2章 メインヒロインと雹水竜

二十七話 「私がメインヒロインだ」


『――――ジ』


 誰かの声が聞こえる。


『――――――コウジ』


 誰かが俺を呼んでいる。


『コウジ』


 ……分かったよ。

 起きるから俺の身体を揺らすな。


「コウジ」


 目を開けると誰かの顔が直ぐ近くにあった。

 俺を心配しているような顔だった。


「……お前は誰だ?」


 目を擦りながら誰かの顔を見る。

 俺の知らない顔だった。


 目尻の細い目。長い睫毛。細い眉。

 瞳の色は黒っぽく見えるがよく見ると紫色が混じり落ち着いた雰囲気を醸し出す。

 近くで見ても毛穴の見えない綺麗な白い肌に、鼻筋の通った鼻。

 淡いピンク色の唇。


 ピンクの唇が震えるように動いた。


「……忘れてしまったのか?」

「いや、忘れたというより見た事が無い……。俺達何処かで会ったか?」

「ふむ……コウジは小さい頃の私しか知らないからしょうがないか。だが、そう言われるのは少し……いや、かなり悲しいな」


 悲し気に微笑んで……いや、よく見ると表情は変わっていない。


 ずっと無表情のままなのに、なんで俺は悲しい表情を浮かべているなんて思ったんだ。


 この人が言う通り、俺達は何処かで会った事があるのか?


「私はずっとコウジの事を待っていた」


 そう言って、寝ている俺へ手を伸ばす。


 ……だが、その手が俺に届く事は無かった。


 横から現れた小さな手が、俺に伸びていた手を弾いた。


「――待っていたのは私だが」


 聞き覚えのある声だった。

 ずけずけと割り込んで来た声の持ち主は更に続ける。


「十年後の私はもっと可愛いが」


 横から割り込んで来た誰かは俺の前に立ち、俺の名前を呼んでいた誰かに相対する。


「よく見たら作りが甘いのだが?」


 俺の名前を呼んでいた誰かが狼狽え始めるのが分かった。

 じりじりと寄って来る誰かを怖がっているのか、一歩、また一歩と後ろに下がって行く。


「見ろ、コウジ。この首と胴体の繋ぎ目。人体の作りが分からないからって黒い靄を纏う事で誤魔化しているぞ」


 誰かが言う通り、俺の名前を呼んでいた誰かの首元には黒い靄が掛かっていた。

 誰かが、俺の名前を呼んでいた誰かの服を剥ぎ、丸裸にしていく。


「ふん。偽物にしては頑張ったとは認めてやりたいが、これでは及第点も与えてやる事は出来ない。何故ならば、成長した私はもっと可愛いから。なんなのだこの顔は。私の可能性を見縊り過ぎている。もっと瞳は大きいし、瑞々しい唇になっているぞ。だいたいなんなのだ、この胸は。舐めているのか? もっと大きくなっているに決まっているだろう?」


 服を剥ぎ、胸をはだけさせた誰かが、気に入らない様子で俺の名前を呼んだ誰かの胸の触り心地を確かめる。

 俺の名前を呼んでいた誰かは、横から急に現れた誰かにされるがままになっていた。


 居たたまれない気持ちになり、俺は横に目を逸らした。


 女子高生のような風貌をした子が、小学校低学年のような風貌をした子にいいようにやられている。

 そのあまりにもな状況を脳が現実として受け入れるのを躊躇っている。


「……いや、待てどういう状況なんだ。俺は今何処に居るんだ」


 寝起きの頭が覚醒しようと頑張り出した。

 何故か酷い頭痛と吐き気がするが、眠る前の俺は何をしていたんだ。


「というか……」


 ゆっくりと歩き、延々と文句を言い続けている少女の首根っこをひっつかみ、俺の方を向かせた。


「…………アズモじゃねーか」


 何処からどう見ても俺が探しに来た少女の見た目をしていた。

 声も口調も理不尽さも、手の早さも全部が俺の知っているアズモと同じ。


 子供の癖にやけに整った顔と、不遜そうな無表情。

 それと、光が当たると紫に輝く黒い髪。


「む。今更気付いたのか」


 アズモはやれやれとでも言いたげに手を振り、足をバタバタさせる。


「なんでアズモがここに居るんだ? というかじゃああのお前が裸にしたあいつは誰なんだ?」


 俺の方を向かせたアズモをくるっと反転させ、両手で身体を隠し恨めしそうな眼をアズモに向ける誰かを指差した。


「あれはコウジの心に巣食う者だ」

「俺の心に巣食う者……?」

「ああ。ちなみに私は違うからな」


 自分はあいつとは違うというニュアンスの台詞を恥ずかし気もなく言うアズモに対し、「あ、こいつは本物のアズモだ」と確信した。


「なんで私がここに居るのか。それはもうなりふり構っては居られないと思ったからだ。なんかよく分からない奴に宣戦布告されてしまったからな」

「はあ?」

「詳しい事は後で説明する。取り敢えずあいつを殺す」

「いや、待て待て待て! 詳しい事は今説明して欲しい! アズモは何をしようとしているんだ!?」


 バタバタ暴れるアズモを両手で掴み、抱き抱える。

 今のアズモを解放してしまったら何をするのか分かったものでは無かった。


「コウジ、放せ。あいつが殺せない」

「そんなヤンデレヒロインみたいな事言わずに説明しろ」

「私はメインヒロインだぞ! 暴力系ではあってもヤンデレな訳がないだろ!」

「なんで今キレるんだ」

「心外だった」


 急にキレたと思ったアズモが、急にスンっとなり落ち着く。

 相変わらず感情の起伏が激しい奴だ。


「心に巣食う者だったか? それは一体なんなんだ?」

「人を異形化させて来るやばい奴だ。あいつに取り込まれると異形化する」

「はあ? ……いや、待て。それだと俺が異形化するみたいじゃないか。人間の俺が異形化する訳が無いだろう」


 理性と引き換えに超常の力を得られる力、異形化。

 異形化は一握りの魔物のみが使える力だ。


「黙れ。現実として異形化した癖に何を言っているのだ。人間のフリをするのを止めろ。コウジがそう来るのなら、私も人間のフリをしてやるぞ」

「意味分からない脅しをしてくるなよな……。というか異形化したのか? だからこんな意味分からない所に居るのか?」

「いや、今のコウジは異形化していない。それは過去の話だ」

「……?」


 アズモの言っている事が理解出来ない。

 アズモは何を見て来て、何を危惧しているのか。


 俺が異形化したというのはどういう事なのだろうか。


「あー、よく分からないが……とにかく目の前に居るあいつをどうにかすれば良いんだな?」

「流石コウジだ。私のしたい事を汲み取ってくれる」

「そりゃあな」


 鍛えられたからな。

 何年一緒に過ごしたと思っているんだよ。


 なんて事を言ったらアズモが図に乗るので、口には出さなかった。


 アズモが何もしないように抱き抱えたまま、両手で身体を隠し続ける誰かに近寄っていく。


「あー、そこのお前」

「……ッ!」

「とりあえずこれでも着てくれ。目のやり場に困るんだよ」

「ッ!?」


 ワイシャツを投げた。


「あー!!! そいつはヒロインじゃないのだぞ!!! めちゃくちゃ悪い奴なんだからな!!!」

「うるさい。女性に裸で居られると俺が困るんだよ」

「なんで困るのだ! しかもあの姿は私の成長した姿をイメージしたものだからな! たぶん!」


 アズモがよく分からない事を言って暴れる。

 余程気に食わない行動をしたのであろう事は分かるのだが、誰かの生死が関わっているのなら、流石に俺でもアズモの願いに逆らいはする。


 裸だったそいつはワイシャツの袖に腕を通す。

 まだ煽情的な恰好をしている事に変わりはないが、視線を向けられるようになった。


「……アリガト」

「おお、お前、本当はそんな声で喋るんだな」


 先程までの大人っぽくて冷静な声では無かった。

 どちらかと言うと、子供のような……。


「……おお?」


 なんて思っていたら、目の前の誰かが黒い泥のような物を流しながら溶けていった。

 最近、泥を見る機会が増えたので少し耐性があったおかげでそこまで驚かずに済んだ。


「アリガト、アリガト、アリガト」


 溶けて小さくなった誰かが、俺の足に突撃してくる。

 一瞬何かされるのかと身構えたが、そいつは俺の腰に手を回して抱き着いて来るだけで何もしない。


「なんだよ。根は良い奴じゃねえか」

「なっ……!?」


 思った事を呟くと、アズモがなんかよく分からない反応をした。


 しゃがみ込み、白いワイシャツを纏う誰かと顔を合わせる。


「……驚いた。アズモと同じ顔をしているんだな」


 誰かはアズモと同じ顔をしていた。

 今、俺の胸の中でバタバタ暴れているアズモと同じ顔だ。


「ウン、ウン。願っタ姿」

「しかし色はちょっと違うんだな。褐色だ。黒アズモだ」

「完璧ニ同じニスルと、ソイツ怒る」

「なるほどな。違うようにしてくれている訳だ」

「ウン、ウン。黒アズモ」


 同じ顔をしている時点でアズモは怒ると思うけどな。

 なんて言葉は言わずにおいた。


「待て。なんで私を放っておきながら、そんなほのぼのした会話をしているのだ?」


 俺に押さえつけられたままのアズモがせめてもの抵抗として、黒アズモを睨む。


「チビアズモ怖イ」

「なんだ貴様」


 黒アズモがアズモを煽り、アズモが殺気を放つ。


「私がメインヒロインだからな!!!」


 そしてそう叫んだ。


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