二十一話 例え、偽物だったとしても


「これは、何が起きているのだ……」


 アギオから逃れ、スイザウロ学園の全体を一望出来る位置に潜んでいると信じられない光景が眼下に広がった。


 修練場に繋がるように設置された部屋から紫色の爆発が起こった。

 始め小さかった紫色の爆発は物凄い勢いで大きくなり、たちまち修練場全体を包み込む。

 それは客席を巻き込み、修練場の外まで侵食していく。


 ……だがおかしな事に、紫色の爆発に巻き込まれた魔物や建物は破壊される事なくその場に佇んでいた。

 巻き込まれた者は皆、糸の切れた人形のようにその場に崩れはするが、外傷は何一つ見当たらない。


 淡い紫色の爆発に巻き込まれたそれらは私の目には無事なように映った。


 それから間もなくして、広大な敷地面積を誇るスイザウロ学園全体の三割程を包んだ紫色の爆発は消失した。


 恐らく私の兄妹の誰か、或いは父が、あれを別な場所に飛ばしたのだろう。


 爆発の原因を思案する。


 あの場所は……あの部屋は、あの位置に居た者は……。


 ――君の大事な妹から、人間の魂を剥がす方法を思いついたよ。だから少し協力してくれないかい?


 掛けられた言葉が脳裏を過った。


「……アズモ」


 妹の名前を口にした。


 嫌な考えが浮かんでくる。


 作戦は上手くいったはずだ。

 あの子は人間と別れる事が出来、一人で生きていけるようになる。


 それなのに何故。


「異形化したのか……」


 異形化の気配がした。


 魔物が魔物じゃなくなる気配。


 形を失い、別の何かへと変貌する気配。


「どうしてなのだ……」


 自由になったはずだろう。

 それなのに何故、異形化してしまったのだ。


 ……人間から解放されたというのに。


 下腹部が疼いた。


 あの時から定期的にやってくる痛みだ。


 ――おねーちゃん! おねーちゃん!! おにーちゃんが死んじゃう……!!


 幻聴が聞こえ始めた。


 人間に辱しめられる私を見て泣き叫ぶディスティアの声。


 ――俺に構うな。


 鎖に繋がれ、夥しい量の血を流し倒れるアギオの声。


「あ、あ……ああ…………!」


 あの時の光景が蘇ってくる。


 ――意外といけるもんだ。

 ――竜を調理したのは初めてですが、お口に合ったようで何よりです。

 ――大味だが悪くは無い……やり方によってはどうにでもなる。

 ――では、そろそろ幼竜の方も調理を始めますか?


 ――あぁ。いい加減耳障りだから早くやってくれ。


 竜を貪る人間共の声が耳元で響いた。



―――――



「……」


 ゆっくりと目を覚まし、身体の確認をした。


 毎日見る夢と、毎日初めにする行動。


 一通り身体を摩り、何処にも異常が無い事を確かめた。


 ベッドから出て、窓の外を眺める。


 窓の外には今日も何も映らない。

 白い雲に包まれて何も見えない。


 ――コン、コン、コン。


 ノックの音がした。

 一音一音を響かせるようなゆとりのあるノックだった。


 ドアの方に視線を向けると、声が聞こえてくる。


「エクセレ姉さん」


 聞き馴染んだ声だった。


「……鍵は開いている。用があるのなら入れ」


 間もなくしてドアが開いた。

 訪問者は全身白ずくめの男……弟のテリオだった。


「おはよう、エクセレ姉さん。何度も言うけど不用心ではないかい?」


 テリオは私を見ると、そう言葉を口にした。


「私の寝込みを襲えるような者が居たら鍵を掛ける。その場合、鍵は意味を為さないだろうが」

「そうは言っても何が起こるかなんて分からないのだからさ。いざという時に身を守るのは以外とこういう物だったりするかもしれないしさ」

「ふん、そんな物には頼らない。自分の身は自分で守る。それより何か用があったのではないか?」


 そう言うと呆れた顔をしていたテリオは、直ぐに表情をいつもの明るい物に戻した。

 我が弟ながら、端正な顔つきをしている。


「そうだった。次の標的の子がね、求めていた能力に目覚める見込みがあるみたいでさ」

「ほう……」

「もしかしたらって話ではあるけどさ。上手くいったらアズモちゃんの暴走を止められるかもしれないね。……エクセレ姉さんも来てくれるよね?」


 アズモ・ネスティマス。

 人間の魂から解放されたあの日に異形化し、今も尚、暴走を続けている私の妹。


「無論だ」


 千年以上前に家は出ているが、私の魂はあの家と共にある。

 家族を救えるのなら、私はただがむしゃらに務めるのみ。


「――エクセレ姉さんが来てくれるなら有難い限りさ。そしたら計画の……」


 私の返事を聞いたテリオがペラペラと喋り出す。

 それを聞き流しながら、私は別の事を考えていた。


 …………家族を救う、か。


 夢の見た光景が蘇ってくる。

 大昔にあった事ではなく、最近あった方の事。

 アズモが人間の魂を抜かれた事で異形化した事。


 解放されたというのに、どうしてあの子はあのような事になってしまったのだろうか。


 アズモはどのような性格の子なのだろうか。


 家を出て一人で生きてきた私には兄妹がどうなっているのかが分からない。

 偶然何処かで会った時に一言、二言を交わすくらいしかない。


 性格や趣味、嗜好を知らないばかりか、顔も知らない子だっている。


 アズモの顔は知っている。

 言葉も交わした事もある。


 あの子は確か私に対して……――


 ――バーーカ! 私はお前が嫌いだ!! コウジの事をここまで言っといて妹から好かれると思うなアホが!!!


 ……思い出したら嫌な気持ちになった。

 昔私の事を「おねーちゃん」呼んで慕ってくれていたディスティアが何百年振りかにあった時に「クソ姉貴」と言ってきた時の気持ちに近い。

 もしかしたらそれ以上かもしれない。


 ……しかしだ。


「――という流れさ。エクセレ姉さんには露払いを任せたいな」


 思考を止め、目の前に居る弟を見る。


「……すまないがもう一度説明してくれないか? 話がよく分からなかった」


 悪い事を思い出したからか、頭がよく働いていない。

 説明を終えたテリオには悪いと思いながらも二度目の説明を求めた。


「いいさ。エクセレ姉さんが要だからね、説明くらいなら何回でもする」


 ……十年前、アズモが異形化した後、テリオが私の元にやって来た。

 あの日、テリオは、「偽りの親交の為に身を粉にする事に疲れた」などと言っていた気がする。


 ――だから、エクセレ姉さんの仲間に入れて欲しい。…………一緒に人間を。


 辛そうな表情をして言葉を続けようとしていた弟を抱きしめて迎え入れた。


 テリオは家の為に、様々な活動をしていた。

 雑誌や映像媒体の向こうで綺麗な顔を惜しげもなく曝け出して、爽やかな笑顔を浮かべている事をよく見ていた。


 私は人間が嫌いだ。

 ……だが、弟は違う。


 テリオは小さな頃から、人間との共存を願っていた子だった。


 ――魔物も人間も一人では生きていけない不完全な生き物なのさ。手を取り合えたら素敵だと思わないかい?


 思想の違いでよく喧嘩していたアギオと私の間に割って入ってきたテリオはそう言っていた。


 テリオは私やアギオと違い人間が好きだった。

 きっと、私の見ていない間に様々な苦労があったのだろう。


 久しぶりにあったテリオは沈痛な面持ちで言葉を紡ごうとしていた。


「――という流れさ。今度は分かったかい」

「ああ……、完璧だ」

「なら良かったさ。一緒に人間を滅ぼそう」


 じゃあまたね、と言いテリオが部屋から出て行く。


 扉が静かに閉められ、部屋に静寂が訪れる。


 ――完璧な存在である私達ですら家族が居ないと生きていけないのだからさ。


 テリオは「上位種なのだから何かをしなくてはならないという」思いが家族の中で一番強かった。

 それはもう、父のその考えを超えるくらいには。


「…………ふむ」


 時が経つと考え方が変わる。

 例えそれが信念であっても変わってしまう。


 テリオの言葉。

 アズモの異形化。

 コウジという名の人間。


 …………例え何があったとしても、私の思いは昔から変わらない。


 テリオは気の遣える弟だった。


 駄目な長男と長女の代わりに兄妹を取り纏め、親の思いにもよく応えていた。


 窓の外を見る。

 外には雲しか映らないが、雲の向こうが明るい事は分かる。


 テリオは……私の弟は、寝起きの者の部屋に入り、大事な話をするような無配慮な子だっただろうか。

 私の知っているテリオは……。


 ――コンコンコン。


 再びノックの音がした。

 軽快で心地の良い音が室内に響く。


 ――ガチャ。


 ノックをした者は、私の返事を聞かずに勢いよく扉を開け、部屋に入ってきた。


「ギャウ!」


 その者は小さい頃の癖が抜け切れていないのか、初めて会った時のように鳴き、タックルするかのような勢いで飛び付いてきた。


「おはよう、エクセレ!」

「お前は朝から元気だな」


 腕の中ではしゃぐ白い竜の少女を見たら悪い考えが何処かへ飛んで行った。


「お腹空いた。朝ご飯食べに行こうよ。果物のジュースが飲みたいよ。今日何するの。何処行くの。まだちょっと眠いよ」

「一辺に喋るな」

「お腹空いた!」

「うるさい」


 おでこを軽く弾くと、竜の少女は「ギャウ」と鳴いた。


「エクセレがぶった! ご主人達はぶたなかったのに! エクセレはぶった!」

「うるさい」

「ギャウ!」

「こら噛みつくな」


 牙に電を纏わせた竜の少女が放った右手を勢いよく噛んで来た。

 噛みつかれた手を勢いよく振ると、手に噛みついている竜の少女も一緒に宙を舞った。


「はあ……思いきり噛んだな」


 右手に歯形がくっきりと残った。


「ぼくまた強くなったよね」


 竜の少女は楽しそうに笑いながらそう言った。


「私にはまるで及ばないが」

「エクセレは強すぎるからいい! ご主人達を守れるくらい強くなれれば十分!」

「全く……」


 ……全くもってなんて可愛い奴なのだろうか。

 荒んだ世の中を生きていくためには竜の愛らしさが必要不可欠なのはやはり間違いない。


 例え、家族が偽物だったとしてもこの子がいれば私はまだ頑張れる。


「どうしたの、エクセレ?」


 無意識で竜の少女の根本から折れた角を撫でていると、くすぐったそうにしながら聞かれた。


「なんでもない。朝食を食べに行こう」

「うん!」


 白い竜の少女を鏡台の前に座らせ、櫛で寝癖を直す。

 昔着ていた服と、今着ている服の二つを取り出し身支度を整えた。


 偽物と言えば…………最近見ない奴が居たな……。


 あいつは……まあ心配要らないか。


 生存する事に置いては私よりも才がある。


「アップルパイを食べに行こう」


 二つの身体を雲で包み、その場から消した。


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