第三八話 カウンターアタック

「死んだか……前途ある若者を殺すのは忍びないが、こいつは危険すぎる……」


 ポイズンクローが目の前で膝をついたまま動かなくなっている秋楡 千裕を見てふうっと息を吐く。

 先ほど叩き込まれた拳の衝撃は凄まじかった、今でも鈍い痛みを発しており、彼自身も冷たい汗が背中に流れているのを感じる。

 意識が軽く飛びそうになった……同じくらいの痛みを昔感じたことがあるから意識を保っていただけで、普通のヴィランであれば膝をついてしまったかもしれない。

 しかし……こいつの能力はなんだったんだ? 体の表面を流れた黄金の稲妻のような現象、あんな才能タレント聞いたことも見たこともない。


「……って、早く撤収しないとな」

 その場を離れ、おそらくもう一人の少女と戦闘になっているであろうヘヴィメタルを助けに行かねばならない……あれでもネゲイションが仲間に引き入れたヴィランだ。

 もしかしたらネゲイションの女かもしれないし、そいつを放置して逃げたとなれば報復を受ける可能性すらるのだから。

 だが次の瞬間、凄まじい殺気を感じてポイズンクローは咄嗟に身構える……なんだこれは、なんだこの殺気は……本能的な恐怖と、全身に感じる怖気のようなもので身が固くなる。

「ふむ……思ったより実力者だったか、こりゃ千裕では荷が重かろうよ」


「な……お前死んだはずじゃ……」

 それまでとは全く違う見るだけで底冷えをしそうなくらい冷たい笑顔を浮かべた千裕がポイズンクローの前に立っている、いや立ち上がっている!? 

 彼の肩につけた傷がまるで自ら蠢き、ポイズンクローが注入した毒を血液から分離して排出していく……な、なんだこれは!? ポイズンクローの思考が完全に混乱する。

龍使いロンマスターは毒なんかでは死なぬよ? はて、まさかそれも知らんのか?」


「ろ、龍使いロンマスター? なんだそれは……」

 千裕はおや? という表情で肩に付いた傷をひと撫ですると、まるで傷を受けたことがなかったかのように消え去っていく……おかしい、治癒能力者の治療でも大きくついた傷などは一度縫わないといけなかったはずなのに。

 ポイズンクローは全身に感じる凄まじい恐怖に一歩も動くことができない……それは蛇に睨まれた蛙のような気分であったかもしれない、本能が目の前に立つ少年を自分よりも上位にいる生物だと認識している。

「……まあいい。龍使いロンマスターが負けるなどというのは許されないからな、お前は千裕の礎になってもらおう」


「な、なんだ……こ……がああああっ!」

 次の瞬間、少年の全身を黄金の稲妻が覆い尽くす……次の瞬間、ポイズンクローの腹部にまるで動作が見えなかった千裕の拳がめり込み、その巨体をくの字に曲げる。

 凄まじい衝撃で一九〇センチメートルを超える巨体が数メートル吹き飛ばされ、彼は地面へと叩きつけられ、痛みで悶絶する。

 まるでトラックにでも撥ねられたと思うくらいの凄まじい衝撃……だが目の前の少年は、まるで感情を見せない乾いた笑みを浮かべてポイズンクローを眺めている。

 そう、……その事実に気が付き、ポイズンクローは自らを奮い立たせて立ち上がるが、足が震え次の一撃でおそらく意識ごと刈り取られるかもしれない、それでもヴィランとしてのプライドが目の前の少年に膝を屈することを拒否する。

「……これはこれは戦士の魂だな。そんなお前に千裕に変わって敬意を表そう」


「お、俺は……俺はヴィランだ、この腐り切った社会を変えるために堕ちた存在……だが、ただ負ける気はねえッ!」

 ポイズンクローが足を踏ん張らせながら前に出る……先ほどの一撃で完全に脚に来ている、だが上半身はまだ動く、ならば……とポイズンクローは自らの両肩に自分の爪を突き立てる。

 ポイズンクローは才能タレントの開示の際に千裕に伝えていないことがあった、彼の毒は確かに相手を苦しめたり、死に至らしめるものもあるが、効果を変えることで自らの肉体を強化するドーピング薬に近い毒素を作り出すこともできる。


「ここで命を削ろうとも、俺はお前を倒す……お前はあまりに危険だ! 増強毒パンプアップッ!」

 自らの肉体へと注入された複数の効果を持つ毒素が、彼の肉体を大きく変化させていく……筋肉は盛り上がり、震えていた脚に力が戻る。

 全身の血管が膨れ上がり、その脈動を強く伝える……肉体は先ほどの太さよりも二回り近く太く強くなっていく……凄まじい効果の即効性ドーピング薬、ポイズンクローの切り札だ。

 かはああっ、と強く息を吐くとミシミシと音を立てながらポイズンクローが一歩ずつ前に出る、それはまるで巨大な要塞のような威圧感を持って迫ってくる。

「これはこれは……、ね……ずいぶん無様になったものだ」


「ごおああああああアアアアアアッ!」

 だが千裕いや、龍そのものであるは、ただ優しく微笑む。

 深い呼吸により、黄金の稲妻を再び全身に纏うと千裕はその場から姿を消す……ポイズンクローの薬物で朦朧とする意識の中、本能のままに敵を求めて大きく吠える。

 だが次の瞬間、距離を潰して目の前に現れた千裕の拳が、凄まじい勢いで連打される……増強毒パンプアップで増強されたはずの感覚が追いつかない、人を超えた速度で動けるはずのポイズンクローの防御が間に合わない。


 ただただシンプルな拳の連打がポイズンクローの顔面に、腹部に、胸に、肩に、ありとあらゆる場所へ叩き込まれていく。薄れゆく意識の中、ポイズンクローの目に薄い笑みを浮かべる千裕の顔が見える。

 その目はまるで爬虫類のような、縦長の瞳孔にエメラルドグリーンの輝きをもつ化け物の目に見える……こいつは、こいつはなんだ? ヒーローなのか? 意識が暗闇に包まれる中彼はなんとか疑問を口にする。

「……オマエ……ハ……ナニモノ……」




「さっきも言ったろ? こいつは龍使いロンマスター、龍を使う特殊な存在さ」

 ポイズンクローが完全に意識を失った後、龍そのものであるはふうっ……と深く息をつくと、自らの中にいる千裕に意識を向ける。

 反応がない、相当に疲れているのだろうし、自分も無理矢理に体の主導権を奪っている、当分は目覚めそうにはない……先代が死んでから一七年の月日が経過していると千裕の知識が伝えている。

 そして、先代の死を目前にしたあの時側で泣き叫びながら縋った女性は、今は千裕の師匠としてこの肉体を鍛え上げている。


『お師匠様……お願いだから……死なないで! 私を置いて行かないで……ッ』


 その時の言葉は、先代を通してにも伝わっていた……良い女だった、愛情と恋心、強い恋慕の情を込めた目をずっと向けていた。

 竜胆はその気持ちに応えることはなかったが、それでも大切な人物として刻み込まれている。

 そして千裕もその女性のことを信頼している、ならばこそ、この肉体……今世代の龍使いロンマスターがこんなことで簡単に死んではいけない、と思う。

 想いは大事だ、死にたくない、勝ちたい、生き延びたい、愛したい、人間は想いを紡ぐ生き物であるから、それが好きでずっと見ているのだから。

「素質は良い、努力することができる、だが甘い……そして自信が欠けている、か」


 次の瞬間、から少し離れた場所で爆発のような音が響く……周りを見ると、ヒーローとヴィランの戦闘が急に始まったことで、民間人が悲鳴を上げながら逃げ惑っている。

 本来ヴィランと戦闘するはずであったイグニスや、ヒーロー事務所のヒーローたちは民間人の保護と救出、誘導でそれどころではなくなっているようだ。

 千裕はまだ起きそうにない、であれば千裕が大切に思っている仲間を助けに動かなければいけない。


「やれやれ……毎度ながら龍使いロンマスターは世話が焼ける者が多いな……」

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