第6話
学校までは徒歩でおよそ15分。
容赦なく吹き付ける北風に肩をすぼめながら、通いなれた道をとぼとぼと歩く。
校門に近付くと生徒たちの賑やかな声があちらこちらで咲いている。
「ゆっきー、おはよー」
背後からの弾んだ声に振り返った。
「おはよー、優芽たん」
凛と澄んだ空みたいに、一点の陰りもない笑顔でこちらに駆けて来るのは中野優芽。
2年で同じクラスになり、初めての席替えの時、隣同士になった事で仲良くなった大事な親友だ。
「これ見て!」
優芽はココア色のコートの袖を握って、両手を広げ、ファッションモデルみたいにくるっと一回廻った。
いつもとコートが変わってる。しわも毛玉もない新品。絶妙な丈で、短くしたスカートとのバランスもいい。
何より、優芽によく似合っていた。
「かわいい。買ったの?」
優芽は一層顔をほころばせて、声のトーンを上げた。
「うん! 買ってもらった」
「もしかしてすきP?」
「そう! クリスマスにホテルディナー連れて行ってもらうんだ」
「そっか。いいなー」
優芽はパパ活仲間でもある。
すきPというのは女子高生がよく言うすきぴとはちょっと違う。
お金の関係を通り越して、恋人になってしまったパパの事である。
優芽の家も一人親家庭だ。
母親と3人の弟との5人暮らし。
生活は大変らしくて優芽のお母さんは朝から晩までパートを掛け持ちして働いている。
お父さんのDVが酷く、逃げるようにこの町に越してきたんだそうだ。
生活は苦しそうだけど、ゆきのには優芽が羨ましかった。母親にちゃんと愛されて守られている。
それ故、優芽は全然すれてなくて明るく、いい子だ。
リスカの傷跡なんて一つもない。
ちゃんと愛されて育った子は自分をちゃんと愛せるのだ。
こんな子がきっとシンデレラになるんだと思う。
クラスの派手めな子は大体パパ活している。誰も公言はしないけどね。
みんなそれなりにお金が必要な理由があるのだ。
チリンと背後から自転車のベルが鳴った。
きゅんと期待に胸が弾むと同時に、後ろめたさが過る。
振り返った瞬間「おはよー」とテンション低めの声と同時に、脇をすり抜けていく男子。
その背中に声を張り上げた。
「おはよー」
「え? 誰? 今の誰?」
優芽が決定的瞬間を見たぞ、とばかりに目を輝かせる。
「うふふ。な~いしょ」
「えー、ずるい! 教えてー」
優芽はゆきのの腕に飛びつき、大げさに耳を近づける。
「なんでもないよ。一年生だよ。向井君っていうの」
「へぇ、なんかちょっとかっこよくなかった?」
「うそ? そう? かっこいいか?」
かっこいいと言われて嫌な気はしない。
だって彼は、ゆきののパパなのだから。
「もしかして、付き合ってんの?」
ゆきのの幸せは優芽の幸せ。そんな文字が浮かんできそうな表情でゆきの顔を覗き込む。
「そんなんじゃないってば。昨日ね、危うく地雷Pにホテルに連れ込まれるとこだったのを助けてくれたの。それだけ」
「それだけ、って、それ以上何が必要なの? 恋のきっかけに」
「恋?」
「ゆっきーもついにデビューか? デビューするのか?」
「ちょっとやめてよー」
楽し気に咲き誇る黄色い声に同化して、二人の笑い声は澄んだ空に吸い込まれて行った。
担任の教師に呼び出されたのは、昼休みの事だった。
呼び出された場所は、視聴覚準備室。進路指導やプライバシーに関わる相談の時に利用される狭い部屋だ。
そこに、教師と出入りするだけで、あの子何があったんだろう? と生徒たちは好奇の目を向ける。
「色々と事情があるのはわかるんだけど……」
担任の間宮は言いにくそうに口元に力を入れた。
わかるわけない。独身の男性教師にゆきのの事情なんてわかってたまるか。
「修学旅行費用の納入がまだだけど、お母さんと話合いはできてる?」
ほらね。
何もわかってない。
話合いも何も、ヒロトがせっかく工面してくれた修学旅行費用は、母親に一方的に取り上げられたのだ。
「申し込みは出てるけど、費用の納入がまだなんだよ。お母さんに連絡してるけどなかなか電話がつながらなくてね。もう締め切りがとっくに過ぎてて……」
ゆきのは腿の上で、スカートをぎゅっと握った。
「お母さん、仕事が忙しくて……話せてないんです」
「そうか。夜遅くなってもいいから、先生に連絡くれるように言ってくれないか?」
「わかりました」
「親御さんも修学旅行に同意なら、金銭面は先生がどうにかフォローするから」
「本当ですか?」
「ああ、もちろん。ただ、親御さんの許可は必要だ。申し込みは出してもらってるけど、先生が費用を立て替える事に同意してもらわないと」
ゆきのはしゅんと項垂れる。
母親は同意しないに決まっている。
立て替えるという事は後々返さなければいけないお金である。
「もし、お母さんが同意しなければ?」
「それが親御さんの意向であれば、仕方がないな」
「私は修学旅行に行けないんですか?」
「行けるように、最大限の努力をしよう。お母さんだって行かせてあげたいと思っているはずなんだから」
そうか。
間宮は母親に会った事がないのだ。
あんな母親だとは露とも知らないのである。
だから、そんな生易しい事が言えるのだ。
ゆきのは無言で椅子から立ち上がった。
「話、終わりですよね?」
「あ、ああ。終わりだ。行っていいぞ」
「失礼します」
雑に頭を下げて、その場を後にした。
扉を開けて外に出ると、廊下の窓辺にもたれかかっている男子が目に飛び込んできた。
「何かあったの?」
心配そうに、そう訊ねる男子は、ヒロトだ。
ゆきのはふるふると首を横に振る。
「ううん。なにも」
「嘘だ。なんで先生にここに呼びだされたの?」
俺の目はごまかせないぞとばかりに詰め寄ってくる。
「なんでも話す約束だろ」
ヒロトにもらった修学旅行費用を母親とその男に取り上げられたなんて、言いたくない。
ヒロトはどれだけ傷つくだろうか。
そう考えたら、胸が張り裂けそうになる。
とはいえ、ゆきのにはもう、どうしたらいいのかわからなかった。
担任や友達に相談なんてできないし、頼れるのはもはやヒロトだけなのかもしれない。
抱えきれない思いが溢れて、こぼれそうになる。
まだ閉まり切っていない涙腺は、簡単に崩壊して、涙が頬を伝った。
「ごめんなさい……。ごめんなさい」
「へ? ゆきの? どうした?」
おろおろとゆきのの顔を覗き込む。
「ヒロトがくれたお金……取られちゃったの」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます