第9話 クラスメイト

 無事に入る部活動も決まった翌日の朝の事である。

「わはははーっ! おはようなのだっ!」

 教室内に割れんばかりの大きな挨拶が響き渡る。言わずと知れたわっけーの声だ。校舎の端に居ても聞こえそうな大声である。

「ちょっと、今の大声、何なのよ!」

 教室にプリントの束を抱えた栞が入ってくる。たまたま登校中に教師に捉まって頼まれたものである。よく見ると大声に驚いて落としかけたのだろう、プリントの一部がずれていた。栞はそれが崩れないうちに教卓に置いて形を整えた。

「おー、しおりん。今日もいい天気だな!」

 わっけーが栞に駆け寄ってくる。

「わっけー、いきなり大声出すから驚いて落とすとこだったでしょ。もう少し声量抑えてくれないかな?」

 栞がジト目でわっけーを𠮟りつける。ところが、わっけーは大声の自覚がないので不思議そうに首を傾げていた。

「おー、あたしってうるさいのか? そうか、それならすまないな、わっはっはー!」

「だーっ! まったく変わっていない!」

 反省したように見えないわっけー。その上、声の大きさも変わってないものだから、栞がさらに突っかかる。そこへ真彩が登校してきた。

「おはよう、みんな。って、あれ?」

 教卓に居る栞とわっけーに気が付く真彩。その空気がどこか険悪だったので、気が付いたら間に入っていた。

「はいはい、ストップよ。とりあえず栞ちゃんはこっちこっち」

 栞は真彩に腕を引かれて、教室の端の方へやって来た。そこでようやく腕を話してもらった栞だが、今度は真彩が耳打ちをしてきた。

「ごめんね。あれでわっけー、普通の声のつもりなのよ。ちなみに人の4倍はうるさいわよ」

「あれで普通?!」

 真彩が告げた衝撃的な言葉に、栞はただただ驚いた。

「おー、りぃ。おはようなんだぞ!」

 真彩と栞がこそこそしていると、真彩の友人の一人である理恵が登校してきた。

「おはよう理恵ちゃん、ちょっといい?」

 栞は理恵に声を掛けると、真彩のところへ引っ張ってきた。

「どうしたの、しおりん?」

 急に腕を引っ張られたものだから、理恵は困惑している。

「いやね、わっけーの声の事なんだけど……」

 栞が話を始めると、理恵は状況を理解する。それで、一番古いわっけーの友人として、わっけーの事を話し始めた。それによれば、わっけーの声は幼稚園で会った頃からあの調子だったらしい。いくらうるさいと言っても直らなかったらしく、親すら匙を投げるレベルである。なので、もうわっけーはそんなものだとみんなはさっさと諦めて、慣れる事にしたそうだ。

「うわぁ……、呆れた。まるでね」

 栞はドン引きしていた。わっけーに知られたら大声で広められてしまう。そんな危機感すら覚えた。

 ところが、栞も意図せずこのグループに入ってしまった以上は、よっぽどの事がない限り中学3年間は付き合い通さなければならないという、恐怖の事実だけが突き付けられたのだった。


 さて、朝のこういう一幕があったせいか、1時間目の休み時間となると栞の周りには人だかりができた。わっけーが気さくに話し掛けていたのが決め手だったらしく、他校区生で敬遠していた空気がなくなったからである。

「ねえねえ、高石さんってどうして、この草利中学校に来たの?」

「茂森じゃどんな雰囲気だったの?」

「趣味は何?」

「好きな人とか居るの?」

 まぁ、敬遠していた空気がなくなると、こうも人は踏み込んでくるものだろうか。定番の質問を含めて、いろいろプライベートな事に突っ込んでくる。とりあえず、そのほとんどはノーコメントで躱して、草利中学校に来た理由だけはこう答えた。

「うちの親がスポーツに熱心なものだから、私の事もせめて世界に通用する子にしたいって意気込んでるの。それで、市内では特に部活動に力を入れている、この草利中学校に通う事になったのよ」

 この答えに、クラスメイトたちは納得しているようだった。それもそうだろう。どうやら昨日の陸上部での出来事を見ていた生徒が居たらしいのだ。その時の栞の走りに陸上部が驚いていたので、特に印象に残ったそうだ。

 さて、この取ってつけたような栞の言い訳だが、これにも裏付けがある。

 実際、栞の両親はスポーツが好きだし、栞も小さい頃から走るのが好きだった。そのせいもあって、中学高校と陸上部に所属して、インターハイにまで出た上にトップ争いをしたほどの実力者なのだ。高校卒業後も走り込みは怠っておらず、その走りは昨日の100m走でも実証されたほどである。まぁ、あのタイムも流してるので本気ではないのだが。

 そうこうしているうちに、2時間目のチャイムが鳴る。これでようやく質問攻めから栞は解放された。

「ふぅ」

 栞はひと息つく。

「大丈夫?」

「うん、大丈夫よ」

 真彩が心配してきたので、栞は笑って返しておいた。

(はぁ、いつかボロ出しそうで怖いわ。とりあえず、もう質問攻めが来ませんように)

 栞は祈るような気持ちだった。


 3時間目が終わると、一年生は下校時間となった。週が明けるまでは一年生は午前中授業である。他の学年は午後までびっしり授業があるので、放課後の部活動には参加できない。

(まあ、朝練には出たからいっかな)

 というわけで、栞は帰宅準備を始めようとしたのだが、前の席の真彩が急にくるりと振り返って声を掛けてきた。

「ねえ、栞ちゃん。今日は暇?」

「うん、暇といえば暇ね。陸上部の方は放課後は時間合わせられないから」

 目を開いて瞬きをする栞。真彩は少し間を置いてから、話を再開させる。

「この後ね、お父さんに会ってもらえるかな? 一緒のクラスになったからって話したら、どうしてもってうるさくてね」

 話の流れが分からない栞は、首を傾げた。そして、

「よく分からないけど、別に構わないわよ」

 せっかくの友人の頼みなので、栞は断らなかった。この栞の返答を受けて、真彩の顔が明るくなった。やっぱりよく分からない。

「よかったぁ。ふふふっ、栞ちゃん、お父さんに会ったらきっと驚くと思うんだ。もう校門まで迎えに来てくれてるはずだから、急ぎましょう」

「ちょ、ちょっと、まーちゃん」

 真彩と栞は、帰り支度を済ませると、教室を慌てて出ていった。わっけーがそれについて行こうとしていたが、理恵がそれを制止していたのが見えた。

 そして、下足場で勝と合流した栞たちは、そのまま校門へと向かっていく。

 そこで栞が目にしたのは、思いがけない人物だった。まさかこの人が、真彩と勝の父親だとは思わなかったのだった。

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