Ⅲ-Ⅱ:リベロ


 少女は、ジッとピッチに立っている少年たちを観客席から見ていた。

 その試合はなんの名誉にもならない、小さな町の大会でしかなかった。


「石川っ! 上がれっ! 栗田、7番が戻ってきてるぞっ!」


 青と白のストライプのユニフォームを着た5番が、味方選手に指示を出していく。


「鎌田っ!」


 味方の9番が大きくパスを送る。5番、鎌田はそれを受け取った。


「やばいぞっ! あいつ今日の大会でほとんどアシストしてる」


 敵の4番と3番が、ボールを取りに迫ってくる。

 鎌田は攻めるようにドリブルすると、3番の目の前で、突然チェンジ・オブ・ベース、左足によるルーレットで相手を抜き、ヒールでボールを浮かせた。


「――松崎っ!」


 ボールをもう一度大きく蹴り上げると、飛び上がり、ヘディングでパスを送った。


「そのままいけっ!」


 松崎は飛び出し、ボールにあわせてヘディングした。

 ボールは相手チームのゴールに、吸い込まれるように入っていく。


「河山センチュリーズ追加点っ!。これで2-0だぁああっ!」


 実況が叫んだ。観客も興奮していく。

 そして審判が、長い笛の音を鳴らした。


「試合終了っ! 河山センチュリーズ優勝っ! やはり今年もつよかったぁっ!」


 試合が終わり、悔しさで崩れる敵チームのキャプテンに、鎌田は近付いた。


「なんだよ? バカにしにきたのか?」

「なに言ってるんだ? ほら、立てよ。応援してくれた人たちにあいさつくらいしろ」


 鎌田は手を差し伸べ、敵チームのキャプテンを立ち上がらせた。


「いいぞっ! よく頑張った」「みんなよくやったぞっ!」


 観客席から、子供たちに惜しみない拍手と、声援が飛び交う。


「さぁみんな整列しなさい」


 審判がそう云うと、鎌田と敵チームのキャプテンはそれぞれのチームに戻ろうとした時だった。


「おまえ、来年中学だろ? やっぱりクラブ続けるのか?」


 敵チームのキャプテンがそうたずねると、


「続けるに決まってるだろ? 俺、サッカー好きだからな」


 鎌田は満面の笑みで答えた。


「俺も来年から中学なんだ。こんどまた勝負しようぜ」

「ああ。またな……榎本」


 鎌田は榎本と握手を交わす。


「両チームの選手が、熱く、熱く握手を交わしている」


 実況の台詞に、ふたりは照れてしまった。

 少女は、彼の……鎌田のような人を惹きつけるプレイを見て、一目でサッカーが好きになった。

 スポーツなんて、どうしてそんなに苦しいことをしないといけないのだろうという否定的な気持ちを払拭するように、鎌田が見せた楽しそうなプレイに魅入ったのだ。


『――お父さんにお願いして、あの人がいるあのクラブに入れてもらおう』


 そう願ったが、その願いは、決して叶う事がなかった。



「それでは、おつかれさまでした」


 控え室から運営スタッフが出て行く。


「よし。今日の反省会だ」


 監督の小野崎がそう皆に告げる。


「今日の試合はなんだ? あんな下っ端に2点しか入れられないのか?」

「す、すみません。監督」

「お前たちにいくら金を使っていると思う? あんなやつら、10点くらい、余裕で入れろ!」


 小野崎は興奮し、ホワイトボードを叩きながら怒声を放っている。


「それと、鎌田っ!」

「はい。なんですか?」


 鎌田が返事すると、小野崎は鎌田に近付き、その場で思いっ切り殴った。


「貴様ッ! なんだあのプレイは? あんな指示を出しておらんぞ? あそこは貴様にボールを渡してシュートだろ? ふたりくらい簡単に抜けれたはずだ!」

「す、すみません。でも今回の大会、松崎は一度もゴールしていませんでした」

「ボールを奪い取ってゴールできんやつがわるいっ!」


 小野崎は、倒れている鎌田を蹴った。


「鎌田っ! 松崎っ! 貴様らもう来なくていいっ! 監督の云うことを聞けないやつはもういらんっ!」


 小野崎はコーチや、他の選手たちに視線を送った。


「ほら、立てよっ!」


 石川が鎌田を立ち上がらせる。


「か、監督っ!」

「ほら、ボサッとするなっ!」


 コーチが、鎌田と松崎を控え室から追い出す。


「お前たちはあんなバカがプロになれると思うか?」


 小野崎が歪んだ笑みを浮かべる。


「いいえ、監督の云うことが聞けない選手は、プロになんてなれません」


 子供たちが、そう声を合わせる。


「そうだろ? プロになりたかったら指示にあわせられる選手でなければいかん。お前たちはよくわかってる」


 小野崎は反省会などそっちのけで、控え室を後にした。



「くそっ!」


 鎌田は自販機の横にあるゴミ箱を軽く蹴った。


「ごめんな。俺のせいで」

「なんで松崎が謝るんだよ?」


 鎌田は呆れた表情でたずねる。


「お前、ちゃんとチームを引っ張ってるのにな。それなのに俺が1点も入れられなかったのがわるいんだ」

「だから気にするなって。チャンスなんて均等に来るわけじゃないんだ。俺だって入れてない試合があるんだぜ?」

「でも、アシストはお前が一番多いよ。それにあのトリッキーな技は見てて楽しいよ」


 松崎がそう言った時だった。


「あ、あの……」


 とつぜん声が聞こえ、鎌田と松崎はそちらに振り返る。

 そこには、ナチュラルカットの女の子が、小さなボールを抱えて立っていた。


「あ、あの……河山センチュリーズの5番と、最後にゴールを決めた人ですよね?」


 女の子は、目を爛々と輝かせ、鎌田と松崎にたずねる。


「ああ、そうだけど……君は?」

「わたし、今度河山センチュリーズに入ろうかなって思ってるんです」


 女の子がそう云うと、


「それは無理だよ。あのクラブは女子を入れない。それにもし入れたとしても、君はずっとペンチどころか、練習にも参加させてくれないと思うぜ」


 松崎が答えると、女の子は頬を膨らませた。


「だったら、わたし他のクラブに入って」

「すまないけど、君、何年生?」


 鎌田の問い掛けに、女の子は「四年生です」と答えた。


「だったら無理だね。おれたち来年から中学なんだ。もし君がサッカーを続けていたら、もしかしたらどこかで会えるかもしれないけど」

「だったら、その時までいっぱい練習して、いっぱい強くなって、いつか……いつかあなたを抜きますっ!」


 女の子は懸命な表情で鎌田を見た。

 鎌田は自分のプレイを見てなお、そんなことを口にする少女におどろきを禁じえなかったが、彼の隣りにいた松崎はそれこそ苦笑を浮かべるように、「君、こいつのプレイ見たんだろ?」と嘲笑ちょうしょうした。


「そう簡単には抜けられないし、俺たちだって取れないことがあるんだ。君みたいな素人にできるわけがない」

「今は無理かもしれません。でもいつか必ずボールを奪い取って、鎌田さんを抜きます」


 女の子の言葉に鎌田はちいさく笑みを浮かべる。


「そうか。それは楽しみだ。ところで名前は?」

「畑……畑千尋です」


 女の子――畑千尋は大きな声でそう答えた。


「千尋ちゃんか。よし約束だ。君が俺に勝てると思ったら、いつでも勝負しにきてくれ」


 鎌田は小指を出した。千尋も小指を出し、絡ませる。


「ゆびきりげんまん。うそついたらはりせんぼんのーます。ゆびきった」


 ふたりはそう約束を交わした。

 その時、ふと千尋は鎌田の表情を見ると、どことなく寂しそうな、そんな顔だったが、千尋はそのことを気にも留めなかった。


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