短編『夢の子』

ひどみ

本編

 嗚呼、寒い……。


 私はいびきをかいて寝ふける彼の布団にいそいそと潜り込んだ。

 さっきつけたばかりの暖房が部屋全体に効くまでは多少の時間がかかりそうだ。小太りの彼はわたしよりかなり体温が高くて、暖房を嫌う。冷え性の私を気遣うことも出来ないのかと口を尖らせるも取り合ってくれず、いつも温度調節で喧嘩になる。


 まあいい、今はこの人間湯たんぽで我慢してやろう。むぎゅ。


 湯たんぽは「んん」と小さな呻きを上げる。

 なんだ、意外と可愛いじゃん。

 何度目か分からない感想を彼の腕と一緒に抱いて、私はいつの間にか眠ってしまった。


 ✿ ✿ ✿


 今日の私は本当に幸せ者だ。

 配信アプリで知り合ってお付き合いを始めた彼氏くんとお家デートしてるんだから。一緒に映画を見て泣いて、お料理して、食べる時にあーんまでしてもらった。

 彼はすっごく優しい。少し変わっているけれど、頭のいい大学を出ていて聡明なところが好き。それなのに自慢げにひけらかさない謙虚さ。最高か。

 こんな何もない私が彼女でいいのって聞いたら「お前がいいんだ」っていつも頭を撫でてくれる。控えめに言って、大好きかもしれない。

 初めてのお泊りでちょっとそういうこと期待してたけど、私がシャワーに入って髪を乾かしてるうちに疲れて寝ちゃったみたいだ。机とベッドしかない殺風景な寝室に、私の恋人と二人きりなのはドキドキする。でも今で十分幸せなのにこれ以上を望むのもワガママなのかも?

 それにこういうダラダラと過ごし何気ない時間が素敵だってこと、彼が気付かせてくれたんだ。いや待て、彼の寝顔にうっとりする自分の顔はキモくないだろうか。

 そう考えると顔が熱くなってきたので、狭いシングルベッドの外側に失礼する。

 ああ、本当になんて幸せなんだろう。ニヤけが止まらない。

 ずっと彼の背中の温もりを感じていたいけど、時計を見ればすでに0時を回っていた。さすがに寝よう、明日は二人でショッピングモールにお出かけだし。

 そう言い聞かせて目を閉じた。


 一度寝たはずの私が真夜中に起きてしまったのは、なぜか聞こえるはずのない赤ちゃんの泣き声が聞こえたからだった。

 これは気のせいじゃない、多分。

「ねぇ」

 恐ろしくなって声をかけてみると、彼も起きていたらしく目が合った。

 彼が無言で私を毛布でくるんで隠したから、私は暗闇で何も見えなくなる。視覚が遮断されて余計に泣き声がクリアになる。

 すると彼はベッドからするりと抜け出した。行かないでと止める暇もない。

 足音を追ってこっそりのぞき見ると、彼の向こうで赤ちゃんがハイハイしている。標準よりもかなり小さかった。やばい、これは本当にやばいやつ。

 その瞬間、


「あっち行け‼ ふざけんじゃねえぞ‼ お前が来る場所はここじゃねえ‼ 帰れ‼」


 と彼の酷くゲスの利いた罵声が轟く。

 私は反射的にぎゅっと目を瞑った。驚きのあまり心臓が飛び跳ねそうだった。

 普段の温厚な彼からは考えられない。どうしちゃったんだろう。

 だけどそれから彼は何事もなかったかのように布団に戻り、私に何も告げないまま、寝息を立て始める。ええ、赤ちゃんは? もう、いいの? との困惑が襲いかかる。

 あまつさえ今度はスリッパで床を滑るような音まで聞こえ始めた。

 スッ、スッ、とそれは近づいたり離れたりを繰り返す。赤ちゃんと違って何も言葉を発さないけれど、部屋の中を歩き回っているらしい。彼はゆすっても起きない。

 一回使ったらチャージが必要な武器か、あんたは。頭の中の私がが、妙に冷静にそんなことを考える。

 もう一体、何がどうなってるの。お願いだから誰か助けて。

 スリッパの音が止んだ。それもかなり近くで。嫌な予感がする。体は震えているのに、見たらダメだと分かっているのに止められない。

 恐る恐る『それ』を盗み見れば、白のロングスカートを履いているようだった。


 ……ってことは女の霊?


 自分で考えたくせに、霊という単語に反応して体がぴくりとうねる。

 もう、無理。どうにかするのはやめた。

 目を閉じて、朝が来るのを待とう。眠れなくても目を閉じて知らないフリするんだ。

 嗚呼、長い夜になりそう……。


 ✿ ✿ ✿ ✿


 寝れん。寒くないのに。なぜか。

 隣の畜生が他人様の迷惑も考えず、盛大ないびきをかいて爆睡をかましているからだ。

 要するに私は夜だけは飼いならしていたはずの人間湯たんぽに眠りを阻害されたわけだ。

 だがまあ、今回はよくやった。お手柄だぞ彼くんよ。何てったってあの悪夢から私を解放してくれたんだから。

 とは言え、まだ怖い。

「なあ、起きて」

 シーンという効果音って本当に聞こえるんだなと思った。揺さぶっても顔をぺちぺち叩いてみても音沙汰なし。まあどうせ彼は霊感もないし、信じてくれやしないか。

 うむ、仕方ない。かくなる上は母さんに縋るか……。

 非常識な時間だと分かってはいるけど、娘も非常事態だ。

 何コールで出てくれるか不安だったが、いざ電話を鳴らすと、意外にもすぐ眠そうで少しいらついた母さんの声がスマホから流れた。

 いやはや申し訳ない。

 何某かがかくかくしかじかだと事の顛末を説明すると、母さんはため息をついた。

「あんた、それきっとどこかの水子でしょ」

 水子。流産や他の何らかの原因によってこの世に生を受けることが叶わなかった悲しき胎児のことだ。

 でも私はおろしたことも無ければ、妊娠したことすらない。

 母さんの声を聞いて少し気が晴れたので、ありがとう、とお礼を言って通話を切りスマホを机に戻す。


『じゃあ、誰の子?』


 ぞわりと嫌な感触が背筋を一筋に駆けた。夢の中で霊が立っていた場所に目をやると、なぜか床がびしょびしょに濡れていて、女のものであろう長い髪が大量に散乱していた。

 有り得ない。私も彼も、髪は短いのに。

 もっと嫌な気配がして顔を上げると、そこにはさっき夢で見た霊がいた。

 その顔から目を離せない。

 だってそれは、亡くなったはずの、私の元親友だったからだ。

 彼女はうつろな瞳を私に向ける。恨めしいというより忌々しい、そんな表情。

 そうして何秒対峙したか分からなくなった頃。

 私はどうしてか乾いた笑いが漏れ出して抑えられなくなっていた。いや、本当はその理由を私はよく知っている。


 ふふっ。こんな形で再会するなんて。

 あんた子供いたんだね。

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