第6話 聖女の告白

「私、冬見くんのことが、ううん、公一くんのことが好き。付き合ってくれる?」


 聖女様が頬を真っ赤に染めて、上目遣いで俺に言う。放課後。屋上に呼び出されたとき、俺も予想しなかったわけじゃない。


 告白された。相手は聖女様。美少女に好きと言われて、嬉しくないわけがない。


 しかも、友人としても好ましく思っている相手だ。たいていの男子だったら、そのときは特別な思いがなくても、受け入れてしまうかもしれない。


 けれど、俺には菜穂がいた。

 

「ごめん」


 俺が短く言うと、塩原さんは「そっか」と寂しそうに笑った。


「どうして俺を……?」


「最初はね、冬見くんは変わっていたから興味を持ったの。中等部のとき、クラスで一人だけ、聖女様なんかに興味ありませんって顔をしてた」


「そうだね。俺には幼馴染がいたから」


「そう。羨ましかったんだ。私は聖女なんて呼ばれて、本心を打ち明けられるような友達なんて一人もいなかったの。みんな私を品行方正な聖女に祭り上げて、私をそこから外れないように押し付けた」


 塩原さんは淡々と言う。聖女には聖女なりの苦労があるのだろう。聖女と呼ばれるのを嫌ったのも、そういう理由に違いない。


「私、家族とも不仲なの。私生児ってわかる?」


「単語としては知っているよ」


「私も実は愛人の子供なの。だから、妹とはお母さんが違うし、髪の色だって違う。家族はみんな私のことを嫌ってる。それでも、私にはピアノがあった。でも……」


 そのピアノの道にすら挫折した。

 塩原さんは自嘲するような笑みを浮かべた。


「私には何もない。君が野球に挫折したときみたいに、慰めてくれる幼馴染はいなかった。私に残ったのは、聖女なんていらない称号だけ」


「それでも、塩原さんが完全無欠のすごい女の子だということには変わりはないよ」


「好きな男の子一人にも好きになってもらえないのに?」


「塩原さんはさ、俺に告白しても振られるってわかっていたはずだ」


 俺が菜穂を好きなのを、この聖女様は知っていた。告白すれば、失敗して傷つくことも。それでも俺に好意を告げたのはなぜだろう?


 塩原さんはくすりと笑みを浮かべた。


「それは公一くんも同じでしょう?」


 塩原さんはわざと俺の下の名前を呼ぶ。距離を縮めたいのだとわかってはいたが、俺は塩原さんを「詩音」と呼ぶわけにはいかなかった。


「俺が塩原さんと同じ、ね。そうかもしれない。俺は菜穂に何度告白しても振られているんだから」


「そうでしょう? それはどうして?」


「いつか菜穂に好きになってもらえるかもしれないから。まあ、挑戦しないと始まらないからね」


「私も同じ。それではダメ? 私の好意は迷惑?」


「迷惑なんかじゃないよ。塩原さんが聖女であろうとなかろうと、ピアノの才能があろうとなかろうと、俺にとっては大事な友人だ。そんな塩原さんが俺を好きだと言ってくれるのは、光栄だし、嬉しいと思う」


 でも、俺は塩原さんの好意を受け入れられない。一番大事な人の席は一つだけだから。

 

「そっか」


 二人のあいだに風が吹き抜ける。俺がそれに気を取られているうちに、塩原さんが一歩俺に近づいた。


 そして、俺の唇に強引に自分の唇を重ねた。とっさのことで、俺は避けることもできなかった。


 塩原さんは、すぐにキスを終えると、真っ赤な顔で上目遣いに俺を見た。そして、くすくす笑う。


「公一くんってば、動揺してる!」


「誰だって、いきなりキスされたら、うろたえるよ」


「そうだね。やった私もすごく恥ずかしいもの。私のキス、どうだった?」


 柔らかくて艶めかしい温かさのある感触が、はっきりと俺の唇には残っている。塩原さんを強烈に異性として認識させられる。


 俺が答えられずにいると、塩原さんは言う。


「私なら、神宮寺さんと違って、何でもさせてあげるのに」


「そんなことでは、俺の気持ちは変わらないよ」


「今は、ね。でも、この先も? 神宮寺さんは、まったく公一くんの気持ちに応えてあげないのに、ずっと神宮寺さんを好きでいられる?」


 その質問には、痛いところを突かれた。菜穂が俺の気持ちに応えてくれないなら、俺は菜穂から離れるべきなのかもしれない。


 そうでなくとも、菜穂に別の彼氏ができれば、今の関係は終わりだ。

 塩原さんは俺の服の袖をつまむ。


「そうなっても、私がそばにいてあげる。でも、公一くんは、私と同じやり方をしてもいいと思うの」


「同じ?」


「神宮寺さんを押し倒して、無理やりキスをすればいい」


「そんなことをしたら、犯罪だ」


「大丈夫。神宮寺さんはきっと受け入れてくれるから」


 俺は菜穂の部屋のベッドの上に彼女を押し倒すところを想像した。菜穂がぎゅっと目をつぶり、震えるところが目に浮かぶ。


 俺はその菜穂を無茶苦茶にして――。


 そこまで考えたとき、屋上の入り口あたりでごとっと音が鳴った。振り返ると、そこには一人の女子生徒がいた。


 俺が一番可愛いと思い、大好きな女の子だ。菜穂は激しいショックを受けたような表情をしていた。


「……菜穂!」


「ごめんなさい!」


 だが、俺たちと目が合うと、菜穂はすぐに逃げ出してしまった。キスするところ見られてしまったらしい。

 菜穂はどう思ったのだろう? 誤解したのか。菜穂の表情を思い出し、俺は考える。


「ねえ、公一くん。追いかけないの?」


「俺はさ、塩原さんに呼び出されてここにいる。途中で話を投げ出して、いなくなるなんて不義理は働けないよ」


「もう私の話はおしまい。君に神宮寺さんを追いかけることを許してあげる」


「でも、塩原さんは――」


「私はね、仲の良い幼馴染にあこがれていたの。公一くんと神宮寺さんみたいな、ね。だから、二人が仲良しだと嬉しいな。私の思いが実らないなら、公一くんには願いを叶えてほしい」


 塩原さんは美しい声で、そう言って微笑んだ。


「やっぱり、塩原さんは聖女様だ」


「私はただの女の子だよ。実際に公一くんと神宮寺さんが付き合ってイチャイチャしていたら、嫉妬しちゃうかも」


「……ごめん」

 

「謝らないで。公一くんは何も悪いことしてない。まあ、神宮寺さんがこれでも公一くんを拒絶するなら、ちょっと怒っちゃうかもだけどね」


 俺は塩原さんに頭を下げると、菜穂の後を追った。塩原さんが目元を指先で拭っていたのを気づかないふりをして。


「私、諦めないから」


 塩原さんの小さな声が、俺の背中に届いた。

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