Ⅳ-Ⅱ・アジリティ
会場のグラウンドに、地元の少年サッカークラブ8チームが分かれて列をなしていた。
子どもたちはみなソワソワと落ち着きがあったりなかったりと子供らしい反応をしてはいるのだが、それとは真逆の意味でポニーテールFCの面々は、ジッと目の前に立っている少年を、積年の怨みとでも言わんばかりの目で睨むように見つめている。
『僕たち選手一同はスポーツマンシップにのっとり、正々堂々と戦うことを誓います』
そう宣言したのは、河山センチュリーズのキャプテン、大間であった。
「なんであいつが選手宣誓なんてしてるんだ?」
むしろお前がスポーツマンシップにのっとれよ――と、ましろ以外のポニーテールFCの子どもたちは思っていた。
「しかたないでしょ? あのチームはここらへんじゃ一番強いチームみたいだから」
悟の不貞腐れた呟きに、ましろが答える。
「みんな、わたしたちはわたしたちのサッカーをしよう」
梓がそう言った時、開会式は終了した。
和成と梓たちはグラウンドのスコアボードの横に置かれた掲示板を見ていた。
そこにはトーナメント表が貼られており、ポニーテールFCは第一試合のところに記されている。
大会全体の試合数は全部で7試合。一試合が15分ハーフであるため、大体夕方前には終わるようにされていた。
「河山センチュリーズは?」
「えっと、四試合目だから……、決勝まで当たらないね」
優がそう言うや、朋奏は和成を見遣った。
「うーん、まずは目の前のチームに集中しないか?」
「そうだよ。それに私たちが決勝に行く前に負けたりしたら、リベンジもなにもないでしょ?」
「えっと、初戦の相手はFCカコウだって……、知ってます? コーチ」
「たしかオーナーからもらった資料によると、
「170って、それ小学生かよ?」
恭平が驚いた声をあげる。それを聞きながら、椿は優を見上げた。
「優より大きいね」
「あんまり言わないで」
困惑したような声で言い返す優を見すえながら、
「おそらくDFに置かれているだろうな」
と和成は言った。
「大丈夫かな?」
優から不安げな空気が漂い始める。
「まぁ、少年サッカーだから、出る選手もたいていは男子だ」
和成は優に近付き、耳元に唇を近付けた。
「だから、あんな危険な練習をしたんだろ?」
優はカッと顔を赤くする。
その反応を見るや、梓たち女子は目を点とした。
「ちょ、ちょっと! なによその練習って」
うしろから声が聞こえ、和成がそちらに振り返った時だった。
「死にさらせっ! このロリコンがぁあああああああっ!」
飛び出してきたまといから飛び蹴りを食らった和成は、呻き声をあげながらたじろいた。
「ま、まといっ! お前なんでここに来てんだ?」
「友達の応援。てかみんなも出るんだ?」
「そうだよ」
椿は笑顔で言った。
「ねぇ、本当に大丈夫なの? みんな梓ちゃんたちのこと知らないって言ってるし」
「ああ、この子達が公の場で試合をするのは、今回が初めてなんだ」
和成がそう言うや、まといは面食らった表情を浮かべた。
「そ、それって素人ってことじゃない? 本当に大丈夫? いきなり一回戦で負けるなんてことになったら」
「少なくとも、俺は優勝しか見てねぇよ?」
和成は自信有り気な表情で答える。
「それに、サッカーは楽しむもんだ」
まといはそれ以上言えなかった。和成が河山センチュリーズを辞めさせられたことで荒れた時期や、中学でサッカーができなくなった理由を考えると、今こうして梓たちに教えている姿が楽しく、不甲斐ないにもカッコよく見えていたのである。
「わかった。おっさんがどれだけみんなを育ててるか見ものだね」
まといは朋奏や梓たちに頭を下げると、足早に去っていった。
「そう言えば優、さっきコーチから耳打ちされてたけど、なに?」
明日香がそうたずねるや、優はふたたび顔を赤らめた。
「あぅ……」
「なにその反応、もしかして秘密の特訓とか?」
「ち、違うよ。ほら、うちって攻撃の要が直之くんとましろちゃんじゃない? でもたいていのチームは男子で構成されてるから、コーチが――」
優は、試合が始まる先日までの練習風景を皆に伝えた。
「よーし、残り20本」
和成が優に声をかけた。
ゴール前で構えている優はキッと表情を険しくする。
ポジションがGKに定着した優は、和成から直接指導を受けていた。
「それじゃぁ、いくぞっ!」
和成は今までの練習のあいだ、ずっと使っていた右足――ではなく、左足をおおきく振りかぶった。
その一瞬、優の耳元で研ぎ澄まされた刃のような切れ味のある風が吹いた。
「……えっ?」
いままでとは明らかに違う恐怖心が優の全身を駆け巡った。
そして、ボールがネットに突き刺さり、てんてんと中で転がっていたのに気付いたのは、それより少し遅れてのことだ。
「どうした? 反応しないと取れるもんも取れないぞ」
「あ、はいっ!」
優はボールを持ち上げ、和成にパスを送る。
「それじゃぁ、いくぞっ!」
和成は声をあげると、左足を振り上げる。
『そうだ。いままでだって冷静にボールや相手の動きを見れば、取れるってコーチが……』
そう考えている暇もなく、和成が放ったボールは、優の全身に恐怖を与えた。
優は青褪めた表情で、和成を見やる。
「どうした? もしかして、怖いのか?」
まったくその通りだった。
チームメイトたちと練習していても、目が慣れているのと、みんなの癖がわかっていたこともあり、さほどボールに対する恐怖心がなかった。
しかし、今目の前にいる大きな存在が放つ恐怖に、ただただ震えるしかなかった。
「いいか優、みんなは今度の大会ではじめて他のチームと対戦するんだ。こんなことわざがあるだろ? 『井の中の蛙大海を知らず』……って」
その意味を、小学六年生であった優が知らないはずがない。
彼女自身、いやポニーテールFCのメンバーは自分たち以外と試合どころか接点がないのだ。
自分たちがどこにも負けないという思い上がりこそ、大会に出場すると決めてからは、より厳しく教えてもらったり、直接相手となって指導を受けている時に簡単に砕かれている。
「それにな、俺はあそこにいた時より衰えてるんだぜ?」
優は、キッと表情を固くし、構え直した。
しかし、それでも和成の放つ本気のシュートに、言葉どおり手も足も出せなかった。
身体が追い付かないのではなく、強烈な一打に心が怖気づいているのである。
「どうした? 云っとくけどな、あいつらのボールはこんなもんじゃないと思うぞ?」
優はゆっくりと和成を見据えた。
「優、想像してみろ。延長でみんなはボロボロで立つことすらやっとの状態だ。そんな中、相手の選手が攻め上がってきた。俺と同じくらい強いボールを蹴る選手だ」
その言葉に、優はごくりと喉を鳴らす。
つまり、そのボールを取らなければ、チームは負けてしまう。
『負けるのは嫌だけど、みんなが悔しそうな顔をするのは嫌いだ』
身丈は小学生どころか高校生と思われてもおかしくないくせに、見た目に反して弱虫で臆病だった自分を、見捨てずに一緒にサッカーを教えてくれた梓たちに泥を塗ってしまう。
優は、険しい表情を浮かべ、身構えた。
「さぁ、どうする?」
「取りますっ! 絶対取って、みんなに繋げるっ!」
優が叫ぶと、和成は小さく、笑った。
和成がボールの芯を貫くほどに強烈な一打が、ゴールの右サイドへと放たれる。
優は手を伸ばしながら、右サイドに飛んだ。
強烈なボールが右手に突き刺さり、骨が軋むほどの痛みが優の全身を駆け巡る。
悲痛の表情を浮かべながらも、優はボールから手を離そうとはしなかった。
このボールを許せば、みんなが苦しい思いをする。
その想いが、痛みを堪えさせた。
「はぁあああああああああっ!」
それは一瞬の出来事でしかなかった。
「――取れた」
取った本人は、なにが起きたのかわかっていなかった。
しかし、優はしっかりと、ボールを取っていたのである。
「優、大丈夫か?」
和成が駆け寄ると、優はハッとした表情で和成を見あげた。
「コーチ、わたし」
「ああ、しっかりとボールを取ってる。よくやった」
和成は興奮のあまり、優を抱きしめてしまった。
「ちょ、ちょっとコーチ」
優はカッと赤くなったが、離そうとはしなかった。
「――というわけなんだけど」
優の話を聞きながら、梓たちは険しい表情を浮かべる。
「優はコーチとふたりっきりで」
「いや、そこじゃないでしょ?」
明日香の言葉に梓がツッコミを入れる。
「でもさ、コーチは本気で蹴ってたのかな? 少なくとも河山センチュリーズにいて試合にも出ていた人だぜ? 俺たちよりも明らかに強いってのはあるんじゃないか?」
「それは私たちよりも年上だからじゃない?」
「ううん、コーチは私になにかを教えようとしてたんじゃないかな。あの時だって、みんなを助けたいって思ったから取れたようなものだし、あの後も練習したけど」
自信のない言葉に、梓たちは首をかしげた。
「助けたい――」
梓がなにかを言おうとした時、
「なにをしているの? そろそろ試合が始まるわよ」
朋奏の声が聞こえ、梓たちは互いの顔を見やるや、駆け足で朋奏たちについて行った。
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