Ⅴ-Ⅳ・チャント


「芝川、お前どこに行ってたんだよ?」


「ちょっと昼飯の買い物に。それで先輩、なにか用ですか?」


 芝川にそう返され、能義は困った表情を浮かべながら、頭をかいた。


「いや、ちょっとお前に聞きたいことがあってな」


「俺に聞きたいことですか?」


「ああ……。お前、中学の時なにかやってたか?」


「はぁ、それがどうかしたんですか?」


 芝川は、首をかしげる。


「いんやぁ、ちょっと気になってな」


「えーと、サッカーをやってましたけど」


 芝川がそう答えると、能義はだろうなと云わん表情を浮かべる。


「ただ、中学の時ちょっと怪我をしてしまって」


「――それで辞めさせられたってわけか?」


 能義がそう言うと、芝川はギョッとする。


「な、何を云ってるんですか?」


「いやな、ちょっと気になることがあったんだよ。ほら八年前の事件」


「たしか、横嶋幸が殺された事件ですよね?」


「そうだ。彼女は竹林の中で暴漢に殺された。しかしだ、捜査すらされなかった」


「それが、どうかしたんですか?」


「さっき、資料室で彼女たちの資料を見ていたらな、彼女が何をやっていたのかわかったんだ」


「横嶋幸さんがやっていたこと?」


「ああ、彼女はサッカーをしていたようだ」


「まぁ、最近はなでしこジャパンもありますしね、八年前くらいなら、女の子が小学生サッカーチームにいてもおかしくはないでしょ?」


「そうだな。ただそれをどうして誰も気にしないんだ? いや、そもそも河山センチュリーズは何も云わなかったんだ?」


 能義の言葉に、芝川は喉を鳴らす。


「彼女があのチームにいたんですか?」


「ああ、もしかしたらだがな」


 能義はそう答えたが、確信があった。


『――それは、お前が一番わかっているはずだ。芝川』


「でも、彼女が河山センチュリーズに所属していたのと、被害者である女の子たちの共通点である璃庵由学園と何の関係が?」


「思い出してもみろ、今までの事件で共通しているのはそこじゃない。彼女たちが璃庵由学園に通っていたことが重要だったんだ」


「言っていることがわかりかねませんが?」


「つまりだ、河山センチュリーズと璃庵由学園がつながっているってことだ」


 その言葉に、芝川は鳩が豆鉄砲を食らったような、唖然とした表情を浮かべた。


「言葉が支離滅裂ですね」


「ああ。俺も自分で云っててわけがわからないよ。だがな、畑千尋の事件を考えると、前と違って上から捜査打ち切りの指示を出されたのがだいぶ後だっただろ? それにだ……、道重という中学生が犯人というのをどうしてお前は知っていたんだ?」


「そ、それは……」


「どうなんだ? すごく大切なことなんだ」


「……俺は、資料に書かれていたのを読んだだけなんです」


「ああ、たしかに書いてあった。だがなそれだけじゃない。どうして被害者全員が河山センチュリーズと関わりのある人間に殺されているのかだ! お前を含めてだ!」


 能義がそう言うと、周りの人間が何事かと二人をみやった。


「せ、先輩、いったいなにを?」


 芝川は驚いた表情でたずねる。


「俺はお前に彼女たちの事件を調べるように言う前から、薄々気になっていたんだよ。だがな、犯人の名前がわかっても、それを煙に巻かれたように上からストップがかかってなにもわからなくなるんだ」


「でも、だからって……」


「最初の事件。妃春香が殺された事件だ。第一発見者は当時小学生だった彼女の友人だったが、事件調査の時に彼女はなにも答えてくれなかった。次の発見者は季久利という教師だった。お前も知っているはずだ」


「ええ。季久利先生は小学校の時に担任だったんで」


「彼がその時、救急車を呼んだ」


「はい。確かに――」


 芝川は、ハッとした表情で口を塞いだ。


「やっぱり、見てたんだな」


「な、何を云ってるんですか?」


「お前は事件の調査資料を閲覧しているはずだ。妃春香は『竹林の中で撲殺された』と――。だが俺に報告した時、お前はなんて言った?」


 能義がそうたずねると、芝川は青褪めた表情で顔を震わせた。


 能義に説明する時、芝川はこう言ったのだ。


 【死因は暴行を受けた後、噴水の中で溺死体となって発見された】――と。


「それにな、二人目の熊川憂は首を絞められて殺されている。たしかに暴行を受けていたようだが、抵抗したんだろうな、他の子と比べて暴行されたと思われる傷が少なかった」


 能義はそう言いながら、芝川の表情を窺っていた。


「ほかの女の子に関してもそうだ。璃庵由学園という共通点でだけなら、上にストップはかからないはずだ。だがなお前も知ってるだろ? 河山センチュリーズのオーナーについて」


「ええ。たしか有名な出版会社の社長と」


「その社長な、昔編集記者をしていて、かなりのネタを持っていたらしい」


「それじゃぁ、今までの事件は」


「ああ、ただの出版会社の社長が、警察上層部に顔が効くはずがない。それを考えると――」


「政治家の弱みを握って、それを止めさせていたということですか?」


「おそらくな」


「でも、犯人がわかっても」


「捜査が打ち切られている以上、調べることはできない。だから歯痒いんだ」


 能義はそう言いながら、ソファに座った。


 芝川は声をかけようとしたが、能義の苦痛な表情に何も言えなかった。


 これまで関係していた一連の殺人事件が、能義の息子である直之もそれに巻き込まれるように亡くなっており、ひいては人為的殺人であり、それを上が捜査をしないようにと脅迫に屈している。


 能義は事故の真相を知っているのに、何も調べあげることができない。


 それは芝川が身勝手な理由で殺してしまった妃春香の遺族に対しても同じことであった。


『――俺は……、なんてことをしてしまったんだ』


 ふと、芝川はあの日季久利が言っていた言葉を思い出した。


「先輩。河山センチュリーズのオーナーが政治家に対するスキャンダルを知っていたとしたら、それをネタに第三者が脅しに使っていたとしたらどうしますか?」


「それは、どう言う意味だ?」


「俺、たしかに妃春香さんを竹やぶの中で殺してしまいました。だけど、暴行はしていない」


 能義は怪訝な表情で芝川を見やる。


「嘘はいっていないんだな」


 そう聞かれ、芝川はうなずく。


「彼女を殺した時、ハッと我にかえって怖くなったんです。だけど犯人は現場に戻ってくるっていう心理は本当ですね。気になって公園に戻ってみたんです」


 芝川は季久利が自分に言ったことを、能義に説明する。


「芝川くん?」


 婦人警官が戸惑った表情、芝川に声をかける。


「俺はお前を信じるよ」


「先輩、どうして?」


 芝川がたずねようとした時、能義の携帯が鳴った。


「もしもし……」


「あ、能義さん。言われた通り少年サッカー大会を見てます」


 能義は壁にかけられている時計を見ながら、


「今は、たしか第四試合あたりか?」


 そうたずねると、電話先の警官は「そうです」と答える。


「それで、結果はどうなっている?」


「第三試合までは、子供の試合とは言え、みんな一生懸命に頑張ってるのがわかるんですけど、おれ、あんなにひどい試合を見たことないですよ」


 能義は、連絡を聞きながら、歯軋りを鳴らした。



 ◇



「あ、あの……コーチ。これってどう見ても」


「ああ、あいつら。なにもしてねぇ」


 和成と梓たちは、観客席からグラウンドを見ていた。


 試合は第四試合。河山センチュリーズと泰平ホライズンの試合が行われていた。


 河山センチュリーズのMF野崎がペナルティーエリアにセンタリングを上げる。それを上がっていた所沢が、オフラインサイドから下がって受け取った。


「さっきの、どう見てもオフサイドでしょ?」


 ましろがそう叫ぶ。オフサイドラインに入っている選手が、ボールが蹴られたあとにボールを取りに戻ることもオフサイドとなってしまう。


 しかし、ホイッスルは鳴らない。


「やっぱり、大会の運行表を見た時から、こうなると思ってたのよ」


 和成たちのうしろに、一人の女性と、二人の少女の影が差し込んだ。


「襟川さん、それに裕香に梨桜も」


「和成くん、今の見てて楽しいって思う?」


 そう聞かれ、和成は激しく首を振った。


「オフサイドの細かいルールがわからないと気づかない点もありますけど、審判がそれを無視するなんてありえません」


 梓がそう言うと、襟川は険しい表情でうなずいた。


「今のは紳士的じゃないし、多分選手は気づいているはずよ」


「だったら、今の点だって無効じゃないですか?」


「ええ本来ならね。でも審判が笛を鳴らさない以上、それは反則じゃない」


「めちゃくちゃですよ、こんなの」


 梨桜がさみしそうな表情で呟いた。


「和成くん、私がいつも教えていた心得の一番最初、覚えてる?」


 そう聞かれ、和成は梓たちをみやった。


「子供のサッカーは“遊び”であり、それは“楽しく”なくてはならない」


 和成がそう答えると、襟川はうなずいた。


「そうね。梓ちゃんたちは和成くんに勝つことを強要されたことはある?」


「いえ、今回の大会はちょっと私事もあって……。でもコーチに発破をかけられただけで、絶対に勝てとまでは言われてません」


「うん。和成くん、コーチの心得を教えてあげようか?」


「あ、はい。お願いします」


「コーチの心得、『試合に勝つことは手段であり、目的ではない』」


「え? それってどういう……」


 優が首をかしげる。


「試合に勝つことは、あなたたちが成長する上での手段であって、目的ではないという意味よ。その先もあるってこと」


 襟川がそう言うと、長いホイッスルが鳴った。


「第四試合。5対0で河山センチュリーズの勝利となりました」


 観客席からはブーイングが鳴る。


「準決勝第一試合は、昼2時より行います」


 アナウンスがそう言うと、梓は裕香を見遣った。


「私たちは、私たちのサッカーをするだけだから」


「うん。お互いに、楽しいプレイをしよう」


 そう言うと、裕香は手を差し出すと、梓は手を取り、握手を交わした。


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