彼は何を悔いていたのか

@ko-be

1話完結

 ジリジリとした暑さが何もしていないにも関わらず体力を奪っていく。夏もそろそろ終わるというのにこの猛暑は一体いつまで続くのだろうか。暑さに耐えきれずクーラーのリモコンを手に取ると、妻のじっとりとした目がこちらを睨んでいた。

「そんな目で見るなよ。電気代はかかるけどさ。さすがにここまで暑いのを我慢してたら熱中症になっちゃうだろ?」

 なるべくきつい口調にならないように言ったつもりだが、妻は頭を振って大きなため息をついた。あからさまにこちらに聞こえるような素振りに、部屋の暑さも相まって腸が煮えくり返る様な怒りが湧く。

「ため息つきたいのはこっちだよ。」

 お返しにとギリギリ聞こえる程度の声で反論するが、既に妻は居間を立ち去っていた。きっかけは夏の旅行だった。二人とも少し長く夏休みが取れたので、どこか旅行でも行こうかと計画していたのだが、急遽仕事が入ってしまいキャンセルしてしまった。直前のキャンセルだったので宿代も戻ってこず、今年の夏は最悪の思い出となってしまった。それ以降ずっと機嫌が悪く、冷戦状態となってしまっている。何とか仲直りをしたいが、取り付く島のない妻の態度に神経を逆なでされてしまう。それに他にもストレスの溜まることがあり、なかなか腹を割って話ができていない。それが、これ。

「ま~だ喧嘩してるんですか?いい加減謝ればいいじゃないですか。ごめんって言う位子供でもできますよ・・・。おーい。聞いてますかー。無視してないで、返事してくださーい。そういうところですよー。直さないと仲直りなんて夢のまた夢ですよー。もしもーし・・・。」

 背後から聞こえてくるうっとおしい声を無視するが、まるでラジオのコメンテーターのようにしゃべり続けてくる。シンプルにうざい。

「うるさいなぁ。ほっといてくれよ。というか、よそ様の家庭の事情に口を突っ込むなよ。」

「突っ込みますよ。嫌が欧にも見てないといけないんだから。さっさと仲直りしてもらわないともどかしいんですよ。」

 振り返り黙っていてほしい旨を伝えるが、相手の減らず口は止まる気配がしない。そこには白装束に黒い袴を着た金髪の若い男が立っている。襟は普通とは逆にしてあり、着物の隙間から見えるうなじや手首などは異様なほど白い。三日程前だろうか。居間でテレビを見ていると、誰もいないはずの背後に誰かの気配を感じた。恐る恐る振り返ると、キッチンの冷蔵庫をあさり、朝食の残りのバナナを食べているこいつがいた。こちらを見ると一言。

「あ、いただいてます。」

直ぐに警察を呼ぼうと思ったが相手にされず、妻に知らせるが訝し気な目で見られるだけで終わってしまった。信じられないがどうやらこの男は幽霊の類らしい。出会った、いや、見えるようになってから常にこんな風に妙に明るく、なれなれしい態度に力が抜けてしまう。どうやら自分に憑りついているらしく、家を出ても付いてくる。初めのうちはネットで調べてお祓い等を行っていた。しかし、調べ物の最中はニヤニヤと笑い、塩を撒いたりしたときは腹を抱えて笑われてしまう。そんなことを何度も繰り返しているうちに、もういいや。付き合うだけ無駄だと思うようになってしまった。

「なあ、お前一体何なんだよ。生前関わりも無いだろ。一体なんだって俺なんかに憑いてるんだ?」

「うーん。なんだと言われても。僕は僕なんですが。まあお盆ですからね。こんな事も有りますよ。」

「お盆だからってあってたまるか。なあ、なんか死んでも死にきれない後悔とかあったんじゃないのか。それを俺にやってもらいたいとか。」

「いや、別に後悔は無いですね。思うがままに過ごしているので。」

(だろうなぁ・・・)

「あぁ、でもやってもらいたいことはありますよ。」

「なんだ?言ってみろ。」

「奥さんと仲直りしてくださいよ。」

「お前には関係ないだろ。」

「いやいや、さすがにずっと一緒にいるから気になりますよー。」

「しらん。」

 成仏させるために聞き込みをしていたら余計なことを言われてしまった。人間、嫌なことを指摘されると気分がささくれ立ってしまうものだ。表に出てしまった機嫌の悪さを飲み込むべくキッチンに向かいコップに水を灌ぐ。浄水器を通したものの塩素臭さが残る水は、夏だからか生ぬるく、あまり爽快感は無かった。こいつのためというわけではないが、このまま喧嘩したままというのも確かによくない。アイツが帰ってきたらちゃんと話すか。

「せっかくの夏休みなのに散々だ。」

 ポツリと本音が零れるが、返答は無い。ちらりと居間を見ると、テレビを見て笑っている幽霊がいた。忌々しい。 

 夕方、日も沈みそうになったかという頃に妻が帰ってきた。玄関まで出迎えようかと思ったが、慣れないことで照れくさく、やっぱりやめた、いやいややっぱり・・・などと思っているとそのまま自室に引っ込んでしまった。後でいいかと考えていると、横からジトーとした目がこちらを覗いていた。

 は や く い け

(うるさい。)

 はぁ。とため息を吐きながら仕方なく決心する。確かに旅行のドタキャンは自分が悪い。誠心誠意謝れば許してくれるだろう。下手にとりつくろわずに直球で行こう。そう思いながら妻の部屋の前までやってくる。隙間なく閉められた扉は自棄に重く、何とも入りづらい。コンコンとノックをするが返事は無い。だがシンッとノックの後に物音がなくなったことから耳を傾けていることは伝わってきた。

「・・・あー。ちょっといいか。旅行の件だけど・・・悪かった。仕事とはいえ、あんなにいろいろ準備してくれたのにキャンセルしてしまって。申し訳ない。休みの予定があんなに長く被ることなんて珍しいんだし、もう少し仕事の方を調節することに力を入れるべきだった・・・。」

 部屋からかすかに衣擦れの音が聞こえる。恐る恐る、といった感じでこちらの方に気配が近づいており、何となく妻の方からも申し訳なさを感じる。癪ではあるが、やはりちゃんと謝ってよかったかもしれない。ほっと一息ついて少しリラックスできた。

「ま、まあ仕事なんてその時無理にやらなくても別の日にもっと残業してリカバリーすればいいんだし、あの時もなんとかなってたかもな。今回は直前のキャンセルだったから宿代も戻ってこなかったし、もったいないことしたよな。仕事を調整するように気を付けつつ、もしどうしてもダメだったときは今度からはもっと早くキャンセルしようかな。お前もそう思うだろ?」

 なるべく明るく声をかけると、チッ。と舌打ちの後に深いため息が聞こえた。トタトタと足音は部屋の奥の方へと離れていく。

(え?今のどこがダメだったんだよ。)

「なぁ、今なんか悪いこと言ったか?いきなり舌打ちとかされると流石に気分が悪いんだが・・・。」

 相変わらず妻はご立腹のようで、部屋からは全く返事はない。流石にここまで不機嫌を表に出されるとこちらも腹が立ってくる。

「おいッ、少しは返事したらどうなんだよッ。こっちがせっかく謝ってやってるのにッ。そっちからは一言も無いのかッ。」

「もうやめてっ。私が悪かったからっ。」

ドンドンッと扉を叩いて少しきついことを言うと、ようやく返事が返ってきた。

「いや、お前が全部悪いとかじゃなくて、ちゃんと話そうと思ったんだが・・・。悪い。また熱くなったみたいだし、あっち行ってるよ。」

 やってしまった。そう思いながら部屋の前を後にする。こうなると部屋に入らず扉越しに話していたのが正解だった気もしてくる。面と向かってあんな態度取られていたらまた大ゲンカが始まっていたかもしれない。そんなことを考えて自分を慰めるが、結局のところ喧嘩をぶり返してしまったことに変わりはない。周りを見回すが、金髪の幽霊の姿は無い。こんな時にはいないんだよな。居間にいるのか?そう思いながら居間の扉を開けるとやはり奴はそこにいた。

「おかえりなさい。どうでした?」

こちらの気も知らないでそんなことを聞いてくる。

「別に。」

 ついぶっきらぼうに返してしまった。

「その反応を見るに、あまりいい結果にはならなかったみたいですね。」

「・・・。」

「まあまあ、まずは一旦どんなふうに謝りに行ったか教えてくださいよ。奥さんが部屋にいる今のうちなら人目を気にせず話せるでしょう?」

「はぁ・・・。なんだって死んだ人間に自分の妻との喧嘩話を聞かせなきゃならないんだよ・・・。」

 そう言いつつも仕方なく先程の経緯を説明していく。恥ずかしい反面愚痴りたくなる気持ちもあったのだろう。気が付くと一から十まで話し切ってしまった。

「・・・なんだか余計な事言っちゃった感が否めませんけども。それは兎も角腹を割って話せてなかったんじゃないですか?」

「腹を割るって言ったって、どうするんだよ。酒でも飲めって言うのか?」

「いやいや、ドア越しで伝えようとしたって言うのもなんだか取り繕ってる感じがしますし。ちゃんと本音で、思ったことを正直に言ったんですか?」

「・・・。」

 そう言われると、そうだったのかもしれない。でもあの態度は無いだろうと続けようとしたが、目の前の男のいつもと違い真剣な様子に少したじろいでしまう。普段ひょうきんな人間が急に真面目になると調子が狂う。そんなこちらの気持ちを見透かしたようににこりと笑って話を続けた。

「まあ、態度が気に食わなかったのはわかりますよ。ただ、やっぱり本音で心の底から思ったことを相手にしっかり伝えるべきだと思うんですよ。変に取り繕うとかはせずに。本人を前にするとうまく言葉が出てこないんだったら、手紙を書いてみたりするのはどうです?いい手だと思いますよ。」

「手紙?わざわざ?」

「ええ。手紙です。仰々しいかもしれないですけど、伝えたいことを整理するにはうってつけだと思いますよ。・・・おせっかいだとは思いますが、ちゃんと言いたいこと言わないと後悔しちゃいますよ。伝えたくても伝えられなくなってしまう事も有りますから。」

 少し寂し気に語る様子に黙り込んでしまう。いまだに成仏できていないこいつにもそういう相手がいたんだろうか。死んだ人間が言うのは反則だと思うが、そういわれてしまうと反論ができない。

「・・・それに、大事なことを忘れてしまっているみたいですし。」

「ん?なんだって?」

「何でもないです。まあ、気が向いたら書き起こしてくださいよ。」

 思ったよりまともな提案に少し驚いた。言われた通り手紙にしてみるかと思いながら、すぐに取り掛かるのは癪だなと思ってしまう。そんなことを思うのも子供っぽい気もするが、気分転換に少し外に出ようかと玄関に向かった。 

 三十分程だろうか。近所をぶらついてから家に戻ってきた。もうすっかり日も暮れてしまった。そろそろ夕飯の時間だ。確か冷蔵庫の中に卵はあったはずだ。チャチャっとチャーハンでも作ってしまおう。そう思いながら脱衣所の洗面台で手を洗い、軽く口をゆすぐ。ふと洗面台の上を見ると、自分の分の歯磨き粉が見当たらない。そういえば切れてしまっていたか。収納棚を確認すると最後の一つが残っていた。新しいのを買っておかねばと思いながら封を開ける。他にも髭剃りやシェービング液も切れてしまっている。買い物ついでに調達できるようにメモを残しておく。そんなことをしていると妻が入ってきた。

「・・・あぁ。ただいま。」

 一瞬目が合うが、気まずくてつい目を背けてしまった。そそくさと脱衣所を後にし、キッチンに向かう。冷蔵庫を開けてみると、思った通りチャーハンの具材が揃っていた。テキパキと下ごしらえをして、調理に取り掛かる。手際よく野菜を切っていると、居間の扉が開いた。目をやると妻がこちらを見ていた。

「今日チャーハンだから。できるまでもうちょっと待ってて。」

 そう言って黙々と調理を進める。気まずさに耐えきれず一旦妻のことを考えないように料理に集中する。こんな時に限ってあの金髪の幽霊は姿を現さない。

(こういう時こそあの減らず口でいらない思考を止めてほしいけどなぁ。)

ここにいないのをいいことに幽霊に軽く悪態を付く。それからだいたいニ十分程経った頃、ありもので作ったチャーハンが完成した。とっさに作ったにしては中々の出来栄えだ。

「お待たせ。チャーハン出来たよ。」

 返事が無いので居間のほうを見ると、妻はテレビを見ていた。もう一度声をかけようと思ったが、また喧嘩になるかと思いやめた。肩身が狭いなと思いながらも作ったチャーハンをキッチンで一人食べ始める。おいしいが何となく味気ない。やはり食事は誰かと、いや夫婦で食べたいものだ。いつからこんなに喧嘩やすれ違いが多くなったのだろうか。付き合って、結婚してからも仲良くやっていた。たまに喧嘩もしたが、それでも翌日にはお互い悪かったと謝って仲直りしていた。自慢ではないが、誰から見ても夫婦円満に過ごしていたと思う。それがいつの間にか、いや、きっかけは何だっただろうか。料理を口に運ぶ手を止めて、過去を思い返す。一度考え込むと他のことが疎かになってしまうのも、昔妻に注意された気がする。

(・・・そうだ。きっかけは三年前だったか。あの時も確か約束を守れなくて喧嘩してしまったんだ。)

 三年前、二人で旅行に行こうとした際に行けなくなり喧嘩をした。いや、あの時は喧嘩というより大泣きされたんだったか。何度も謝ったが許してもらえず、何をしても泣き止んでくれなかった。手を尽くしてみたが結局ひとりでに落ち着くのを待つしかなく、一旦泣き止んだ後も少しするとまた泣き始める。それからだ。ごめん。すまなかった。何度も伝えたが妻には気持ちが伝わらず、そんなことを繰り返すうちに少しずつ怒りが芽生えるようになった。あの時はどうやって仲直りしたんだったか。

(・・・確か、謝って、それでもダメで何度も面と向かって話をして・・・。その後は彼女が落ち着いたのを確認してそのまま夜が明けていたんだ・・・。)

 少しずつ昔のことが鮮明に思い出されていく。薄く霞がかかったような頭の中を記憶を探ると少し鈍い痛みがかすかに広がっていく。

(その後機嫌を直してもらうために埋め合わせで旅行に行ったんだ。旅行に行って、それから、家に帰って土産話を彼女から聞かされて・・・。見たかった景色や食べてみたかった料理の話を聞いて・・・。)

 そうやって考えていくと少しずつ違和感が湧き出てくる。

(なんで一緒に行ったはずの妻から旅行の土産話を聞いたんだ?埋め合わせの旅行は何時行った?去年?いや去年も予定が合わなくて、仕事が入って・・・。)

 少しの疑問をきっかけに次々と記憶の矛盾が見つかっていく。頭を殴られたような衝撃が走り動悸がどんどん早くなる。居間の方を見ると相変わらず妻はテレビを見続けていた。どんどん大きくなる不安に、とっさに声をかける。

「・・・なあ、三年前の旅行ってさ、いつ埋め合わせしたんだっけ。」

 壁で隔たれているわけでもないのだから、この距離で話しかければ聞こえないなんてことは無い筈だ。テレビの音がやけにうるさく部屋に響いている。不安や焦燥感からか、動悸は早鐘のように鳴り続き、痛いくらい胸を締め付けてくる。居間にいる妻に少しずつ近づくが、その反面近づいてはいけないという思いが頭をよぎる。直ぐ後ろに立っているが、ソファに座る妻はやはりチラリともこちらを見ない。

「・・・こっち見てくれよ。聞こえてるんだろ。」

 この距離で聞こえないなんてことは絶対にない。ゴクリと生唾を飲み込み息を浅く吸い込む。テレビのリモコンに手を伸ばし、電源を落とす。ブツッとモニターが暗転したと同時に、目の前の妻の肩がビクリと跳ねる。

「・・・あなたなの?」

「・・・何言ってるんだ。やっぱり聞こえてるんじゃ」

 聞こえてるんじゃないか。そう続けようとした時、妻がリモコンを持つ私の腕に触れようとした。触れたのではなく、触れようとした。私の手首のあたりに伸ばした妻の掌は、まるでそこに何も無いように空を切った。その光景を見た途端、今まで確かに掴めていたリモコンも重力に従うようにボトリと床に落ちた。床に当たる衝撃の後、内蔵されていた電池とそのカバーが外れ、周りに散らばる。何が起きているんだ。何がどうなってこんなことになっているんだ。

「あなたっ。ここにいるの?私の声聞こえてる?私が分かる?」

「―ッ。いるよッ。ここにいるッ。声も聞こえるッ。君こそなんで聞こえないッ。こんなに近くにいるのにッ。さっきから何度も、君を呼んでるッ。」

 何度もお互いに呼びかける。彼女の目を見て間近で叫ぶが、まるでこちらが見えないようにすぐに視線が外れてしまう。彼女の腕を、肩を掴もうとしてもまるで実体を持っていないようにすり抜けてしまう。どうして聞こえない。どうして触れられない。そして、どうして私はこの瞬間にデジャビュに感じているんだ。

(そうだ。あの時も、今と同じように君に声は届かなかった。そして君はあの時。)

 妻の方に目をやると、その目に大粒の涙をいっぱいに溜めて私のことを呼び続けている。戻り始めた記憶の中の彼女と今の彼女の姿が重なる。三年前と比べると少し瘦せたのだろうか。よく見ると手首や指は少し皮ばっており、体力が減った印象を受ける。その左手の薬指には見知った指輪が嵌められている。婚約後、二人で買いに行ったシンプルなデザインの結婚指輪だ。普段から丁寧に扱っているのだろう。新品同様とはいかないが、傷どころか汚れ一つ無い。自分の左手を見てみると、そこにある筈の指輪は見当たらない。失くすのが怖いから指輪はいつも付けっぱなしにしていた筈だ。自分で外した記憶もない。それなのに自分の指には指輪の跡だけが残っている。そうだ。言われていた筈だ。結婚式の日に、健やかなるときも、病めるときも。死が二人を分かつまで。

「・・・俺は死んだのか。君を残して。」

 泣き続ける彼女に何をすることもできず、ただただ私は呆然と立ち尽くすしかなかった。彼女が泣き疲れ、ソファの上で寝てしまうまで。 

 どれくらい経っただろうか。ソファで赤く目を腫らして眠る彼女を眺めていると、後ろから声をかけられた。

「思い出したんですね。」

 振り向くとやはりそこには金髪の男が立っていた。そこにはいつもの明るい雰囲気は無く、困ったように力なく笑っている。

「知ってたんだな。全部。」

「・・・はい。」

「そうか。・・・それでお前は結局何なんだ?やっぱり俺と同じ幽霊なのか?」

「いえ、私は生きた人間です。いわゆる霊能力者という奴です。あなたの奥さんに依頼されてこちらに伺いました。」

「?でも時折気が付くといなくなったりしているだろ?妻とお前が話しているところも見たことが無いぞ。」

「そうですね。それを説明するにはまず幽霊、今で言うとあなたの存在について知ってもらう必要があります。」

 そう言うと彼はつらつらと語り始めた・

「人の魂というのは生きている間はその人の肉体に入っています。そして他人と関わったり、物を使う等することで少しずつ関わった人や物に浸透していきます。その時肉体の中にある魂と、他人や物に浸透した魂は目に見えない紐のようなもので繋がっています。そしてその人が亡くなると、肉体から魂が抜けていきます。成仏する人はこの時、肉体の中の魂が消えると同時に繋がった人や物からも消えていきます。では成仏できない人はというと、死ぬ直前の強い感情によって繋がった人や物に浸透した魂が焼き付いてしまうんですよ。それが今のあなたの状態です。魂の残り火といった状態です。そしてそれは亡くなる直前の時間や空間を維持した一つの世界を作り出します。普段は現実の世界に影響を及ぼすことは無いのですが、何かがきっかけで現実と繋がります。きっかけは例えば命日が近づく、残された側の人が強く思いを馳せるだったり、いろいろです。私はそのきっかけを強くしたり弱くしたりを意図的にできるので、あなたからは急に消えたり現れたりできるということです。この服装もそういった効果があるんですよ。」

 そう言って彼は何度か消えたり、現れたりを繰り返した。

「・・・難しいがだいたいはわかった。だがちょっと待て。さっき妻に依頼を受けたと言っていたがそれは何なんだ?」

「本来幽霊というのはいるべきではないんです。元となる魂が既に消えてしまっているので、古い情報のままになってしまっていて、放っておくと所謂バグが起きてしまうんですよ。例えば怒りっぽくなってしまったりだとか。何か身に覚えはないですか?」

 そう言われると確かに、思い当たる節があった。睨まれたとか無視されたとか、そういった気がして怒った記憶がある。

「私が受けた依頼は、毎年この家で起こる怪奇現象を解決することです。三年前から毎年あなたの命日が近くなると始まり、年々酷くなっている。奥さんは何か自分に非があり、伝えたいことがあるんじゃないかと心配していました。調べて見ると、あなたは自分の死に気づいておらず、無理に教えるとさらに怪奇現象がひどくなる恐れがありました。それで自分で気づくのを待っていたんですよ。」

「・・・このまま自分の死を自覚したまま妻を見守ることはできないのか?ただ見ているだけでいいんだ。」

「・・・残念ながらそれはできません。今は大丈夫かもしれないですが、いつかまた自分の死を忘れてしまうでしょう。もし、死を忘れて奥さんとのすれ違いが続いてしまうと、最悪はあなた自身の手で奥さんにケガを負わせてしまうかもしれません。」

 今この瞬間が続けばいいという淡い期待はすぐに砕かれてしまった。泣き疲れて眠っている妻を見る。昔よりも細くなった手、泣き腫らした瞳、このままでは確かに彼女の方がもたないだろう。

「・・・何をすればいいんだ?どうすれば成仏できる?」

「あなたの後悔はあなた自身しかわかりません。あなた自身が心の奥底でどうなりたいか。どうしたいか。それがすべてなんです。今この時間が本当に最後です。どうか後悔の無いようにしてください。」

 何がしたいのか。自分が死んでしまったとき、後悔してしまったこと。今ならはっきりと思い出せる。三年前、旅行に行く道中のことだ。高速道路の合流地点で前の車が急に減速し、それを避けようとしてスリップした。その後とてつもない衝撃が全身に走り、気が付くとぐったりとした妻が横に見えた。声をかけようとしたがうまくしゃべれず、彼女の安否も確認できなかった。あの時の私の後悔はただ、彼女の無事を知りたかった。何ともないことを。そしてそれを知って安心したかった。今の私がその後悔を晴らすために何ができるだろうか。彼女に思いを伝え、そして彼女がこれからも元気に生きていけることが分かれば、きっと思い残すことは無い。

「一つ、頼みがある。」

「なんでしょうか。」

「もし俺がペンを持てなかったら、代筆を頼みたい。」

 少し前に提案した案を採用されたからか、目の前の彼は困ったように笑っていた。 

 お盆も終わった八月の暮れ、共同墓地の気温はずいぶん涼しく過ごしやすいが、もう時期ではないので参拝客はえらく少ない。持ってきたヤカンで墓石に水をかけ、表面を軽く布巾で拭く。今まで旦那が亡くなったことを受け止めきれずここにはあまり来れなかった。そのせいかよく見ると隅の方に苔や蜘蛛の糸が付いている。丁寧に掃除をしているとだいぶきれいになった。ふぅ、と一息ついて花を生けてろうそくに火をつける。今日は風も余り無く、スムーズに火をつけることができた。ゆらゆらと揺れる火を見ていると、ここ最近の出来事が思い返される。

 あれから怪奇現象はぱったりと無くなった。三年前から始まった怪奇現象の解決を依頼し、和服姿の金髪が来たときはとても不安だった。えらく明るい雰囲気も相まってひどくうさん臭く感じる。それでも彼が来てから数日後、あの人からの手紙をもらったときは驚いた。あの人の文字であの人の言葉で、まるでそこにあの人がいるようだった。いや、確かにあの時あの場所にいたのだろう。声は聞こえなかったが、最後にあの人が伝えたかったことを知ることができた。目を落とし自分の左手の薬指を見る。指の根元には指輪の跡が残り、なぞると少し細くなっている。外した指輪は家の棚に仕舞ってある。結婚後はずっとつけていたが、手紙の中で外すように言われてしまった。今すぐ忘れなくていい、覚えていてくれるのは嬉しいけれど引きずられないでほしい。そうお願いされてしまっては致し方ない。ずっとあの人のことを忘れられなかった。怪奇現象も怖かったがまるであの人がいるような感じがして少しうれしく感じていた。年々酷くなる一方、もしかするといつか姿を現してくれるのではないか、そんな期待を抱いてしまった。気が付くと体が重く感じたりすることが増え、家族や友人に心配をかけるまでになってしまっていた。心配した友人から霊媒師を紹介され、しぶしぶ連絡を取った。多額の金銭を要求されるのではないか等の不安はいろいろとあったが、結果的に依頼してよかった。

そんなことを考えながら蠟燭に線香の先を近づけていると、しっかり火が付いたようだ。ついた火を吹き消すともうもうと煙が立ち上った。手を合わせて目を閉じる。

(もうあなたに心配されないように、精一杯生きるからね。心配しないで。ずっと見守ってくれて本当にありがとう。)

 伝えたいことを空に祈り終えると、ポーチからそそくさと手紙を取り出す。

「この手紙もいつまでも持ってちゃいけないよね。本当にありがとう。大好きだよ。」

 手紙を蝋燭に近づけると、チリチリと音を立てて火が付いた。徐々に端から火が上っていく。火傷しないように香炉に置くと、静かに燃え広がっていった。一瞬火を消してしまいそうになるが、考え直して燃え尽きるのを待った。

「・・・それじゃあ、そろそろ行くね。次来るのはまた来年かな。」

 火を吹き消して消した蝋燭を持ってきたゴミ入れに仕舞う。一通りお墓回りを片付けるとサァと風が吹いた。そろそろ日も暮れてしまう。そう思いながら私は家路に着いた。 

 まず初めに、一緒に居られなくなってごめん。事故の後、体に異常はないか?三年前のあの時、気が付いたら横にいた君がすごく苦しそうで心配だった。身動きも取れず、声も出せなかった状態では、ただただ君の無事を祈ることしかできなかった。手を伸ばせば届く距離にいたのに、ひたすら自分の不甲斐なさが憎かった。本当はもっと一緒に居たかった。二人でゆっくり年を取って、喧嘩しても仲直りして笑っていたかった。そんな思いが伝わったのか、最後に少しだけ時間をもらえたみたいです。この手紙を読んでもらうこと、そしてそれを傍で見守れること、それだけで十分幸せです。声は届かなくても傍にいます。触れられなくても寄り添っています。どうか笑っていてください。あの日以降、ずっと泣いている君を見ていられなかった。君に辛い思いをさせている原因なのに、どうすることもできない自分が憎くてしょうがなかった。忘れないでいてくれること、今でも愛してくれていることはとてもうれしいです。だけど引きずらないでほしい。囚われないでほしい。どうか自分の人生を精一杯幸せに生きていてほしい。君がこの手紙を読み終え、前を向いてくれたら安心して成仏できる。そうしたら今度は雲の上からずっと君の幸せを祈ってる。出会ってから今までずっとありがとう。本当に幸せでした。

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