Ⅵ-Ⅲ・インテンシティ
「1点差……か」
直之がそう言うと、
「ごめんみんな」
梓は落ち込んだ表情で言った。
「梓ちゃんのせいじゃないよ」
「そうよ。だいたい梓はなにも、ファウルになることひとつもしてないでしょ?」
ましろがそう言うと、梓は小さくうなずく。
「ほら気持ちを切り替えて。梓、無理せずボールを渡していけ。チャンスはいくらでもあるんだからな」
「……はい」
梓の声はショックでかすれていた。
「返事は?」
「はいっ!」
子供たちはハーフタイムを終えるとコートへと戻っていた。
「オーナー、この大会の主催者って、たしか」
「河山センチュリーズのオーナー、季久利聡一。毎年やってるし、参加自由だったからね。まぁ贔屓チームはこうなることを予想してたけど」
「それが……あれかよ?」
和成は、ペンチにドサッと座る。
どこも反則になる場面はなかった。
そうなると四回戦同様に審判が不正を行っているほかない。
「この試合、下手をすると負けるかもね」
華蓮がそう言うと、和成は小さく笑った。
「大会が始まる前に言いましたよね? 俺は優勝しか見てないって」
そう言うと、和成は立ち上がり……、
「梓、梨桜と裕香は昔から俺とやりたいって思ってサッカーを続けてる。テクニックで言えばかなり上だ。でもな、それでもみんなが負けない要素はあるんだよ」
『――負けない要素?』
梓は和成の声に耳をかたむける。
「梨桜は意識すればするほどボールの下を
そう言われ、梓はハッとする。
つまりあのロングパスは取れる軌道であったとしても、ボールがきちんとピッチの中に納まらなければ意味がない。
明日香もそれに気付き、二人はうなずいた。
『蹴る方向を意識して軸足をそっちに向ける。軸足はグッと地面を掴むようにしっかりと。蹴るときはボールの中心から少し下をインサイドで蹴り上げる』
明日香は少し上がると、ボールをキープしている望空へと走った。
それに合わせるように梓も上がる。
「梓さんが上がってる。みんな気をつけて」
裕香がそう指示する。望空はシザーズで明日香を抜こうとするが……。
『――間合いと一回の足幅を計算して……。ここだ!』
一回、二回、三回、四回目のところで望空は右へと切り返す。
それをまるで予想していたかのように、瞬時に明日香はそちらへと身体を切り替えていた。
シザーズは仕掛ける回数が多ければいいというわけではなく、相手のバランスを崩すことに意味がある。
「うそ?」
望空は慌ててボールを押し出すように蹴ったが、明日香はトーキックでボールを蹴り流す。
そして、トップスピードでボールを奪うと、
「梓っ!」
右足を振り上げ、インフロントでボールを蹴り上げた。
「くっ! させない」
美柑がボールをクリアしようと跳躍する。
が、ボールは美柑より少し前に、力を弱めたかのように落ちた。
ボールは直之へと渡される。
「うそっ? そっち」
玲子がボールを奪いに行くが、直之はシザーズで玲子の体勢を崩し、武へとパスを送る。
「DFあがって」
襟川が声を上げる。雪乃と梨桜が上がり、オフサイドトラップを仕掛ける。
梓を危険視してのことだが、梨桜は違和感があった。
「待って! 梓さんは?」
梨桜が雪乃を止める。
梓は――自分たちより少し前にいた。
「梓っ!」
直之からパスを受け、梓はドリブルを始めた。
「くっ!」
梓のプレイを見ている限り、攻め上がっている選手がいない以上は自分たちを抜いてくるかもしれない。
もしくは迂回してサイドからのシュートを放つ可能性も否定できない。
そう想像したからこそ、梨桜は梓に向かってプレスをかけた。
梓はドリブルの軌道を右へと切り、梨桜の体勢をそちらへと向ける。
「いかせない!」
梨桜がボールを奪おうと仕掛けるや、梓はちいさく微笑みかけると、ボールを左足のインサイドで進行方向とはうしろの、自分たちの陣地の方へと蹴り流した。
「……っ!」
梨桜は唖然とした顔つきでそのボールの行方――パスを受けた選手を見据えた。
その軌道には智也が走りこんでいた。
「智也くんっ!」
リーズFCのペナルティーエリアから10メートル前。シュートを放すのには絶好の位置である。
智也は躊躇なくシュートを放った。
ボールは一直線にゴールへと向かっていく。
「くそっ!」
恵里香が手を伸ばした。
しかし彼女もまた梓を警戒して飛び過ぎていたということもあってか、ボールは恵里香の手のしたを通り抜けていく。
『ピッピー』と、笛が二回鳴った。
「同点だぁああああああっ!」
智也……ではなく、梓が大声で叫んだ。
「なんで? なんで抜かなかったの? どうしてシュートしなかったの?」
梨桜は困惑した表情でそうたずねた。
今の場面、梓が抜いても良かったのだ。
いや――梓が自分を抜き、シュートを放つと思っていた。
自分たちリーズFCのDFラインが梓を危険視している中、ペナルティーエリア前まで上がっている。
そこまでして梓が自分を
だからこそ梨桜は梓だけに集中していた。――してしまっていた。
「なんでって、サッカーは
梓はまるで年上が子どもに真理を教えるかのように答えると、自分のポジションへと戻っていく。
梨桜はその場で立ち尽くし、視線を地面へと向ける。
今のミスは自分が梓しか見ていなかったのが敗因だ。
『――サッカーはひとりだけでやるゲームじゃない……か』
そう考えながら、梨桜は含み笑いを浮かべた。
「武は下がって、陽介行ってこい」
和成がそう指示すると、武は交代エリアから外に出る。
代わりに、陽介がピッチに上がった。
ディフェンスラインに戻った梨桜は、そこからポニーテールFCの子どもたちを見渡した。
二度の腑に落ちないノーゴールから同点ゴールをきめたことで、彼らの勝つと言う気持ちがひしひしと伝わってきていた。
『――やっぱり、やっぱり和成おにいちゃんのチームだね。みんな楽しそうに、私と裕香がおにいちゃんを追いかけていた時と同じみたいに……』
ゲームが再開され、望空、裕香と蹴り流していく。
「裕香っ! こっちに回して」
梨桜がトップスピードで上がりはじめた。
「ちょ、ちょっと! 梨桜、下がりなさい!」
襟川の言う事を聞かず、なかば暴走気味に梨桜は攻め上がる。
「梨桜さんに上がらせないで!」
梓が指示を出す。
裕香からボールを受け取ると、梨桜は梓へと突っ込んだ。
『――ここはシザーズで体勢を崩そうか、いやエラシコで相手の動きを一瞬だけ止めて……。あぁもう! 楽しくてしかたない!』
梨桜は大きく笑みを浮かべた。
幼い頃から和成を追いかけていた自分が脳裏をかすめる。
いつも遊んでもらっている自分と、いつか和成を抜きたいと思ってサッカーをしている自分。
その両方がいたから、今の自分がいるんだと自覚する。
相手をいかに攻略するか、その一瞬の駆け引きがたまらなく楽しい。
ボールを一瞬だけ止めて、逆の足で蹴り出す。
その時、梓はほんの刹那足を止めたが、仕掛けるのがわかったのか、あまり身体を崩さすに、間合いをキープする。
一瞬を付いて、梓はボールを奪い取った。
「ごめん望空、裕香止めて!」
「あぁもうっ! 勝負したいって気持ちはわかるけどさぁ、さっさとディフェンスに戻ってッ!」
梓の前に望空と裕香がディフェンスに入る。
梓はボールを蹴り上げ、足の上にボールを乗せながら、二人の間をすり抜ける。
「ッ……!」
「嘘っ? 普通そういう運び方する?」
間を通られた祐香と望空は、それこそあまりの一瞬に呆気にとられてしまう。
「直之くん!」
二人を抜き去った瞬間、直之へとパスを上げた。
ボールはペナルティーエリア前で落ち、直之がシュート体勢に入った。
「DF上がって!」
しかしボールを受け取った今、DFを上げてもオフサイドにはならない。
「いっけぇえええええっ!」
直之の強いシュートが、リーズFCのゴールへと吸い込まれていく。
「よっしゃぁ! 逆転っ!」
直之はガッツポーズを取って、喜びをあらわにする。
「まだ時間はある。最後まで諦めないで!」
梨桜がそう叫ぶと、
「あんた負けたらジュース奢りなさいよ」
と、望空が苦笑を浮かべるように責めた。
「一本150円の1.5リットルコーラでいい?」
ポジションに戻るさい、梨桜は苦笑を交えながら答えた。
ゲームが再開され、望空、裕香、玲子とボールが渡されていく。
「裕香っ!」
裕香へとパスがつながりドリブルで攻め上がる。
陽介と明日香が止めに入ると、裕香はボールのしたをインフロントで大きく蹴り上げた。
と同時にトップスピードで二人から離れた。
ボールは誰もいない場所に鈍く落ちると、ゴールとは真逆の方へと転がり出す。
裕香はそれをクリアすると、軸足を大きく踏みしめ、シュートを撃った。
ボールは一直線に優へと向かっていく。
『――まっすぐ? あんな綺麗なバックスピンをかけた人が……』
クリアに走ったましろがそう思った刹那、
「優っ! 左っ!」
梓が叫んだ。
ボールは急激に左へと軌道をかえる。
「――っ!」
優は手を大きく伸ばす。
ボールはゴールポストから逸れると、ゴールラインを切った。
「直之くん、梓ちゃん上がって」
すぐさま、優が大きくセンタリングする。
直之がそれをクリアし、パスをつないでいく。
時間は既にアディショナルタイムに入っていた。
「梓っ!」
智也が逆サイドを走っている梓にパスを送る。
「取らせない」
梨桜がクリアしようと走り込んだ。
梓はボールを、リーズFCの方にではなく、逆サイドに蹴り返す。
「……えっ?」
上がっていた直之がそれをクリアすると、シュートを撃った。
逆サイドからのボールが、ゴールを突き破る。
それよりも少し前に、審判の笛が三回鳴った。
さきほどのゴールも試合終了後に入ったものとして、得点に結びつかなかった。
◇
勝利したポニーテールFCの子供たちとは対照的に、リーズFCの子供たちは落胆するように膝を付いている。
『――負け……か』
負けて悔しい。だがなぜか和成と勝負をしたような、そんな気持ちが裕香と梨桜にはあり、勝負に負けたこと以外の感情が芽生えていた。
「試合終了、2-1でポニーテールFCの勝利です」
アナウンスがそう知らせると、観客が子供たちに拍手を送った。
「ほら、並ぼう」
梨桜は裕香の肩を叩く。
「どうだった? あの子たちと一緒にサッカーをして」
「……もっと、もっとあの子たちと遊びたかった」
勝負をしていたのだから、この言葉は可笑しい。裕香は自分でもそう思った。
だが、勝ち負けよりも、一緒にサッカーを楽しんだ事の方が強かった。
「和成おにいちゃんが言ってたとおりだね。楽しくないと面白いくないって」
そういいながら、梨桜は梓に勝負を仕掛けたことを後悔していなかった。
勝負がしたいと思ったからしたのだから後悔など生まれない。
チームが負けたことは悔しいが、それ以上に梓を抜きたかった。
二人は梓たちとは二度とプレイできないと思った。
ポニーテールFCのプレイが、心のそこから楽しもうと、一度だけのプレイに全力をかけていると感じたのだ。
それはまるで、もうプレイできないといってるような……。
◇
「梨桜、裕香……いるか?」
試合が終了して少し経ったあと、和成はリーズFCの控え室のドアを開けた。
「ふぇっ?」
部屋の中ではリーズFCの選手、つまり女の子たちがユニフォームから私服へと着替えている最中であった。
「きゅあぁああああああああああっ!」
子供たちは悲鳴とともに、そこらへんにあるバックやらなんやらを、和成目掛けて放り投げる。
「ごめんごめん」
和成は慌ててドアを閉めた。
……少し経ってから裕香がドアを開き、覗き込むように和成を見遣った。
「大丈夫?」
「ノックもしないでドアを開けた俺が悪いしな」
それ以前にドアの鍵を閉めておけと和成は頭を抱えた。
「そうだ、梨桜と裕香は時間大丈夫か?」
そう言われ、二人はうなずいた。
「話って?」
「今日の試合ありがとうな」
突然感謝され、裕香と梨桜はけげんな表情を浮かべる。
「お礼なんて、私たちは何もしてないよ」
「しかし、二人があそこまで上手くなってるとはな」
「だけど、おにいちゃんには……ううん、あの子たちには敵わなかった」
梨桜が不安そうに言う。
「なんだ? 一回負けたくらいでもうへこたれてるのか?」
「そうじゃない。あの子たちとはもう会えないって」
「……そうか」
「ねぇ、おにいちゃん? あの子たちっていったい」
裕香がたずねると、和成は少し唸って。
「あの子たちは、この世に心残りがあるんだよ」
「心残り……って、死んでるの?」
「まぁ、そういうことになるかな」
信じられない話だが、裕香と梨桜はそれが信じられた。
「――あっ!」
「どうかしたの? 裕香」
「和成おにいちゃん、あのましろって子、誰かに似てなかった?」
「んっ? 誰かにって、誰だよ?」
和成は首をかしげながら、聞き返した。
「ほら、おにいちゃんがクラブを辞めさせらた日、それを知らないでおにいちゃんと勝負したいって女の子がいたっていってたでしょ?」
「ああ……」
「わたし、あの子のプレイ見てて思ったんだ。まるでおにいちゃんみたいだって。それもわたしたち見てるんだよ似たようなプレイする女の子を」
「それって、誰だよ?」
「同じ学校で、サッカークラブに入っていた畑千尋さん」
その名を聞くや、和成は唖然とする。
「私もサッカーの練習見てて思ったんだ。おにいちゃんみたいなリベロだなぁって」
リベロとは自由を意味する。つまりましろのプレイは予想ができない。
実を言うと、裕香はましろが追いつかない場所にパスを送ったのだ。そして、ワンツーで抜こうと思っていた。
「それでね、その子に聞いたんだ。『将来はなでしこになるの?』って。そしたらその子、勝ちたい人がいるって。まだまだ勝てないかもしれないけど、いつかその人を本気にさせて、抜いてみせるって」
「裕香、梨桜、なにをしてるの?」
うしろから襟川の声が聞こえ、
「それじゃぁね、おにいちゃん」
二人は、頭を下げると踵を返した。
「コーチ」
声が聞こえ、和成はそちらへと振り返る。
「……ましろか」
「どうかしたんですか?」
ましろは、首をかしげる。
「いや、なんでもないよ」
「でもビックリですね。決勝ですよ」
「言っただろ? 俺は優勝しか興味がないって」
和成は、裕香が言っていたことを思い出す。
『ましろが、その子だっていうのか?』
心当たりはあった。噴水のある公園でましろと会った時、その近くで父親が犯人に関する情報を聞いていた時だ。
忘れていたわけじゃない。いや、思い出せなかっただけだ。
和成は、あの日交わした約束なんてすぐに忘れるだろうと思っていた。
当時の河山センチュリーズでも、自分に勝てる子供はいなかった。
スタメンに選ばれなかったのは、言ってしまえばほかの子供が依怙贔屓されていたからだ。
それに、どうせすぐに気持ちが変わって、ほかのことに夢中になるだろうと思っていた。
「ましろ、サッカー楽しいか?」
「なにをいまさら、みんなとプレイしてると、楽しくてしかたがないですよ。あ、でもDFはやめてくださいよ。うしろで待ってるだけなのって性に合わないんで」
ましろは頬をふくらませながら言った。
「てか、ほとんど前線に出てたじゃないか」
和成が笑って突っ込む。ましろもつられて笑みを浮かべた。
「そうか。んじゃぁ絶対優勝しような」
「はいっ!」
満面の笑みを浮かべながら、ましろはうなずいた。
「それでさ……」
和成はましろに声をかけようとしたがやめた。
――今はまだ、目の前の目標に専念しよう。
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