第6話 慣れた故郷の別の顔
錬金屋でガイド本を得た俺は、意気揚々と街の外へ向かった。
俺たちの街は、周囲を簡単な柵で囲ってある。入植したてで野獣やら魔獣やらに煩わされていた頃、この内側で家畜の面倒を見ていて、その名残なんだとか。
今となっては街のすぐ近くに魔獣が出るなんてこともない。見張りのおじさんも暇そうだ。気持ちいい秋晴れの空に向かって、大あくびなんてしている。
顔なじみのおじさんに一言、声をかけ、俺は街を後にした。
街は波止場からそう離れていない。少し歩けば海に着く。逆方向へ目を向けると、だいぶ歩いたところに木立が広がっていて、その奥に丘だの山だのが盛り上がっている。
一応、手引書を見てみるけど、やっぱり浜辺は植物探しには微妙らしい。初心者向けって感じでもない。それよりは、見るからに青々とした方へ足を運ぶべきだろう。
とりあえず、最初の内はあまり街を離れすぎないよう、近場を攻めてみるのがよさそうだ。本を見る限り、この辺りには知っておかないとヤバいような植物もないようだし。
本を片手に、俺は草原の中の道を歩いていった。
みんなが日常的に通るおかげで、ここだけ地肌が露出している。そのすぐ脇から名前もわからない草たちが体を張って、自分たちの陣地を主張している。
こういう草も、食えなくはないんだろーけど……さすがに食指が伸びない。
ひとまず、自分が初心者なのをいいことに、俺は「食える」と明記してある植物を目指すことにした。
しばらく道なりに進み、道が途切れてからは、くるぶし程まである草を踏みしめてまっすぐに。
時折、涼しい風が草を薙いで、ささやかな音を響かせる。
時期的には、少しよろしくないかもしれない。まだ秋口ではあるけど、これから実るのよりは、枯れていくものの方が多いからだ。
俺が授かったご加護は、他の神さまのご加護に比べると、季節の影響を強く受けるんじゃなかろうか。
ま……見方を変えれば、四季の変化をみんなより深く味わえるかも。
背を撫でつける、少し冷たい風に追われるようにして、俺は少し先を急いだ。
街から離れてそこそこ歩いたところには林があり、その中を清らかな小川が流れている。山から続いている渓流だ。日差しを受けてきらめいている。
小さい頃から遊び場にしていた場所でもあるけど、ご加護を授かった今となっては少し違って見える。
このせせらぎの脇を小岩や石が固め、小川からさらに離れた先に、湿った暗い茶色の地面が広がっている。
そんな中に、目的の植物があった。葉っぱは小さく、根元近くに二枚あるだけ。一方で茎はひょろりと長く、先には青色のちんまりとした花が。
ガイド本によれば、ミツツミという花だ。
軽く周囲を見回しても、同じ花は数えるのが面倒になるくらい生えている。一本抜いたところで、どうってことないだろう。
俺は本の勧めに従って、一本引き抜いてみた。手に伝わってくるちょっとした抵抗感が、ある一線を越えると急に弱まり、真っ直ぐな根が土からスッと抜ける。
この花を逆さに持ち、本に従って葉が生えている辺りで、茎を折ってちぎってみた。
すると、筒状の茎の中から、少しとろみのある透明な液体が、じわっと
ほんの少しだけためらいを覚えた後、俺は茎の断面を口に運び、恐る恐る吸い上げてみた。
島を探検した俺たちのご先祖様は、探索の中でこのミツツミを吸って、ちょっとした一服を楽しんでいたらしい。しかし――
味の方は、そんなでもなかった。確かに甘みは感じられるけど、それなりに青臭さもあって……全体的に薄い。
あんまり期待するなとか、本に書いといた方がいいんじゃないか。
あるいは、期待する方が夢見がちってことかもしれない。
味については肩透かしなものだったけど、少し考えれば「そうだよな」って感じだ。
子どもが飛びつくくらい甘かったら、俺たちだってとっくの昔にこの事を知っていたはずだし。
味の事はさておくとして、俺にはまだ確認することがある。新たにもう一本、ミツツミを手に取り、さっきみたいに口に含んだ。
ただし、今度は目を閉じて。
ほんのり甘い液体が口に入ると、期待通りだった。昨日の夕飯の時みたいに、閉じたまぶたの裏に、見慣れない星座たちが浮かび上がる。
ただ、今回のはすごくぼんやりとしている。
錯覚なんじゃないかと、疑問を抱いた俺は、ふと思いついたことがあってミツツミから口を離した。茎にはまだ蜜が残っている。
飲みかけをそのままに、俺はせせらぎから水をすくって口に流し込み、再び目を閉じた。さっき見えていたものは、清水とともに洗い流されて、きれいさっぱり消え去っている。
そこでもう一度、飲みかけのミツツミを口に含んでみると……
やっぱり、ぼんやりとしたものではあるけど、星座みたいなものが見えてきた。
もしかすると、味の濃さとか関係しているのかもしれない。味がついた水って印象だし。水で薄まって、その分だけ、見えるものもぼんやりしているのかも?
ということは、昨日のシチューをお湯で薄めてたら、もっとぼんやりしたものが見えていたのかもしれない。
さすがに、そんなことはやらんけど。
とりあえず、確かめてみる意味がありそうな仮説ができた。
考え事が終わったところ、蜜を飲み干されたミツツミの姿が目に入る。ふと気になって、俺は本を
茎の中の蜜を吸うとは書いてあっても、
ただ、「食うな」とも書いてない。
仮に食えないものだとしたら、そんなヤバイ植物の蜜を吸うことを勧めたりしないだろう。
たぶん、味はともかくとして、蜜以外も食えるはずだ。
本で言及がないあたり、まったく期待できないんだろうけど――俺は、物は試しと腹を
思っていたほどインパクトのある味はしない。妙な苦みと酸味で、口元に変な力が入って顔が渋くなるけど、食えなくはないって感じだ。
そして……いろんな意味で、こっちの方が本体なんだろう。水で薄まっていたような蜜よりも青々しい茎の方が、ずっとハッキリと、俺の中で鮮やかな星座たちを見せつけてきた。
なんなら、昨晩のシチューよりも鮮やかかもしれない。
あのシチューは植物だけでできてるってわけじゃないから、植物単体で食ってみた方が、ハッキリ見えるってことだろう。
相変わらず、こうして見えているものが何なのか、まったくわからないけど。
俺は目を閉じたまま茎を食べ進め……唇に小さな異物が触れたのを感じた。
花も食ったらどうなるんだろ?
ここまできてやらない意味もなく、俺はかわいらしい花も口に含んだ。
で、やっぱりと言った方がいいのか、見た目よりもずっと渋い味が口中に広がる。
味の方は褒められたものでもないけど、目を見張る部分もあった。茎とはまた別に、また新たな星座がいくつか見える。
食ったのは同じ植物だけど、見えてくるものが違うってことは……何だろ?
たぶん、味に関係あるのかもしれない。ただ、もっと他のものも関わっているような、そんな気もする。少なくとも、ひとつ確実に言えそうなのは――
俺が授かったこの能力は、同じ植物でも、部位によっては別物として扱っているんじゃないかってことだ。
そこで思い出したのは、この本をくれたジイさんのことだ。
錬金術で使う薬草は、植物まるごと使うわけじゃなくて、むしろ要らない部分を取り除くのが重要なんだとか。薬草を煮たり焼いたりすることもあって、そうやって必要な薬効ってのを引き出し、高めているんだとか。
俺のご加護で見えているものが、味の違いだけじゃないとしたら……もしかすると、薬草の中にあるはずの、クスリとして働いている何かも、このご加護で見えるようになるかもしれない。
初心者向けの本を渡された身としては、そういうプロ向けの草に手を出すのは、まだまだ早すぎるんだろうけど。
ともあれ、野菜を食うにしても、普段は食わない部分に手を付ける意味が出てきた。母さんには、変な顔されるかもしれないけど……
ま、捨てる部分が減ると思えば、悪いことじゃないんじゃないかな。
ミツツミを食べて新たな閃きのようなものを得た俺は、とりあえずこの辺りの野草を、ガイド本頼りに試していった。
その中でわかったのは、俺はミツツミに対して随分とナマイキだったってことだ。
本に「食える」と書いてある草花も、決してうまいわけじゃない。ミツツミの茎や花で、薄々感づいていたことだけど。
食べて悲惨な目にあうわけじゃない、そういう意味では食える。
でも、毎日の食事に適するかと言うと、そういう意味では食えたもんじゃない。
こういうのが食卓に出てくるとなると、色々なことを深刻に心配し始めると思う。
まぁ、野草に味を求めるのがどうかしているだけなんだろう。
そう思うと、普段食ってる野菜や果物が、なんだかすんごい奇跡の産物に思えてくる。本当に、普段はありふれすぎていて、ありがたみも何も感じないんだけど。
思わず顔が渋くなる草を食べ、口直しに清水を含んだ後、俺は木にもたれかかって伸びをした。まぶたを閉じては、星座を見るため凝らしていた目に、木漏れ日が優しくしみる。
未だに、見えているものが何なのかも、それどころか神さまのことだってよくわかっていないけど……
今まで何気なく触れてきた植物について、価値観が確かに変わった感じがあるのは、新鮮な心地がする。
――と、その時。森の奥から気がかりな音が聞こえてきた。せせらぎと梢のざわめきに混じって、かすかな遠吠え。野犬か魔犬か、何かだろう。
それが聞き間違いでないことを示すかのように、少し間を置いて別の音が耳に届いた。梢の枝葉が揺らされる音だ。
さすがに気になって、俺はもたれかかっていた木に登ってみた。
思っていた通りで、少し離れた森の中から、鳥の群れが一斉にはばたいているところだった。こういうのは良くあることで、こちらまで騒ぐようなことじゃない。
遠吠えの後に、もっと激しい鳴き声が聞こえてくるようだと話は別だけど。たぶん、犬同士の縄張り争いかなんかで、鳥がびっくりしたってだけだろう。
最初の内は、俺はそう深刻に考えなかった。
しかし、続いて聞こえた音には、無意識の内に体が身構えた。
森に満ちる、ささやかな音の重なりを切り裂く、甲高い音の信号。
人間による口笛だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます