第84話 再臨の女神さま

 幸か不幸か、居心地の悪い緊張に満ちた時間にも、いつか終わりがやってくる。

 少しすると教会側に続くドアが開き、助祭さんがやってきた。

「一同揃いました」と、恭しい態度で応対する助祭さんに、「わかりました」とリーネリアさま。お声には不安そうな感じが、やっぱりまだある。

 しかし、ここまで来ると、俺にできることは……

 と、そこでひとつ思い出した。


「リーネリアさま。このまま向かわれますか? それとも、みんなの前で顕現なされますか?」


「えっと……」


 まずは俺だけ出ていって、みんなお前で顕現した方が、やっぱり雰囲気は出ると思う。それに、場の主導権も握りやすいのでは――

 と思っていたけど、リーネリアさまのお考えは違っていた。


「このまま行きませんか? その、前とは少し趣向を変えると言いますか……」


 おずおずと提案なさるリーネリアさま。もしかすると、前と同じように進めることに抵抗を感じられているのかも。悪いジンクスというか。

 ともあれ、ご意向を示していただいたのならそれに従うまでだ。


 俺と教会のお二方が見つめる中、何度か深呼吸をなさったリーネリアさまは……

 やや困り気味の苦笑いで「では、いきましょうか」と仰った。


 教会の方は、とても静かだった。騒がしくしないようにという気遣いがあっての事だろうか。

 ただ、静かに待つばかりだったみんなも、普通に歩いてきた俺とリーネリアさまには意表を突かれたようだ。目を見開いたりポカンとしたり。

 これはこれで、イニシアチブを握れてちょうど良かったのかも。


 静けさが包み込み、緊張した目に見守られる中、俺とリーネリアさまは祭壇中央の演台へ。

 俺まで息苦しささえ感じそうになる緊張感の中、意外にもリーネリアさまの方から、心の中で話しかけてこられた。


『あの、ハルべールさん』


『なんでしょうか』


『……不躾なことを言うようですが、この場ではこうした心の声を控えていただければ、と』


 意外なお言葉を受けて、口から「えっ」と声が出そうになる。いざとなれば、他の誰にも聞こえない密談で陰ながらサポートを、という話だった。

 となると、俺に何か気に障る部分とか――


 あってもおかしくはないか。押しが強かった自覚はある。


 しかし、恐縮する想いとは裏腹に、リーネリアさまの真意は別にあった。


『ハルベールさんの助けがあると思うと……いつまでも甘えてしまいそうで』


 こう言われては、差し出がましい助けの手も不要だ。


『では、助けを求められるまで黙ってますね』


『はい……心細いですが』


『大丈夫ですよ』


 それだけ伝えてから、俺は心の声を我慢して、自分の内に留めることにした。

 俺たちだけの、最後の作戦会議を終え、リーネリアさまが今一度深く深呼吸なさる。「いよいよ」という空気を感じとったのか、空気がより一層に張り詰める中……

 リーネリアさまが、ついにみんなに向けてお言葉を放たれた。


「ほ、本日はお忙しい中お集まりくださり、ありがとうございます!」


――まずはこういう挨拶から入られるあたり、やっぱり神さまっぽくはない。

 でも、こういうご挨拶が、ご自分のペースをつかむための手順のようにも思える。

 やっぱり意表を突かれたようにしているみんなへと、リーネリアさまが本題を切り出されていく。


「私は……皆様方もご存じの通り、無名の神の一柱です。そんな私の使徒でありながら、《昇進の儀》にまで至ったのは、ハルべールさんただひとりでした」


 聞き手のみんなに、驚きは感じられない。「やはり」ってところだろう。

 ただ、リーネリアさまのお言葉の端々から、ご自身への卑下の念が伝わったのかもしれない。耳を傾けているみんなの方から、なんともいたたまれないような雰囲気が伝わってくる。

 この空気を、肝心のリーネリアさまがどのように捉えられるかというと……神のみぞ知るってところだろうけど。

 気を揉みながらも声を出せない中、平静を取り繕う俺の横で、リーネリアさまのお話が続く。


「人前でお話しさせていただく機会そのものが珍しかったものですから、何かと聞き苦しい部分があるかとは思いますが、そこはご容赦いただければと存じます」


 と、ヒト相手の会話経験の少なさを打ち明けられるリーネリアさまだけど、お立場に不釣り合いなほどへりくだった言い回しには淀みがない。

 こういうところも、なんだかおいたわしく思ってしまう。

 そんな俺の胸中はさておいて、リーネリアさまは一呼吸置かれた後、みんなへと本心を語ってくださった。


「先の儀式は……私にとっても初めてのことでしたから、本当は心待ちにしていました。ですが……」


 一区切り置かれると、お言葉の続きには若干の時間を要した。あの時の事を思い出され、気落ちなさっているのが俺にも伝わってくる。


「――いざ、その時を迎え、皆様方を前にしてみると……緊張のあまり、頭の中が真っ白になってしまいました。ハルベールさんにとっても、ハレの舞台だというのに。戸惑うばかりの自分が情けなくて、情けなくて……」


 きっと言い出しづらいお話だろうに、リーネリアさまのお言葉は、聞き間違えようのないくらいハッキリしたものだった。

 神の一柱としてのご自身の名誉も顧みず、ただただ率直で、誠実であらせられる。


「『やっぱり、私には不釣り合いな方ではないか』と、あの時は心底、そのように思っていました。今も……釣り合っていると、胸を張って言うことはできません」


 お言葉に場が少しざわついたけど、俺は不思議と落ち着いて受け止めることができていた。

 まだ、俺に対して気後れなされていると聞いても、「でしょうね」って感じだ。

 だとしても……俺は「これっきり」なんかにしたくはないと思っているし――

 心の中で伝えずとも、同じ気持ちでいてくださった。


「それでも、ハルべールさんは……こんな私の勇者でも構わないと、そう言ってくださいました。この、千載ー遇の好機を……手放したくはありません」


 お立場からすれば、ご自身を卑下するお言葉は言いづらいものだろう。

 でも……ご自身のお気持ちを素直に表現する方が、よほど言い出しづらいものだったのではないかと思う。

 秘められたお思いをみんなの前で打ち明けられた事実に、俺は不思議と震えを覚えた。


 落ち着いた口調ながらも決意に満ちたお言葉の後、ややトーンダウンなされ、お話は結びへと向かっていく。


「至らぬところばかりの非才の身ではありますが……ハルベールさんをお導きする神として、精一杯務めさせていただく所存です。その点につきまして、どうか皆様のご理解を賜りたく……」


 そう仰って、リーネリアさまは深々と頭を下げられた。

 上下関係に厳しくないこの島では、滅多に見れないくらいに見事なお辞儀だった。つられて俺も、慌てて頭を下げると……


「ハ、ハルベールさんまで頭下げなくても……」


 と、小声で慌てて声をかけられた。みんなに聞こえてそうだけど……


「ま、いいじゃないですか」


 と、俺の女神さまだけに見えるよう、横向いてニコリと微笑むと、何も言わないでいただけた。

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