大文字伝子が行く90

クライングフリーマン

大文字伝子が行く90

 午後12時半。伝子のマンション。

 物部から伝子のスマホに電話がかかって来た。昼食の最中だったが、伝子は箸を置いて、電話に応対した。伝子はスピーカーをオンにした。

 「大文字。高遠。お昼のニュース見たか?」「見たよ。」「あの爺さんが自殺って・・・殺されたんじゃないのか?です・パイロットの言い方からすると。」

 「うん。実はそれがあるから、詳しく調べていたんだ。それで、お昼のニュース。ブレーキ跡は無かった。薬物反応もアルコール反応も出なかった。クルマに異常はない。決め手は遺書だ。お前の言う通り、偽装の可能性もあるから、専門家に依頼して、筆跡鑑定をした。公表はされていないが、副島先輩も筆跡鑑定に加わった。偽装じゃない。」

 「成程。」

 「プライバシーの問題があるから、いくら『シンキチ』でも、詳細は発表出来ない、と久保田管理官が言っていた通りだ。物損事故は起したが、高岡晋吉氏が、です・パイロットに狙われていたという確証はない。結果、自殺で処理、だ。実は、物部。あの爺さんには自殺する理由があり、遺書にもそのことが触れられている。お名前カードそのものが運転免許証の代替であるかのような説得をされたことで、自分は、そんなに厄介者だったのか?と悩んだ。ベテランドライバーであればあるほど、プライドは高い。橋爪警部補も言っていた。無理矢理免許証を取り上げようとする家族と本人のトラブルは、かなり多い。以前、事故を起しながら、最後までクルマの欠陥だと主張した人物がいただろう?」

 「あの事故以来、高齢者の運転は危ないから返上すべき、ってマスコミが騒いだか ら、運転免許証返上が唯一の解決法だと思い込む家族が増えた、という訳です、副部長。勝手に高齢者を悪者にしてしまっているんです。」高遠は、割り込んで言った。

 「僕は長い間、ペーパードライバーでした。ヨーダ達の助けが無かったら、永久にペーパードライバーだったかも知れない。高齢者でなくても、慣れない運転で事故を起す場合だってあるはずです。以前、山城さんのお婆さんが、『危険だから』って、介護士が運動させてくれないって事件ありましたよね。何も検討しないで、高齢者からチャンスを奪うばかりだと生きがいが無くなって行きますよ。」

 「詰まり、遺書には、そういう遺族への恨み辛みが書いてあった。理事官がかけあって、マフィアの標的だったかどうか確認しなければいけないので、遺書を見せてくれって説諭したんだ。」今度は、伝子が割り込んだ。

 「遺族は、悪口書かれているから見せたくなかった、か。」「だから、遺書の内容は明らかに出来ないんだよ。マスコミは憶測で報道するだろうけどね。高齢者は危険な運転するってレッテル貼って。」「やむを得ないことは多いよな。田舎の、クルマでしか輸送手段がない地域もあるしなあ。」

 「実現するかどうか、有効かどうかは分からないが、マニュアル車切り替え運転免許の制度を作るべきだ、と副総監と総理に進言しておいた。少なくとも、『踏み間違い』は無くなる。クラッチがあるからな。無論、クルマの補助金も必要だ。一律では無く、今物部が言った『必要性』を審査した上での制度だ。」

 「お前のそういう所が好きだ。」「何?今頃口説いても遅いぞ。」

 「ごちそうさま。お前の行動力のことを言ったんだよ。でも、東京の場合、御池都知事がアホだからなあ。」物部は、ため息をついた。

 もし、法律が出来たとしても、拘束力の弱いものなら、自治体の首長如何で状況は変わってくるからである。詰まり、法律の立て付けはそうでも、予算がない、と突っぱねる首長がいてもおかしくはない。

 「分かった。じゃ、またな。」と、物部は電話を切った。

 「物部には言わなかったが、遺書は死ぬ直前だけでなく、公証人役場で作った遺書もあった。その遺書も筆跡鑑定に役立った。財産の一覧や分配法も書いてあったそうだ。腹が立ったのなら、その最初の遺書と内容を変えてもよさそうなものだが、それはしなかったそうだ。」

 「立派なお爺さんだわ。遺族はアンポンタンばかりね。」

背後を振り返ると、綾子が立っていた。「チャイム、鳴らしたわよ。お昼はいいわ。食べて来たから。身につまされるわね。」

 「叔父さんが亡くなった時、突っ張ってたからか?」「そうよ。ごめんなさい。」と、頭を下げた。

 「学。洗濯物、取り入れろ。雨が降るぞ。」「まあ、意地悪。」

 高遠は笑いながら、片付けた食器の代わりに、コーヒーと紅茶をリビングに持って来た。

 「取り敢えず、です・パイロットの魔の手にかからなかった『シンキチ』さんだったことは、いいことです。マスコミは、そういうカウントは欠かさないですからね。」

 「阿倍野元総理の時は、酷かったわね。今日は記者会見場に出るのに何秒早いからどうこうとか。呆れるわよね。」

 「ほう。たまには意見が一致するんだな。」と伝子は言った。

 「今日は行かなくていいの?伝子。EITOに。」「今日は午後3時からだ。」  「ま。重役出勤!!」

 横から高遠が言った。「お義母さん、知らないんですか?僕のワイフは総理大臣より偉いんですよ。」「恐れ入りました。」

 午後2時。やすらぎほのかホテル東京。宴会室。

株式会社岩国の新年会兼送別会が開かれていた。その送り出される社員が、いきなり苦しみ出した。

 「どうした?平松さん。」見ると、多量の汗をかいている。

 社長の岩国は部下に命じた。「誰か、ホテルの人を!」

 呼ばれて、宴会部長の三田村、ホテル社長の小田、そして、支配人の依田と副支配人の慶子がやって来た。

 「今、救急車を呼びました。保健所も、おっつけ参ります。」と、依田が言った。

 シェフもやって来た。「どうしましょう?社長。」

 「君は、従業員に落ち着くように言って。慶子。宿泊客に足止めして。それと、今日 宴会予定は後何組だ?」「社長、後2組です。」「依田君。三田村君と手分けして、キャンセルして貰いなさい。弁済は後日行います、と言い添えてね。」

「あのう、ホテルの社長さん。」と、岩国の社長は言った。

 「平松さんは、平松芯吉さんは、狙われていたかも知れないです。『シンキチ』なので。」

 「依田君。警察にも連絡だ。」と、小田は言い、依田は呟いた。

同じ頃。EITOベースゼロ。作戦室。テレビ1を通じて送られて来たメールを理事官は読んでいた。

 「河野事務官。警視庁に、このメールを転送してくれ。それと、草薙、大文字君。やすらぎほのかホテル東京って、依田君のホテルだよな。」

伝子と草薙が覗き込むと、その文面には、こう書いてあった。

 《やすらぎほのかホテル東京。東京リーゼントホテル。草津シティホテル東京。正月は楽しいことで一杯だな。》

 久保田管理官のホットラインのディスプレイが起動した。

 「理事官。やすらぎほのかホテル東京で食中毒事件発生。食中毒を起したのは、平松芯吉さん、です。副総監がEITOにも動くようにと。救急車は本庄病院に向かったそうです。」と久保田管理官が言った。

 久保田管理官の横から、村越警視正が顔を出した。「理事官。東京リーゼントホテル。草津シティホテル東京。この2つのホテルからも食中毒事件が発生した模様です。保健所から連絡が入りました。搬送先の病院並びに食中毒になった方の名前はまだ分かりません。追って連絡します。」画面は消えた。

 「渡。大文字君は今、どこだ?」「バイクでこちらに向かっています。」「事情を話して、直ちに本庄病院に向かわせろ。」

 「理事官。我々は、どうしましょう?」と、なぎさは尋ねた。

 「取り敢えず、オスプレイで本庄病院に向かってくれ。飯星を連れて行け。他の件の方は、病院が決まり次第、増田達を向かわせる。」「了解しました。」

なぎさは、慌ただしく作戦室を出て行った。

 「草薙。青山はどうしてる?」「まだ、ベースワンにいる筈です。」

 「至急、やすらぎほのかホテル東京に向かわせろ。」

 午後3時半。本庄病院。平松の病室へ普段着姿の伝子がやって来た。看護師に指示している院長の側に、何故か『エマージェンシーガールズ姿』の人間がいた。

 「エマージェンシーガール。ちょっと、お話が。」伝子は、その女を廊下に連れ出した。

 「どうですか、具合は?」「まだ、分かりません。あなたは?」

 「保健所の者です。今日はシリアルナンバーがないユニフォームですか?」  「え?・・・ええ。」怪訝な顔をしているエマージェンシーガールを、伝子は大外刈りで倒した。

 そこへ、レディースーツ姿のなぎさと飯星がやって来た。

 「おねえさま。これは?」伸びているエマージェンシーガールを指して、なぎさが行った。

 「こいつは、鍛え方が足らんな。」と、伝子は呟いた。

 飯星が体を調べると、注射器が見つかった。注射器は女の体に刺さっていた。

 「隙を見て、打とうと思っていたのね。液が体に少し入ったようね。」と言う飯星に、「飯星さん、至急、その注射器を調べて貰ってくれ。」と伝子は言った。

「了解しました。」すぐに飯星は、側にいた看護師長の真中瞳に渡された、ハンカチに注射器をくるみ、ポリ袋に入れた。

 「用意がいいな。」と、伝子が呟くと、「看護師長ですから。」と言って真中は飯星と処置室へ走って行った。

 処理が終った本庄院長が廊下に出て、伝子に尋ねた。「大文字君。君の部下かね?」「私の部下にはしたくないですね。」なぎさと飯星が笑った。

 突然、女が苦しみ出した。院長が看護師に指示し、ストレッチャーを用意させた。

 1時間後。本庄病院院長室。

 近くのモニターに池上院長が映っている。池上病院とのホットラインだ。

 「大文字さん、他のホテルから搬送された病院は水面病院と蓮池病院。どちらの病院も、搬送された患者は、タダの下痢って言っているわ。それと、患者の名前は『シンキチ』じゃない。でも、下剤を飲ませた人間がいる。厨房より、会社の人間にスパイがいるのかも。それと『シンキチ』だったのは、その平松さんだけってことは・・・。」

 「平松さん以外はダミーってことですか。」「そう。平松さんが本命。」

2人の会話を聞いていた、なぎさが「おねえさま。私たちを分散させる積もりだったのね。」と言った。

 そこへ、愛宕と橋爪がやって来た。

 「そうか。愛宕。水面病院と蓮池病院にいる警察官に、警戒するよう言ってくれ。何か騒ぎを起す可能性がある。ここに搬送されることは、ホテル関係者以外は平松さんの会社の人間しか知らない筈だ。なのに、この女は先回りしていた。」

 「了解です。」愛宕は少し離れた所で警察無線の連絡を始めた。

 「橋爪さん。平松さんの会社と、他の2つのホテルで宴会をした会社にもスパイがいると思われます。」「了解です。管理官に連絡します。」橋爪も少し離れた所で、スマホで連絡を始めた。

 副院長が入って来た。「父さん。大変です。あの女性に刺さっていたのは、コロニーでした。」

 「何?コロニーのワクチン?」副院長は、「いえ、コロニーそのものです。初めて見ました。接触感染はしませんが危険です。保管箱にいれ、感染症センターにも連絡しました。」

 「平松さんが飲まされたのは下剤ではなく、免疫機能を落とす薬でした。そこへコロニーが体内に侵入すると・・・。」「死に至る、か。」

 「もう一つ。あの女は、当院の元看護師でした。」

 「だから、エマージェンシーガールズの格好で迷うこと無く、近づけたんですね。」と、伝子は言った。

 「池上さん。聞いての通りです。平松さんの主治医と連絡は取れましたか?」と、本庄院長が尋ねると、画面の中の池上院長は「高血圧、糖尿病等の基礎疾患はないそうです。」と応えた。

 「ふむ。池上さん、大文字君。平松さんはICUで点滴をしながら経過観察をするが、多分大丈夫だろう。」と言う院長に、橋爪が「平松さんの親族がこちらに向かっています。ロビーで平松さんの会社の社長と社員が待っています。報せて来ます。」と言った。

 午後5時半。EITOベースゼロ。会議室。

 「平松芯吉さんは、快方に向かっている。平松さんの会社の新人社員杵築栄太が、 平松さんのシゴキに大きな不満を持っていたらしい。青山君。」

 理事官に指名された青山警部補が説明を始めた。

 「他の社員によると、平松さんは、その社員の素質を見込んでしごいていたらしい。」

 「それじゃ、逆恨みじゃないですか。勇退する前に、最後の奉公をしようとしていたんだわ。」と、増田が言った。

 「その通り。社長が定年後の十年、嘱託社員として働かせたのも、平松さんが優秀だからだよ。草薙さんによれば、最近ヘイトサイトが複数インターネットに出来ていて、杵築は、そこに不満を漏らしている内に、です・パイロットの使い魔に魅入られたらしい。」と、青山警部補が言った。

 「そのサイトを利用していたよ。他の2つのホテルの宴会をしていた会社の社員で、下剤を飲ませた社員もね。そいつらは下剤を渡されていたが、平松さんに飲ませた杵築は、とんでもない薬を渡されていた。そのサイトは閉鎖され、もうアカウントもメールアドレスも無効だ。それと、平松さんは、例の50人の内の1人だ。」

 入って来て、説明を始めた久保田管理官に、「危険だと感じなかったんですか?平松さんは。」と、なぎさが尋ねた。

 「社長には、こう言っていたらしい。私には親族はいても家族は作れなかった。この先、いつ死んでも構わないと思っている、と。」

「で、さっきテレビ1から転送されたメールがこれだ。」理事官が言った時、ディスプレイにメールが映った。

 《副総監の記者会見を拝見したよ。小手調べとしては上々、と自分を褒めておく。君たちには完敗だ。だが、次はどうかな?一つだけ断っておく。私は、失敗した相手の後追いはしない主義だ。平松芯吉氏のご健勝をお祈りする。以上だ。》

 「ふてぶてしいですねー。」と、早乙女が感心した。

 「ああ。あの看護師は、危険な注射と分かってて、実行しようとしていたんですか?管理官。」と、伝子が言うと、久保田管理官が言った。

 「全然。殺す積もりで打ちに行った訳じゃない。彼女も、そのサイトを利用していたんだよ。本庄病院の副院長も、ミスが多いから解雇したんだと言っていた。」

 「エマージェンシーガールズも、世間の信用を得てきている。日本人は基本的には性善説だ。」と理事官が言うのを受けて、結城が「警察官、自衛官並に、エマージェンシーガールズも、『悪いことをしない筈の人』になっているとことですか。」と、結城が言った。

 「そうだ。それに、かつての勤め先なら、知っている人間に出逢うかも知れないからな。丁度いい変装だった。」

 「理事官。まさかアンバサダーが、エマージェンシーガールズの行動隊長が目の前にいるなんて、夢にも思わなかったでしょうね。」と、入って来た草薙が言った。

 「保健所の人間がいきなり大外刈りなんかやらんだろうな。」、と夏目警視正が笑った。

 皆も同調して笑った。

 午後9時。伝子のマンション。寝室。

 「結局、使い魔は直接現れ仕舞いか。なかなか切れるやつかな?ま、いいや。」

 「ねえ、あなた。抱いて。」「最近、露骨だなあ。電気消すよ。」

 二人は、PCルームでEITO用のPCが起動したのに気づかなかった。アラームは鳴ったが、プライベートな時間は始まったばかりだった。

―完―

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大文字伝子が行く90 クライングフリーマン @dansan01

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