第2話『ヒューゲン・ダイク』

 心地よいヒューゲン・ダイクの編曲がきこえる。パイピングオルガンの音が天上へと舞い上がっていく。私はおそらく目をつぶっている。いや目をあけている。白肌に黒いものを着た人のような形状をした物質、いや物体が動いている。ように見える。おそらく経験上、感覚上、私よりかなり小さいものが動いている。かなりなめらかに。比較的優雅に。ただ生命感が全くない。黒いものの上に鈍く光った鼠白く丸いものがのっかっていて、節操なく小刻みに縦に揺れている。ヒューゲン・ダイクに合わせて。右の手は反対側の手と比べてひとまわり大きい。ように感じる。右の手に細く鼠白いおそらく軽い棒をもって軽くふっている。ヒューゲン・ダイクに合わせて。そう見えるように感じる。もちろん生まれて初めての光景。拒否する脳を脳自身が拒否している。見えている感じ。見えていると想う。経験を信じると見えている。経験を捨てると見えていると感じる。そんな変な感じ。なじまない。


 私はいちから世界をとらえなおさねばならないのかもしれない。それを脳が感じ、拒否しているのだ。何かが私に問いかける。今居る世界は現実?あるいはエーテル?彼らの境界はどこにある?私たちが今居る世界において、現実とエーテルの境界があいまいになっている。いや、そもそもあいまいなのだ。はっきりした境界があるわけではなく、ケミカルでいうところの平衡状態といったイメージが近いか。森羅万象が現実とエーテルをいったりきたりして、トータルとして質量的にあるいは確率的に仮の境界線が引かれているに過ぎない。つまりヒューゲン・ダイクに合わせて小刻みに揺れる小さいものが、絶対的に見えているのか、あるいは見えていると感じているだけなのか。その境界線は自分でひかざるをえない。自分の感覚装置、経験が正しいという保証はあるのだろうか。経験は時の経過とともに増え続け、ひとつひとつは薄らいでゆく。外乱も加わり、虚も増える。細部にわたる経験とのつながりがなくなり、そして合理主義に殺される。本当にそう遠くないうちに、境界がなくなる。ヒューゲン・ダイクに合わせて小刻みに揺れる鼠白く丸いものが笑っているように見える。笑っているかどうかは、本人にしか分からない。いや、本人にも分かっていないかもしれない。オーケストラの指揮者のように軽く振っていた棒を止めてほうりなげる。永遠の時間をかけて棒が落下する。


「この世でもっとも恐ろしいものは何ですか?」

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