もだけど、最近はどの会社も忙しいからな。今まで以上に仕事をさせられて、澄美枝ちゃんは気持ちのコントロールができていないんじゃない?』

「よく分からないけど、澄美枝大丈夫なの?…心配だわ」

『…俺には何も分からない。麻里絵と話すのが一番いいだろうから、早く帰ってあげて。俺のことは後回しで良いから』

「ありがと悠里」

『うん。…でさ、麻里絵。もう12時になるから一回電話切っちゃうよ?明日話そーぜ』

私はお風呂の時計を見た。嘘だ…。お風呂に入ったのが11時で、もう一時間もたってるじゃない!

「そ、そうね。悠里も明日仕事あるのにごめんね」

『ううん、平気。名残惜しいけど…またな』

「うんまたね。澄美枝をよろしく」

『ん。大好きだよ麻里絵、おやすみ』

「ふふふ、ありがとう。私もよ、それじゃあおやすみなさい」

画面が暗くなった。悠里が消したんだ。途端に一人っきりだという寂しさが私を襲ってきた。私は大急ぎで長い髪にコンディショナーをつけた。悠里の好みに合わせて髪の毛はクルクルに巻いてあるから、絡まらないように丁寧にてぐしをした。


「ごめんなさいお母さん!」

お風呂を出てリビングに行くと、雑誌を読みながらみかんを食べているお母さんがいた。まだ起きてたんだ、寝てないんだ!

「大丈夫よ麻里絵ちゃん。麻里絵ちゃんが綺麗になったんだから。」

「?」

綺麗にって…お母さん、どういうこと?私が首をかしげても、お母さんはうっすらと微笑んだだけだった。

                       <第2話につづく…>                                                 

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