第二話「空色の瞳の美しい少年」

「あー、痛ぇ…」


 そして今頃になってようやく、擦りむいた手足に痛みを覚える。


 しかし裏通りの人間が表通りにいるとロクなことにならないことをよく知っているノアは、怪我の痛みをおして立ち上がろうとしたときだった。


「――怪我はないか?」


「っ!」


 思わず近くから聞こえてきた声に驚いて、ノアはその顔を上げた。


 その瞬間、空色の瞳と視線が交じり合う。


 そこにはノアの髪色と似た、煌めく癖のない金色の髪を揺らした美しい男が立っていた。


 ――いや、男と呼ぶには些か繊細な身体つきで、どちらかと言えば青年へと成長を進める少年の姿であった。


「いや、大丈――」


 無事を伝えようとして、ノアははっと我に返る。


 その少年は、誰が見ても明らかに上質なものと分かる服を身に着けていた。そして、少し離れた場所で停められた馬車が、彼が貴族であることをノアに教えていた。


「――道を遮るような真似をしてしまい、大変申し訳ありませんでした」


「………、」


 そう深く頭を下げたノアの態度の変化に、今度は少年が驚いたように目を見開く。


「………」


 ノアは頭を下げたまま、少年の言葉を待った。


 ――裏通りに住む人間は、表通りに住む人間の許可なく頭を上げてはいけない。


 それがこの帝国の、暗黙のルールだった。


 汚いものを見るような目で虐げられ、罵られて、ようやく裏通りへ戻ることを許される。


 それは、いつもノアが裏通りから見ていた、表通りに出てしまった裏通りの人間の行く末だった。


「………」


 しかし、いくら待てども、少年から何かしらの許しを与えられることはなく。


「………」


 その様子を伺うようにゆっくりと顔を上げれば、やはりあの澄んだ空色の瞳と目が合った。


「申し訳ありません」


「…そう畏まらなくてもいい。顔を上げてくれ」


 慌てて顔を伏せたノアにかかった、負の感情を一切感じさせない声。その声につられるように顔を上げれば、少年は薄っすらと笑みを浮かべていた。


「怪我をしているのだろう?君が派手に転がっていくのが馬車の中から見えた」


「…いえ、俺は大丈夫です」


「君が大丈夫だと言っても、私は自分の目で確認したい。危うく君を轢いてしまうところだった責任も感じている。…流石に、ここで怪我の具合を見ることはできないだろう?」


「………」


 裏通りの人間であるノアが、いつまでも表通りにいることなど許されない。


 しかし目の前の、一目で貴族と分かる少年を裏通りに連れてゆくわけにもいかない。


 かと言って、少年がこのまま引き下がるとも思えない。


 ならば、ノアが出す答えなど初めからひとつしかなく。


「さぁ、馬車に乗って。大丈夫。私の屋敷へ行くだけだ」


「………」


 ノアは渋々、少年と同じ馬車に乗り込んだ。


 御者に嫌悪の視線を向けられる覚悟をしていたノアは、意外にもあっさりとした御者の様子に拍子抜けする。そして走り出す馬車の中で、放った布袋や次の客のことを思い出し、そしてこれから自分がどうなるか考えながら揺られていた。

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