Ⅵ-Ⅱ・ファルカン


 和成の(悪い)予感は的中した。


 というよりかは、早々に仕掛けてきたことのほうに驚いていたのである。


 リベロはDFのポジションラインから攻撃に参加するため、長距離を素早く移動しなければいけない。


 そのためある程度試合が進んでからのほうが、相手の意表をつくことができる。


 いうなれば、スタミナがあればあるほど、急襲に優れているのだ。


 小学生クラスのサッカーコートでは、タッチラインの距離が68メートルと定められている。


 さらにいえばゴールラインからペナルティーマークまでが8メートル。


 DFはそれよりも7メートル先のペナルティーアーク付近でポジションを取っている。


 その距離から相手のペナルティーエリアまではおおよそ50メートル強。


 相手が油断したところを走りきり、ボールを受けるのには十分といえる。


『――裕香はあくまで梓とましろを上げさせるための囮だった』


 はじめ、裕香がシュート体勢に入った時も、ボールが梓ではなく明日香に渡ったことに意味があった。


 ミスがあるとすればここである。


 攻撃の要であるましろと直之を上げさせ、中間的に梓を置くと、ボールを取られ、センタリングされてしまう危険なのは目に見えている。


 しかし前三人のほかに、明日香以外の子供たちは実力からして、梨桜と裕香からボールが奪えるかというとキツイ面もあり、二人は抜く自信があったからできた。


 ただしこれは襟川の指示ではなく、梨桜と祐香二人の暴走とも言える。


 梓にボールがわたっていればボールは取られにくかっただろう。


 しかし梓の悪癖というべきか、最初の数秒はうしろに下がって、相手選手のポジションや動きを頭に入れる癖がある。そこを裕香はついたのだ。


「まだ試合が始まったばかり、みんな気を取り戻して」


 朋奏が激を飛ばす。


「そうとは限らないんじゃないか?」


 和成がそう言うと、


「どういうこと?」


 朋奏がけげんな目でたずねた。


「あいつらの試合見てただろ? 1点取ったってことは、パスを送り続けて、そのまま試合終了ってオチもある」


 そう言われ、椿は頬を膨らませる。


「それって、ずるくない?」

「ルール上問題はないよ。でも問題は、ボールを取られなければいいだけだ」


 和成の、含みがある言葉に、朋奏たちは首をかしげた。


 取られなければいい。しかしボールを相手ゴールに入れなければ勝ちにつながらない。


 プレイヤーにとって、一番つらいのは試合に負けることでもあるが、ボールの所有時間が多ければ多いほど、それは苦痛になっていく。


 つまり、シュートするタイミングを与えられなかったことだ。


『――さぁて、あの二人をどう攻略する? 場合によっちゃあ、俺よか性格悪いぞ』


 和成はコートで対峙しているポニーテールFCの子どもたちを――いや、そこに立っている子どもたち16人がどうお互いを攻略するかを楽しんでいた。



「はぁ、はぁ……」


 試合は現在、直之がボールを取られないよう、必死にキープしながら、たまに武にパスを送っていた。


「……っ!」


 武の前に貴音がディフェンスに入り、武は梓へとボールを渡そうとパスの体勢に入ったが、その軌道上に貴音は重心を向ける。


「武、こっちに送れ」


 智也が上がり、声を上げる。武はそちらへとパスを送った。


「和成コーチ流、オフェンスの心得。相手は目の前の一人と思うな、思えば負けよ」


 貴音がそう言うと、武はギョッとした。


 ボールを受け取ったのは、智也ではなく、美柑だった。


「しまった」


 智也が奪いにかかる。美柑はたじろぐことなく、攻めに入った。


「ディフェンスの心得。相手の行動以外にも気をつけろ」


 言うや、美柑はちらりと右を見遣った。そちらには望空が上がっている。


「パスか」


 智也は体勢を左へかたむける。パスルートを判断し通らないようにさせた。


「望空ちゃんにパスと思った?」


 美柑は小さく笑みを浮かべるとヒールでうしろへと流した。


「望空っ!」


 ボールを受け取った雪乃が大きくパスを送った。


「ナイスパス~♪ と……」


 望空の前に、明日香が止めにはいる。

 望空は視線を逆サイドに向けた。


「いかせない」


 明日香はそちらへと体勢を傾ける。


「素直だね? でも」


 望空はそちらへとドリブルを仕掛けるがボールを蹴ったのは一回だけで、すぐに逆のインサイドでボールを止め、ルーレットを仕掛け、明日香の体勢とは逆の方へと抜けていく。


「ディフェンスは相手が攻める方向の逆に弱いって、コーチに教えてもらわなかった?」


 明日香は体勢を切り返す。一瞬だけボールが望空から離れ、それを奪い取った。


「梓っ!」


 ボールを梓に渡し、


「智也くん」


 梓はそのボールを流れるようにすこし上がっていた智也へとパスを送ると同時に攻め上がった。


『――明日香は望空さんにマークされてる形になってるし、直之くんも玲子さんにマークを付けられている。今前線でフリーの可能性があるのは、武くんか……』


 梓が思考を働かしている中、ボールを持っている智也は貴音と鬩ぎ合っていた。


 相手の一瞬を付き、智也が貴音を抜くと、シュート体勢に入った。


 ボールはゴールから逸れ、ポストに当たった。


「裕香っ!」


 カバーに入った梨桜がボールをクリアすると、ボールを大きく蹴り上げる。


 裕香はボールの軌道にあわせるように上がり出す。


 それを取らせないよう、梓はトップスピードで裕香の近くへと走った。


 裕香が梓を一瞥すると、足取りをゆっくりと緩め始めた。


「――えっ?」


 梓も、足取りをゆっくりとしていき、ボールのあとを見送ると、ボールは大きく、タッチラインを超えていった。


「梨桜、力入れすぎ」

「ごめん、裕香」


 梨桜と裕香が声をかけ合う。


「え? っと――」


 梓は裕香に声をかけようとしたが、先ほどのプレイは大きなパスミスだとしか思えず言葉に詰まっていた。


「言ったでしょ? 梨桜のボールは性格が悪くて気まぐれだって」


 裕香は梓にそう言うと、苦笑いを浮かべた。



 明日香のスローインが智也へと渡され、試合が再開する。


「智也くんっ!」


 梓に声をかけられ、智也はそちらへとパスを送った。


『――気まぐれ? だけどあの軌道は完全にボールが取れる感じだった』


 梓はボールをキープしながら、止めに入った貴音をルーレットで抜く。


 その時、貴音が振り返ろうとして体勢を崩し転倒したがさいわい怪我はなかった。


 梓は倒れた貴音を一瞥すると、ペナルティーエリアに入り、シュートを放つ。


 ボールがゴールポストギリギリのところで入ると、審判の笛が――、


『ピーッ』


 と、高々に鳴った。



「なっ?」


 その審判の音色に和成と直之、ましろは唖然とする。


『――えっ?』


 ゴールを決めた梓も、そのホイッスルの意味を知っているため、どうしてそんなことがあるのかと、目を見開き、リーズFCのゴール前で立ちつくんだ。


 本来、ゴールが決まったさい、審判が笛を『ピッピー』と二回鳴らすか、センターマークを示すかのどちらかだ。


 しかし、今のは……。


「なんで? なんで今のがファウルになるの?」


 梓の不安を駆り出すように、審判が梓に近寄った。


 ここまでのプレイで、自分がミスをしたとは思っていなかったからだ。


「あの、今のはどうして? さっき貴音さんが倒れたけど、直接相手を倒したわけではないし……」


 梓は不安な表情で審判に言う。


「ノーゴール。リーズFCのフリーキック」


 審判は、ポニーテールFCの方へと手を示す。


「ちょ、ちょっとなんで?」


 その様子に倒れた本人である貴音も不安そうな表情を浮かべる。


「あの、さっきのプレイは直接ぶつかって倒れたわけじゃないですし、横嶋さんが反則を……」


 それを聞いて、梓は貴音がマリーシア(わざと転んだり、怪我をしたなどと偽証してファウルをもらうこと)をしていないのだとわかる。


 それと一緒に、彼女たちも自分たちと同じ人に教えてもらっていたことに納得がいった。


 貴音の訴えも、審判の判断はくつがえされず、リーズFCのフリーキックとなった。



「――横島さん」


 貴音が梓に声をかける。


「あっ、さっきコケてたけど、大丈夫だった?」

「あ、うん」


 貴音は答えるようにうなずいた。


「さてと、またボールを奪えばいいし、気持ちを切り替えよ」


 梓は背伸びをすると、貴音が倒れた場所から10メートル離れた場所へと走った。



 審判が笛を鳴らし、雪乃がボールを裕香のいる方へとパスを送る。


 裕香はそれを受け取り上がったが、直之がボールを奪い取った。


「梓っ!」


 梓はボールを受け取り、もう一度攻めに入った。


 美柑が止めに入ったが梓はエラシコで体勢を右に向けると、相手の残った足へとボールを越しながら抜いていく。


 そして、シュートを放つと、ボールは恵里香の手を掠め、リーズFCのゴールネットを揺らす。


『――今度こそ……』


 今度はファウルもしていない。梓はホッとした表情を浮かべる。


 しかし、笛は『ピーッ』と鳴り、梓のゴールは認められなかった。


 梓は顔面蒼白となりその場にひざまずいた。



 この一連の流れを、観客席から見ていた能義と冴島が唖然としていた。


「ど、どういうことですか? 今のはどうみても決まってるでしょ?」


 焦燥をみせる冴島が、ジッと能義を見据える。


「ああ、別にオフサイドになっていたわけでもない」


 能義はそう答えると、


「考えられるとしたら、この試合両方のチームに影響が出るな」


 能義の言葉に冴島は首をかしげた。


 試合が再開してすこし経つと、前半終了のホイッスルが鳴り響いた。


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