7-9 ~ 旅行その2 ~
「……うわぁ」
VR……バーチャルリアリティという未来の技術によって、1秒にも満たない時間で衛星軌道都市キャノンボールに酷似させたデータ空間へと降り立った俺が、半ば無意識の内に周りを見渡したその次の瞬間……気付けば俺の口からは、自然とそんな呟きが零れていた。
何しろ、「地球上ではあり得ない」と断言できる光景が……青い、丸い、どれくらい大きいかを知覚し得ないほど巨大な物体……俺の記憶が正しければ恐らくは地球だと思われる球体が、文字通り頭上に浮かんでいたのだ。
そんな突拍子もない光景を目の当たりにしてしまった所為か、思わず外観年齢のような子供っぽい反応をしてしまったのも、無理もないことだろう。
勿論、俺だって21世紀初頭の現代人をやっていたのだ……この600年後の世界では、現代人と言うより「暦が切り替わるより昔の人」程度だろうが、それでも宇宙歴とやらにカウントされている年数の内側には生きている人間である。
地球の写真くらいは見たことがあった。
……だけど。
「地球は、青かった……」
どっかの人類初の宇宙飛行士……だった筈だが、違うかもしれない、有名人の言葉をリスペクトしてしまうほど、その光景は衝撃的だったのだ。
何しろ、質感が違う。
写真で見るような薄っぺらい地球などではなく、頭脳に浮かぶ『アレ』は自分の想像を遥かに超えた凄まじい大質量の球体で、頭上に確かに存在しているという現実感を伴っているのだ。
要するに俺は、頭上の地球をたった一望しただけで、完全に圧倒されてしまっていたのだ。
「ええ、凄まじい光景です。
尤も、これはホログラフですが」
とは言え、その感動も共に旅行先へと付いてきた未来の
「……ホログラフ?」
「はい。
衛星軌道に浮かぶ円筒形都市の場合、回転による遠心力によって疑似重力を発生させていますので、重力は円筒の外側に向けて発生します。
ですから、地球は本来、足元に見える筈です」
リリス嬢は優等生らしく、仮想モニタを展開し、図示しながら分かりやすく円筒形コロニーの構造と道理を俺に説いてくれる。
そして、気付かぬ内に作動していたらしき
その知識によると、観光都市としてこのキャノンボールが売り出された頃、足元のパネルを透過させることで「地球が肉眼で見える」という売り文句で観光を推進したのだが……残念ながらそのキャンペーンは大失敗に終わったそうだ。
透明のガラスでできている橋の上で生活するのを想像して貰えば分かるのだが、足元が見えないという環境は、生活する人間や旅行に来た人間に多大なストレスがかかることとなり、心身を病む居住者が続出したというのが失敗した最大の要因だった。
また、疑似重力を生み出す回転数の関係で、足元を地球が何度も何度も過ぎ去っていくこととなり、気分を害する旅行者が続出した所為で観光客のリピーターも見込めず……観光産業と移住促進の政策はどちらも大失敗に終わってしまう。
困り果てたキャノンボールの
──事情は分かった。
──分かったが、それは、言っちゃダメだろう。
モテないインテリ系の野郎がやらかしがちなことではあるが、真実と理屈を告げて浪漫を台無しにする系の……「虹が綺麗ね」と言う彼女の横で、水滴とプリズム効果をとくとくと語り出して何が楽しいか分からないと告げたり、がっかり名所と評判の高知県はりまや橋でこれは何年前に観光客用に造られたイミテーションだと語るようなタイプのやらかしである。
しかも、その浪漫をぶち壊す発言を女性の気を引こうとして告げる辺りにモテない理由の全てが集約されているに違いない。
──まぁ、この子もモテないインテリ系か。
成績は世界レベルで五指に入るほど優秀で、だけど要らぬ一言で婚約破棄を食らった……文字通りのモテないインテリ系の代表が、この隣で佇むリリス嬢である。
21世紀初頭に暮らしていた俺の常識では、野郎がメインでやらかす失態という認識があるが……600年が経過し男女の役割が大きく変わってしまったこの未来社会では、コレは女性側が率先してやらかしてしまう失態なのだろう。
「……それでも、これは、凄いな」
……だけど。
そんな事情を知っていても、頭上に見える地球は、それがホログラフとは全く感じさせないレベルで凄まじい代物だった。
俺は太陽光を浴びるペンギンのように上を振り向いたまま、その巨大な青い球体から目を離せない。
「当然のことながら衛星軌道都市キャノンボールは、この『地球が見える光景』を観光業の主軸にしております。
なのでホログラフは反対側……地球が見えない方向になる度にスクリーンの洗浄を行い、ホログラフ投影面の塵芥によるブレを最小にしているようです。
また人間にはほぼ感じ取れない微細な重力子の放出を行うことで、観光客もこのホログラフが実体と誤認する可能性が高まるなど、目に見えない場所も配慮した結果が、この観光名所として頂点に上り詰めた所以なのでしょう。
勿論、それらの感覚はこうしてVRで訪れた場合も同じく受け取るようにできており、一度VRで訪れた人の9割がリピーターに、また5割が実際に……」
背後ではリリス嬢が得意気に蘊蓄を語っていたが……もしかしたら彼女は、俺の意識が頭上へと完全に向けられていることに無意識下で嫉妬し、俺の気を引きたかったのかもしれない。
尤も、そんな彼女のささやかな自己主張すら全く気にならないレベルで俺は地球に意識を奪われていて……文字通り、彼女の言葉は耳を素通りしていくだけ、だった。
「あの……あ、ああああなた。
もう予定の一時間どころか二時間が経過しそうなのですが、更に延長します、か?」
結局。
空を見上げたままだった俺は、彼女がおずおずと発したその一言で我に返るまで、生まれて初めて肉眼で見た生の地球という凄まじい光景に……生まれて初めて肉眼で見たと錯覚させられたこの巨大ホログラフに……いや、VR上であるにもかかわらずそれを自分で見ていると更に錯覚させられたまま、この青い球体に意識を奪われてしまっていたのだった。
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