17-5 ~ 桁違い ~


「で、手遅れってのはどういうことだ?」


 正妻ウィーフェであるリリス嬢が落ち着いたのを見届け、俺は先ほどから続く疑問をようやく口にする。

 この11万人に一人の競争を勝ち抜く能力を持った才媛があれだけ慌てるのだから、都市運営の根幹にかかわるほどの大問題が発生したに違いないのだ。

 少なくとも俺はそう覚悟を決めていたし、そして全く心当たりがないものの、その問題が俺のミスによって起こされたらしいのも事実であり……彼女が口を開いた瞬間、俺は緊張に耐えきれず思わず喉を鳴らしていた。


「殿方に、その、説明するのは、少しばかり、その、厳しいのですが……

 えっと、その、あの、精通、時の、その……」


 だけど、当の説明者本人は先ほどまでの剣幕とは打って変わり顔を真っ赤にして口ごもるばかりで、何を言いたいのかすらさっぱり分からない。

 仕方なく俺は、彼女の口から説明を聞くのを諦め、日々お世話になっているBQCO脳内量子通信器官を用いての検索へと思考を切り替える。


 ──精通時の精液に含まれる精子量はゼロもしくは微量である。

 ──精子量は成長と共に増えていくものの、公表するデータが精子量ゼロでは市民の不安を招く恐れがある。

 ──そのため、市長の精通時の簡易調査結果は隠蔽するか、改竄するのが通例となっている。


 俺の頭へと転写されたそれらの知識をしっかりと理解できた時、俺は「ふ~ん」と、まるで他人事のような感心の声を上げていた。

 と言うより、実際問題として自分のことながら全く興味が湧かなかったのだ。

 そもそも「精通時の精液には精子が含まれていない」という知識自体、今検索して初めて知ったし……それ以前に、自分の精子量なんて気にしたことすらない。

 「そう言えば、病院に行けば検査出来たっけか」とか「顕微鏡で確認するキットが通販で売られていたのを見たなぁ」程度の記憶が浮かんでくるものの、そんなのは遠い世界の、自分に全く関係のない出来事という覚えしかないのだ。

 ……だけど。


 ──都市を運営する側としては、確かに問題か。


 この未来社会においての都市とは、適齢期の女性が市長の精子を求めて集まった生活空間のことであり、そのために高い税金を払って彼女たちは都市に住み着いているのである。

 その市長が無精子症だったとなると、幾ら成長して増えて行くのが通常とは言え、税金を納める側としては不安に陥り、パニックを起こしてしまうのは仕方のないことだろう。

 だからこそ精子の簡易検査結果を改竄するのが通例になっているのも……改竄と聞くと悪質なイメージが浮かぶものの、まぁ、必要悪と言えないこともない。


「ですが、一度公表してしまったものは仕方ありません。

 そもそも衆目に晒されたデータを後に改竄するほど愚かなことはありませんので……」


「そりゃそうだ」


 そして彼女がどうして狂乱から一転して諦めに至ったのかも理解が出来た。

 インターネットが普及しリアルタイムでの情報が横行するようになった21世紀においてさえ、一度出回ってしまった情報はもう取り返しがつかなかった。

 自分が知っている範囲だと、とある事件の容疑者名がネット記事で公表され、直後、マスメディアでは人種も名前も出さずに報道したけれど、誰かがネット記事の画像を保存していて、結局のところ本名はバレバレだった事件、なんてのを見た覚えがある。


 ──あの頃よりは技術も発展しているだろうしなぁ。


 BQCO脳内量子通信器官を使えばどっちが改竄前でどっちが改竄後かすらも検索できそうだし……細かい知識については知ろうとすら思わないものの、時代の流れに伴って情報の取り扱いについても色々とややこしいことになってるんだろうなとは容易に推測できる。


「じゃあ、今後の検査結果なんかはそちらに流すように設定しておく。

 まぁ、上手くやってくれ」


「ええ、お願いします」


 今回の事態を反省した俺は、BQCO脳内量子通信器官を通して今後行われるだろう検査結果系統の一式全ての許認可を正妻ウィーフェに紐付け設定しておいた。

 21世紀前半ならばどう設定すれば良いか悩んで小一時間が経過して、面倒になって放り投げる類の操作ではあるが、BQCO脳内量子通信器官を経由すると「大体こうしたい」というファジーな感覚で操作が可能になるから有難い。


「しかし、人様の精液のデータって、そんなに面白いものかねぇ」


 取り合えず設定を変更し終えた俺は、眼前の仮想モニタに視線を戻し……延々と増え続けている閲覧者数を眺め、そう呟く。

 さっきまで7千人程度だった筈の数字が、今は既に59万人である……ネット記事と比較しても、炎上中と言っても過言ではないレベルのような気がしてならない。

 尤も、この未来社会では男の数は極小であり、しかも平和過ぎてわざと戦争しているほどだから、男性の話題なんてのは、刺激に飢えた大多数の女性にとって美味し過ぎるネタなのだろう。

 未だ頭の中に時代錯誤な感覚を抱えている俺は、そんな呑気なことを考えていたのだが……この時代に生まれ育った正妻ウィーフェ様は、全く違う感想を抱かれたようである。


「……嘘、まさか、そんなっ?」


 俺の言葉を聞いた彼女は眼前の仮想モニタに視線を向けたかと思うと……目を見開いてそんなことを呟き始めたのだ。

 俺自身としては、ナニから放出された後の液体なんざ全く興味はないので、必死に中身を見ようとは思えていなかったのだが……彼女はいったい何に驚いているのだろうか?

 その疑問は、すぐさま彼女自身の口によって解消された。


「……精液重量0.7ml、推定総精子数2億、ですって?

 こんなの、200年前の人間ですら……あのマダフィよりも……

 改竄が疑わしいって?

 改竄する暇すらなかったのよ、こっちはっ!」


 彼女が口にした数字……精子数や重量などの数字についてはそれがどれだけ凄いのか、俺にはさっぱり分からなかった。

 ただ、彼女が口にしている突っ込みは、恐らく俺のデータに関する他の女性たちのコメントに対するものだろう。

 ……事実、このデータが世に出回ってしまったのは、間違いなく俺の責任なのだから。


 ──そんなに凄いものかねぇ?


 とは言え、比較対象がない以上、俺は首を傾げることしか出来ず……そう考えたのがいけなかったのか、今や俺の生活必需品になってしまっているBQCO脳内量子通信器官は即座に「ふと考えただけののデータ」を送り込んできてくれる。

 だが、どうして俺が他の野郎共の精液データをじっくり知らなければならないのか。

 ……しかも個人情報付きで。


 ──吐き気しか催さないぞ、くそったれ。


 もしかしたら女性には人気なのかもしれないが……グラビアアイドルとかが、顔写真付きで3サイズを情報として載せていた、あの類のサービスに該当する、のかもしれない。

 ただ、まぁ、BQCO脳内量子通信器官が気を利かせてそれらの気持ち悪いデータを記憶野に放り込んでくれたお陰で、何故我が正妻ウィーフェ様が唸っていたのかを理解できた。


 ──この時代の男性が放出する精液量は、一度に0.3ml。

 ──含有する精子量は、凡そ100,000~7,000,000ほど。


 さっきリリス嬢が口にしたマダフィ……快楽殺人者であったものの、豊富な精子量と性欲によってその性癖をねじ伏せていた、30年前まで実在していた市長が、世界中の男子と比較してダントツ一位で700万である。

 俺の精子量はそのダントツ一位と比べても30倍というあり得ない数字……精子数が衰え始めた歴史資料を見返すと、大体600年ほど昔の、男性の精子量が減少し始める前の平均水準であり、冷静に考えると改竄が疑わしい以外に言いようがないとのことだった。


「……何だ、そりゃ」


 確かに俺は、600年以上昔の人間であるが……冷凍保存されたのが忘れ去られ放置されていただけの、特別でも何でもない、である。

 何か努力をした訳でもなければ、覚悟を決めて命懸けで何かをした訳でもなく、人生の大半を費やして何らかの功績を挙げた訳でもない。

 だから、だろう。

 ただ寝ていて未来社会に目覚めただけで、「この時代の男性で一番素晴らしいです」なんて言われたところで、正直、欠片も嬉しいと思えないのだった。


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