第8話 帰宅途中

 赤色巨星ビッグレッドの天頂点ゼニスポイントから氏族船クランシップロイヤル・ザ・トーン=テキンが身を隠す小惑星帯まで、鈍足のトーン08と拿捕輸送船では三日掛かる。

 天頂点ゼニスポイントとは主星を便宜上の上方向へ見上げて各惑星との重力影響がつり合うポイント、物凄く大雑把に言うと星系の北極点のような宙域だ。

 ちなみに反対の「南極」側は天底点ナディールポイントと呼ぶ。

 この辺りの用語は、俺の中に植え付けられた21世紀の天文用語と齟齬があるため、宇宙を旅する時代に意味合いが変わった言葉だと思われる。


 まあ、こんな知識が必要なのはジャンプドライブ搭載船の航海士くらいのものなのだが、折角なのでもう少し薀蓄を垂れるとしよう。

 ジャンプドライブは重力の影響を受けやすく、制御にはエネルギーコストを必要とする。

 ゆえに出現地点には影響の少ないポイントが好まれるのだ。

 膨大なエネルギーを費やして力任せにジャンプアウトすれば理論上は恒星の目の前にだって出現できるが、とんでもない費用が掛かってしまう。

 宇宙船という金食い虫な経済システムを運用する以上、できるだけ安上がりに済ませたいのは全ての航海士に共通する意見であった。


 こういった戦士の身には不要な知識を俺が知っているのは、生まれる前に培養槽で刻まれたから、ではない。

 学んだのだ。


 21世紀の地球人の知識があるお陰か、俺はオークという種族と培養豚である自分の身の上を客観的に見る事ができた。

 その上で判断したのだ、俺が生き延びるには学習を重ね知識を積み上げるしか無いと。


 オークには生まれつき優れた戦士としての能力が備わっている。

 だが、それを以ってしても死が訪れるのが戦場だ。

 そしてオークは常に戦い続ける略奪種族であり、俺たち培養豚の雑兵は先鋒として投入されるのが定石であった。


 俺の生き延びる道は、使い捨ての雑兵ではない一廉の戦士として身を立てるほかなかったのだ。


 強靭な肉体を持っているのは他のオークも同じ、雑兵として埋没せずに成り上がるには俺だけの利点を得ねばならない。

 幸いにして、俺は他のオークに比べると頭を使う事、学ぶ事への忌避感がない。


 だから俺は知識を得る事に腐心した。

 21世紀の記憶だけでなく、現在の宇宙での知識、戦法、セオリー、雑学、そんなものを貪欲に求めた。

 幅広い知識を元に、その場その場の状況へ対応策を捻り出しながら、俺は今日まで生きてきたのだ。


 そんな知識の源泉は略奪品である。

 幸いにしてオークは書物や電子データの類にはまるで興味を持たない。

 他の同胞が略奪品の武器や美味い食料に目を奪われている間に、本や電子書籍を確保するのが俺のルーチンであった。

 それは雑兵の身を卒業し、ブートバスターを授けられた戦士となった今でも変わらない。

 ジャンプポイントから氏族船への移動時間は、俺にとって貴重なお勉強タイムであった。


「でもまあ、ファッション雑誌なんかは読んでもなあ……」


 慣性航行中のトーン08のキャプテンシートに座った俺は、一応目を通した雑誌を閉じる。

 拿捕した輸送船から回収した戦利品のひとつだ。

 俺が書物の類を好むと知っている舎弟たちは、戦利品の中でそれらを発見すると積極的に届けてくれる。

 その分、自分達の取り分が増えるからだ。

 まあ、今回は外れだったが。


 どんな知識も無駄ではないと貪欲に摂取しているが、標準的な地球系人類向けのファッション情報はオークのニーズから完全に外れすぎていて、流石に役に立つとは思えない。

 大抵のオークはツナギを思わせる素っ気ないデザインの軽宇宙服一丁で、お洒落なんぞ縁がないのだ。

 俺自身、野暮ったい緑色の軽宇宙服を愛用していた。


 ファッションに言及するのなら、オークにとっては薄手の宇宙服に浮き上がる筋肉の隆起が最大のお洒落ポイントと言える。

 ムキムキの肉体の誇示は、戦士の種族たるオークにとって「マジかっけえ」事なのだ。

 お陰で軽宇宙服すら着ずに、鍛えた裸体を見せびらかして過ごすオークも結構居る。

 頑丈極まりない肉体と皮膚に宿る葉緑素ベースのナノマシンを併せ持つオークは、宇宙空間に放り出されても三十分くらいは死なない。

 この宇宙種族としての強靭かつ雑な特性がオーク裸族を支えていた。


 最も、そんな裸族系オークでも下穿きの類だけは身に着けているので、最悪の見苦しさばかりは避けられている。

 股間丸出しで普段からブラブラさせているような馬鹿野郎は、弱点を切り落とされても仕方ない。

 必殺のマグナムは普段はホルスターに収まり、必要な時のみ火を噴けばいいのだ。


「フルトン、捨てといてくれ」


「うっす」


 ブリッジの隅、ダストボックスの前でベーコと「あっち向いてホイ」に興じていたフルトンへ雑誌を放る。

 慣性航行中の船内はゼロG状態で、俺の放った雑誌はふわふわと漂いながらフルトンの手に収まった。


「ごてごてとまあ、ぶあつくきこんでるっすねー」


 フルトンはペラペラとページをめくると呆れた声をあげた。


「ノーマルどもはひよわで宇宙に出るとすぐ死ぬからなー。

 着込むひつよーがあるんだろうなー」


 あっち向いてホイの対戦相手だったベーコも雑誌を覗き込んで、彼なりの見解を述べた。

 ちなみに、あっち向いてホイはオークの間ではメジャーな暇潰しゲームである。

 なんの道具もいらず、シンプルな反射神経勝負というのがオークの気質にハマっているらしい。

 物凄い勢いで豚面が上下左右に動き回る様子は、傍から見るとちょっと異様ではある。


「おっ、うすぎのぺーじもあるっすよ!」


「おほぉ! いい女ぁ!」


 トレンドの水着紹介ページに、雑誌を覗き込む二人は色めきだった声を上げた。

 グラビア誌ではなく、あくまでファッション雑誌であるためにモデルの身を包んでいる水着は上品で露出の少ないデザインだったが、女日照りの下っ端オークには大変刺激的であるらしい。


「兄貴! これ貰っていいですか!」


「あ、ずるいっす!」


「あー……いいよ、どうせ捨てるつもりだったし。

 どっちが持つかは相談して決めろよ」


「なら、しょうぶのつづきっす!」


「おう!」


 賞品を前にしたフルトンとベーコは一際熱を入れて、あっち向いてホイを再開する。

 その二人の傍らでは、下っ端舎弟三人衆の最後の一人ソーテンが腕組みの姿勢で居眠りしていた。

 ゼロGに身をゆだね、ブリッジ内をぷかぷかと漂いながら心地よさげないびきをかいている。

 緊急時に加速をすると危ないから、せめてシートに体を括りつけて寝ろといつも言っているのに、こいつは全然聞かない。

 無重力の中で眠るのが最高に心安らぐらしい。

 仮に急加速で壁に叩きつけられたとしても、オークの頑丈ボディなら何ほどの事もないので、もう放っておく事にしている。


「やれやれ……」


 無軌道にくつろぐ舎弟たちのお陰で、トーン08のブリッジは男子学生のたまり場染みた雰囲気を醸し出していた。

 かく言う俺も自室ではなくここで読書に勤しんでいる辺り、この雰囲気は嫌いではない。


「兄貴、そろそろバリケードです」


 一人、コンソールに向かいトーン08の状態を確認していたボンレーがナビゲーターシートから振り返った。

 その片手には齧りかけのチョコバーが握られている。

 傷だらけの豪傑面とは裏腹に彼は下戸で、甘いものが大好きだ。

 略奪品の中から発見されたお菓子の類は軒並み彼の元に集められていた。


「バリケードの回避パターンの入力は済んでるな?」


「もちろん、今週はEの8番です。 ちょいと遠回りですな」


 氏族船ロイヤル・ザ・トーン=テキンの周囲は天然の小惑星だけではなく、人為的に用意された障害物で護られている。

 バリケードと仇名される防衛網は砕いた小惑星や使い物にならない機械類、船舶の残骸などのいわゆるスペースデブリの類を定期的に撒き散らす事で構成されていた。

 無策で突っ込めばゴミにぶつかって大ダメージを受けてしまう妨害網だが、流石に運用側は回避用のコースを用意している。

 オークは馬鹿だが、それでもこの程度の芸当はできるのだ。


「よし、全員席に着いてシートベルトを締めろ。

 ソーテンの奴もシートに縛り付けとけ」


「りょーかいっす!」


 フルトンがいびきをかくソーテンを空いたシートに括りつける。

 同時にトーン08はわずかにスラスターを噴射してバリケードへの進入コースへ移行した。

 ブリッジの正面モニターに主星ビッグレッドの光を浴びて、赤く輝くデブリのきらめきが見える。


「ん……?」


 その中に、平べったい小型宇宙機が浮いていた。

 この宙域は完全にトーン=テキン氏族の勢力下であり、敵戦闘機という事はありえない。

 俺はひとつの確信を抱きながら、キャプテンシートのコンソールを操作してモニターを拡大した。


 全長10mもない、見覚えのある小型機の上に小さな人影が立っている。

 己の身の丈よりも長い一本の杖を右手に握ったその姿は、白いフード付きのポンチョですっぽりと覆われていた。

 予想通りの相手に、俺は思わず相好を崩す。


「お前ら喜べ、姫様が出迎えてくださるぞ!」

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