第8話 新概念
アンナさんちのブレークス製菓店とは、鍛冶屋をやってる親父との縁があって、
ご近所さんではないものの付き合いは長い。
それでも、食事までお呼ばれするのは初めてだ。
「いや、済まんねえ。ウチの娘が」
「二人とも無事で何よりだわ~」
大事には至らなかったということで、食卓の空気は和やかなものだ。おかげで気兼ねなく、料理を味わえる。
さすがは菓子屋というべきか、普通の料理もお手の物といったところ。テーブルに並んだ肉野菜炒めやスープは、食が進む絶妙な味加減だ。
ご一家の暖かな雰囲気も相まって、会話が弾んでいる内に、気づけばいつの間にか料理がなくなっていた。
でも、このご一家ならではのメインディッシュは、これからだ。
「じゃ、デザートといこうか」
にこやかな笑顔のおじさんが、イスからスッと立ち上がり、程なくしてフライパン片手に厨房から戻ってきた。パイやタルト向けの作りのやつだ。
そこにギッシリと詰まっている、照り輝く金色のきらめき。まだ甘い香りは届いてこないけど、見るだけでよだれが出てくる。
ウチの母さんも大好物の、リンゴタルトだ。
テーブルに置いたフライパンから、直接皿へと取り分けられる。それだけでも、職人作り立てという特別感がたっぷりだ。
「さ、召し上がれ」
にこにことしたおばさんに促され、俺はタルトの先をフォークで軽く崩し、口に運んだ。
最初に口の中で広がるのは、甘すぎないサッパリした味わい。口の中で舌を遊ばせ、しなやかだけどまだ弾力保つ果肉を噛みしめると、煮詰められた濃い甘みが
やがて、果肉を受け止めるタルト生地がほろほろと崩れ、食感と味を変化させていく。
出来立て直後ってわけじゃないけど、適度に熱を保っているおかげで、いつも買って食べるのとはまた一段違う一品だ。
しばしの間、俺は会話するのも忘れて、リンゴタルトの味に浸っていた。
「いやあ……そんなに旨いかな?」
おじさんが冗談めかして問いかけてくる。「そりゃもう!」と答えると、ご一家が揃って嬉しそうに笑った。
そうしてリンゴタルトを食べ進め、最後のひとかけが皿にポツンと
今までの俺だったら、あまり気にしていなかったか、気づきもしなかったかもしれない疑問だ。
「ハル君、おかわりはどうだ?」
皿の上のひとかけをじっと見つめる俺に、おじさんが問いかけてきた。
なにやら、最後の一口を名残惜しんでいるように見えていたのかもしれない。少し恥ずかしく思いつつフライパンにチラリと目を向けると、タルトはまだに2切れほど残っている。
だったら、いいか。今抱えている疑問のためにもちょうどいい。
「では、いただきます」
「うんうん、味わってくれてるようで、こっちも嬉しいね」
実際、嬉しそうな笑みを浮かべるおじさんが、俺の皿に追加の一切れを乗せてくれた。
さて……普通に味わうのとは、また少し違う感じの食べ方になって、それは申し訳なく思うところだけど、俺は疑問の解消に乗り出すことにした。
この菓子屋さんのリンゴタルトは、リンゴでできている部分が二つある。原形を留めている……コンポートってやつだったっけか?
それと、トロットロになっているジャム部分だ。
それら二つの味わいが、どうも微妙に違うように思える。単なる調理法の違いかもしれない。砂糖の分量とかも違うだろうし。
ただ、植物の味の違いっぽいのが見える力を授かった今、確かめている価値はあると思った。
追加の一切れを前に、まずはフォークでジャムっぽい部分を軽くすくって、口の中へ運んでみる。
やっぱうまい。これだけでも、朝っぱらからパンを何切れもイケそうだ。
もう少し集中し、単体で味わってみると、甘味が爽やかで意外と酸味が強いことに気づかされる。
目を閉じてみると、やっぱり例の星座が浮かび上がってくる。この、俺にしか見えないものを焼き付けるように味わい……
再び目を開けた俺は、原形を留めるリンゴ部分にフォークを突き立てた。
――あ~、超贅沢な食べ方だな、マジで。
この場にいない母さんに対し、なんとなく悪いな~とも思いながら、俺はリンゴを口に運んだ。
先に訪れる味は、やっぱりジャムの部分。スッキリした甘みが口に広がる中、弾力を保つ果肉を舌で転がし、ジャムを舐めとっていく。
ひとしきり舐め終わると、果肉からほのかな味が染み出す程度になり、ジャムの存在感は完全に消えた。
そうした上で果肉を噛んでみると……違いを意識しているからか、リンゴタルトとして味わっている時よりも濃密な甘さが、口の中を支配した。
目に映る星座も、ジャム部分とは違うように感じる。
この違いは、砂糖の分量だとか、他の素材の存在によるものかもしれない。あるいは、加熱の方法や、その時間が違うのかも。
いずれにせよ、同じリンゴから、味も見えるものも変わっている。その原因が果たして何なのか?
リンゴ噛みしめ、勝手に頬が緩む中、俺はひとり黙して考え……ひとつの答えに行きついた。
プロに聞けばイッパツだわ。
いや、隠し味とか何とかの重要な秘密だったら、さすがに教えてもらえないだろうけど。
とはいえ、ここまで来たら聞かずに済ませるのもスッキリしない。俺は思い切って尋ねることにした。
「すみません、ちょっといいですか?」
「うん、どうした? もう一切れ?」
フライパンに残る最後の一切れを指さすおじさんに、俺は苦笑いを返した。
「いえ、気のせいかもしれないですけど……原形を留めてるリンゴと、完全に溶けてるところとで、味に違いがあるように思って。何か秘密というか、こだわりとかあるのかな~、と」
すると、ご一家は少し目を見開いた後、いたく感心したような視線を投げかけてきた。
「実際、違いはあるよ」と、おじさんが喜びあらわに口を開く。
「このタルトはね、果肉として使ってるリンゴとは別に、ウチで売ってるジャムも使ってるんだけど、それぞれ品種が違うんだ」
「『品種』、ですか?」
聞き慣れない単語を聞き返す俺に、おじさんは「ああ、まずはそこからだね」と言った。
何でも、この世にあるリンゴは、一種類だけじゃないらしい。
そこで、今度はおばさんが立ち上がって厨房へ向かった。
「ちょうどいいし、実物で説明しましょう」
「それもそうか」
そうしてテーブルに置かれたのは、包丁とまな板、それに2つのリンゴ。リンゴは、一方がずんぐりとしていて、もう一方はずっと小柄に見える。
種類が違うって話だから、育ち具合の差で、こうなった……ってわけでもないんだろう。元から、これぐらいの差がつくってことか。
ちょっどドキドキしながら、俺は切り分けられるリンゴを見つめた。ずんぐりした方を切り終わったところで、おじさんがはたと気づいたように口を開く。
「追加のデザートになるけど、まだ入るかな?」
「ダイジョーブです」
甘いもんに関し、俺は完全に母さん似で、別腹だからいくらでもイケる。このご家族も同じ様子で、一品二品と増えた程度では苦にしないらしい。
小柄な方も切り分けられ、俺の皿にはそれぞれのリンゴが二切ずつ置かれた。食べ比べてみなさいってことだろう。軽く頭を下げ、俺はリンゴを口に含んだ。
ずんぐりした方は、サクッとした歯ごたえだ。酸味はさほどでもなくて、甘みがずっと強い。たぶん、タルト生地に乗せる方のリンゴなのかなと思う。
こちらのリンゴの星座も、何となく覚えたところで、俺はもう一方のリンゴを口へ運んだ。
違いは明らかだった。まず食感が違っていて、こちらの方は果肉がもう少し密な感じがある。やや歯ごたえのある果肉を噛みしめると、溢れてくるのは甘酸っぱい果汁。先に食べたリンゴと比べると、酸味がずっと強い。
そして、星座の構成も違って見える。
どの星座が何を意味しているのか、さっぱりわからないのは相変わらずだけど。
星座の方は謎ばかりだけど、これらのリンゴが別物だというのは確かに実感できた。
「どうだったかな?」と問いかけてくるおじさんに、俺は小さくうなずいた。
「食べ比べてみると、全然違いますね」
「そうなんだよ」
どこか満足そうに微笑むおじさんが、例のリンゴタルトも絡めて細かな部分を語ってくれた。
リンゴタルトに乗せておく方のリンゴは、煮詰めても程よい大きさと食感を保ってくれて、甘みも強いものを。
一方、ジャムとして全体をまとめる方のリンゴはというと、サッパリとした酸味を持つ品種にして、味を引き締めるように。
これが、このお店のこだわりなのだとか。
「わかってもらえて嬉しいねえ」と笑うおじさん、おばさんもアンナさんもにこやかだ。
プロから味覚を褒められたようで、少し照れくさい。
もっとも、違いに気づけたのは【植物のことがよくわかる能力】という加護あってのことだけど……
ともあれ、「品種」という概念を得たことは、今の俺にとって大きな収穫だった。
☆
昼食を終えてアンナさんの家を後にした俺は、市場へ向かうことにした。目当ては植物、それも野菜や果物――
なんだけど、事前の予想通りというべきか、結果はそう喜ばしいものではなかった。イモ、ニンジン、タマネギ、キャベツ等々……どの野菜も、八百屋での取り扱いは一種類のようだ。
薄々わかっていたことではあった。イモで何種類も取り扱いがあれば、とっくの昔に品種って概念は知っていただろうし。
野菜だけじゃなくて、果物の方でも事情は変わらない。やっぱり、それぞれの果物につき、この市場での取り扱いは一品種だけの様子だ。
試しにリンゴを一つ買ってみると、味と食感はリンゴタルトに乗っている方だった。
となると、ジャム用のリンゴは、この市場以外から調達していることになる。島の外から直接買い付けているのか、はたまた、専用の農園とかが島内にあるのか……
品種という概念を知った今、リンゴタルトの謎が解け、代わりに別の謎が脳裏を占める。
買ったリンゴにかじりつきながら、俺は秋の空を眺めた。青々とした、吸い込まれるような空に、細切れの雲がたなびいている。
――島の外は、どうなっているんだろう?
みんな、品種って言葉を、当たり前に教わっているんだろうか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます