本物を見た

野月よひら

本物を見た

「それでは実技に移ります。名前を呼ばれた生徒は、画面に映ったシチュエーションに合うように、悲鳴を挙げてください」

 高鳴る心臓を宥めながら、僕は壇上に上った。目の前には巨大なスクリーンが垂れ下がっている。

「一番。相原裕樹です。よろしくお願いします!」

 いよいよである。この三年間の集大成を披露すべく、僕は全神経を尖らせ、集中する。

 スクリーンに、恐ろしい化け物が現れた。髪を振り乱し、ゆっくり近づいて、真っ赤な口を大きく開けている。

 得意分野だ。

 僕は内心ガッツポーズをして、有らん限りの悲鳴を挙げた。



 『悲鳴養成学校』のことを知ったのは、俳優を志してから十五年が経ったときのことである。

 僕は、いわゆる典型的な売れない役者というやつであった。十代で上京し、アルバイトで生計を立てながら、様々なオーディションを受ける日々を送っていたものだ

 憧れるのは簡単なことでも、大成するのは難しい。その事実を知るのに大して時間はかからなかった。自宅のポストに溜まっていく不合格の通知が、その事実を端的に示していた。

 十代は、逆にやる気をかき立てられた。二十代でも希望があった。けれど、三十を目前として、どうしようもない焦燥感に苛まれるようになった。

 やめた方がいいのではないか。

 もう諦めて、就職なり田舎に帰るなりした方がいいのではないか。

 そんなことを考えているときであった。

 ダメ元でオーディションを受け、不合格の通知を受けたまではいつも通りであった。違ったのは、その通知の中に、一冊のパンフレットが入っていたのである。

 それが、僕とこの学校の出会いであった。

 『悲鳴養成学校』は、悲鳴専門のタレント、略して『めいタレ』を輩出するのが目的である。

 いわゆる『おそろしさ』に耐性のある人を集め、悲鳴の必要な現場で活躍するのが『鳴タレ』だ。

 入学説明会で、講師はこう言ったものだ。

「悲鳴が求められる現場というのは、『嫌がることの強要』、『驚かすこと』が目的です。なので、俳優、タレントの人にはそういった収録を嫌がる人も一定数いらっしゃいます」

 それはそうだろう、と僕は思った。いくら仕事とはいえ、どうしたって受け付けないものはあるはずだ。

「しかし、制作側としては数字が取れる人を使いたい。どんなに苦手なことであっても、どうしてもそのタレント、俳優に出てもらわないといけないこともある。そこで『鳴タレ』の登場です。つまり『鳴タレ』とは、俳優やタレントの影武者として、悲鳴のシーンだけを収録する。悲鳴のプロのことです」

 僕は手元のパンフレットに目を落とした。黄色い紙に赤字でデカデカと、『来たれ! 悲鳴のスペシャリスト!』の文字が踊っている。ぱらぱらとめくると、大物俳優の顔写真と、卒業生と思われる人の写真が並んでいた。この俳優の悲鳴を担当するのが、この卒業生、ということなのだろう。

「みなさんはいわば影の主役です。クレジットに載ることも、表舞台に出ることはありません。しかし、日本の経済を支える立派な俳優業だということを忘れず、誇りを持って取り組んでくださいね」

 幸いなことに、僕は怖いものが好きであった。ホラー映画も何本も見ているし、ジェットコースターなどの絶叫系も大好物だ。ちょっとやそっとでは怯えない自信もあった。

 もし、『鳴タレ』になったら。クレジットには載れないという。しかし、影武者であったとしても、業界内での横のつながりはできるということだ。それだけ自分の演技を見てもらえる機会でもある。

 是非もなかった。これはチャンスだ。逃す手はない、そう思った。

 それで、この学校に入ることにした、というわけである。


 一口に悲鳴といっても、様々な種類があるということに、僕は入学してから改めて気がついた。

 命の危険を伴うもの、ただ単に嫌悪を感じるもの、悲しみを含むもの、怒りを含むもの。条件が違えば、挙げる悲鳴の種類も変わってくる。悲鳴のみで表現することの大変さと、やりがいに、僕はあっという間にのめり込んでいったのである。

 一年目は必死であった。二年目も飛ぶように過ぎていった。そして三年目も終盤、いよいよ卒業を視野に入れるときがやってきたのである。

 僕は、ラウンジで昼飯がわりのスナックをぱくついていた。

 手元には、今週末に行われる卒業試験の案内がある。いよいよここまできたか、という感慨が、僕の胸にひたひたと迫っていた。

 三年間の学校生活の集大成として、卒業試験という名のオーディションがあるのは周知の事実であった。同級生、在校生や講師の前だけでなく、テレビ局のスポンサーや舞台監督、CMのディレクターなどを招いた場で、悲鳴の演技を披露するのである。

「やっぱり心霊番組は狙いにいきたいよな」

 そう言ったのは同期の輪島である。

 彼も僕と同じように、三十路手前でこの道に踏み込んだ男であった。やはり俳優を目指していたものの……というパターンである。境遇も歳も近い僕たちは、すぐに打ち解け、なにかとつるむようになったのである。

「心霊番組か……」

「そう。やっぱり花形だしなあ」

 輪島はにやりと笑うと、紙パックのカフェオレをずずっと吸い上げた。

 『鳴タレ』の仕事は多岐に渡る。 

 例えば、新作のジェットコースターのCM、株価暴落のニュース、受験発表の瞬間、ホラー映画のかませ犬、など、様々である。

 その中でも一番人気なのは、なんといっても心霊番組の特番の仕事であった。

 普段は影武者として、クレジットに載ることもない『鳴タレ』であるが、心霊番組のときだけは少々事情が違った。映画などと違い、低予算で作られるものがほとんどのこの手の番組では、大物俳優やアイドルと、『鳴タレ』を同時に起用するほどの余力がないことが多い。そのため、『鳴タレ』であっても、そういった番組であれば、新人レポーターとして、堂々と顔も出るし、名前もきちんと載るのである。そこで人気を得て、タレントや俳優に転身した卒業生もいるという話であった。

「ホラー映画もいいけどさ、やっぱりクレジットが載るのは大きいもんな」

「……そうだな」

 うなずきながら、僕は胸の中にもやもやとした焦りが生まれるのを感じていた。何を隠そう、僕もやはり、心霊番組を狙っていたからである。

 クレジットが載る、ということで、その座を狙っている『鳴タレ』は多い。しかし、この手の番組は数も少なく、その分競争率も高い。必然的に、こういったオーディションでは、同期の中で一番の巧者がスカウトされるのが常である。

 輪島は、巧い。実力では僕も負けてはいないと思うが、彼は人一倍度胸があり、本番に滅法強いのだ。

 負けたくない、そう思った。



 拍手喝采で実技を終えた僕は、どきどきしながら舞台を下りた。

 巧くやった。やれたつもりだ。僕の持つものを全て出し切ったと言ってもいい。

あとは、結果を待つのみである。観客席に降りた僕は、心臓を宥めながら同期の実技を眺めていた。

 今のところ、僕よりも巧くやった人はいないように思われた。二番目の河村さんは声が裏返ってしまったし、十六番目の浜崎君は目立とうとしたのか、オリジナルの台詞を付けてしまった。これはご法度だ。僕たちはあくまでも影武者なのである。

 他の人も、何かしらの失敗をしてしまっている。肩を落として舞台から下りる同期たちを見て、僕はいよいよ緊張してきたものだ。

 もしかしたら、もしかするかもしれない。

 そして、いよいよ輪島の番である。

「二十一番、輪島要です。よろしくお願いいたします!」

 スクリーンが、起動する。映し出されたのは、僕がやった時と同じ画面であった。

 化け物がゆっくり近づいてくる。髪を振り乱し、真っ赤な口を大きく開けて、今まさに襲いかからんとしている。

 輪島は、すうと息を吸った。

 次の瞬間、僕は敗北を知ったのである。

 彼の悲鳴は、ただ大声で叫ぶだけのそれではなかった。小さく慄き、疑問に思い、現実と認識した瞬間、息を呑み、やがてこらえきれずに零れ出る。彼はこの過程を、悲鳴のみで演じきったのである。

 スタンディング・オベーション。

 文句のつけようもない。間違いなく彼は素晴らしい悲鳴を挙げたのだ。舞台上で喝采を受ける輪島を、僕はある意味清々しい気分で眺めていた。


 心霊番組レポーターへの切符は、輪島の物となった。僕も連絡先を交換させてもらったものの、残念ながら声はかからずじまいであった。

 その後僕は、スカウトを受けたホラー映画の制作会社に『鳴タレ』として勤めることになった。クレジットは載らないが、目指していた俳優に近い位置ということもあり、ある意味満足のいく結果である。

 勿論、レポーターになれなかったことはショックであった。輪島を羨ましいと思う気持ちもある。しかし、これが実力だ。僕も、輪島には及ばずではあったが、『鳴タレ』の一員として、誇りを持って影武者を努めようと心に誓ったのである。



「お疲れ様~!」

 居酒屋の暖簾をくぐり、僕は指定された座敷の扉を開けた。

 『悲鳴養成学校』を卒業して、三か月が経った。仕事にも慣れ、毎日忙しく悲鳴を挙げる日々を過ごしていた僕に、一通のメールが入ったのである。

久々に同期で集まろうという、飲み会の誘いであった。

「相原さん、おっひさ~!」

 真っ先に声を挙げたのは浜崎君である。

「浜崎君も、久しぶりだなあ。活躍してるんだって? 聞いてるよ」

そう声をかけると、浜崎君は照れたように笑った。彼はそのおちゃらけた所を幸運にも買われて、バラエティのドッキリ番組に起用されたのだ。

「相原さんも、売れっ子だって話聞いてますよ! ほらほら、上がっちゃってください。もうみんないい感じになっちゃってるんで!」

 確かに、皆いい按配になっているようである。

 僕は座敷に上がり込んだ。すかさずビールが注がれる。

「それじゃ、全員揃ったところで、乾杯!」

 浜崎君が音頭を取った。僕はビールを流し込む。悲鳴で酷使している喉に、ひんやりとした感触が心地よかった。

 やはり、気心の知れた仲間というのは特別である。たった三か月だと思っていたが、やはり離れてみると寂しいものなのだ。

「あれ?」

 ぐるりと座敷を見渡して、僕は違和感を覚えた。何かが足りないような気がしたのだ。

「……輪島は?」

 ざわついていた座敷が、一瞬静まる。そのことを訝しみながら、僕はもう一度きちんと一人一人の顔を見渡した。

 いない。やっぱり。

「輪島は、まだ来てないのか?」

 僕は隣に座っていた浜崎君に問うてみた。確か、彼は全員揃ったと言っていた。ということは、輪島は、今日は来られないのであろうか。

 いつの間にか、座敷は火を消したかのように静まり返っていた。

 浜崎君は、僕の顔をまじまじと見て、小さく息を吐いた。

「そっか、相原さん、この間の輪島さんの番組、見てないんすね」

「この間の、番組? ……ああ」

 僕は頷いた。輪島からメールが入っていたのを思い出したのである。生放送での番組があるので、時間の都合がつくようならぜひ見てほしいとのことであった。

「仕事で、見られなかったんだ。その番組が、どうかしたのか?」

 誰も、何も言わなかった。ただお互いの顔を気まずそうに見合わせ、口を噤んでいる。

 再度問おうと口を開いた僕の肩を、浜崎君がぽん、と叩いた。浜崎君の顔は、奇妙に歪んでいる。言いにくいことを言うぞというような、悲壮な表情であった。

「生放送、輪島さんは頑張ってましたよ。幽霊が出るっていうトンネルの取材で。懐中電灯を持って、真っ暗なトンネルに入っていったんっす」

 僕は鷹揚に頷いた。心霊番組によくありがちなシチュエーションである。それがいったい、何だというのであろうか。

「その様子を、テレビのカメラがトンネルの外から写しているんです。マイクは輪島さんとつながっていて、輪島さん、そのトンネルの内部をレポートしてたんすよ。水滴の落ちる音がします、とか、今何か聞こえませんでしたか、とか……。けど、どんどん口数が少なくなっていって。そのうち呻き声しかしなくなって。それで……それで、輪島さん、突然」

 浜崎君は、そこで一度言葉を区切った。

「……笑い出したんです」

 しん、とした座敷に、その言葉が妙に大きく反響した。食器の音や、他の客の声、店員の威勢のいい掛け声も、どこか遠く聞こえるようであった。

「多分、番組的には、トンネルの奥で輪島さんが悲鳴を挙げて駆け戻ってくるっていうのを期待していたんでしょうけど。ずっと、笑ってるんっすよ。それでしびれを切らしたスタッフの人がトンネル内に入って、しばらくして……いきなり番組が終わったんっす」

 僕は、ひたひたと、胃の腑が冷えるのを感じていた。

『鳴タレ』は、悲鳴を挙げてなんぼの仕事である。いくら恐怖の演出とはいえ、笑い出すというのもご法度のひとつのはずだ。万が一、演技だったのだとしても、突然生放送が終わるというのも不自然だ。

「それも含めての、演出、とかじゃないのか?」

 僕の問いに、浜崎君は首を振ることで答える。

「俺もそう思って、職場でその話をしたんすけど、そしたらみんな黙っちゃって。教えてもらったんですけど。……ヤラセじゃなかったって。多分、あのレポーターは本物を見たんだって」

 本物を、見た。

 輪島は、トンネル内で、いったい何を見たのだろうか。

「それで……」

 僕は唇を舐めた。

「それで、輪島は」

 浜崎君は、一度口を開き、逡巡したように閉じ、そして、もう一度、開いた。

「俺と一緒に、働いてます……」

「なんだ、びっくりさせるなよ!」

 その言葉を聞いて、僕は胸を撫で下ろした。浜崎君はお笑い番組のドッキリを担当しているのだ。輪島もそこで働いているということは、少なくとも元気であるということであろう。

「違うんっす、相原さん」

 安堵し、笑顔になった僕に、浜崎君はなおも言いにくそうに呟いたのである。

「輪島さんは、『鳴タレ』として働いているわけじゃありません」

「え?」

「笑い専門のタレント、『えみタレ』として、働いているんです」


 ――本当に、よく笑うんですよ……。

 

 その時、携帯が、鳴った。

 着信画面に表示されたプロデューサーの名前を見ながら、僕は。

 どうやって断ったらいいのかと、呆けた頭で、ぼんやりと考えていた。


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本物を見た 野月よひら @yohira-azuma

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