ひとやすみ

二見風理

第1話

 バイト終わりの「ひと休み」、課題終わりの「ひと休み」、一日の終わりの「ひと休み」。なにかの終わりにほっとひと息ついて休む。そんな時間が私は好きだ。多くの人にとっては何も魅力は感じられないものかもしれないが、実はそういったちょっとした時間が心を少しほぐしてくれていると思う。入浴が命の洗濯なら、この「ひと休み」というものは心のマッサージなんだと私は思っている。バイトで張り詰めた心や、課題やテストですり減った心をほぐし、穏やかにしてくれる。そんな些細なひと時の休憩である「ひと休み」が私は好きだ。


 そしてその「ひと休み」をより穏やかで優雅にしてくれるもの、それは珈琲である。あの独特の香り、そして苦み、飲み終えた後もそれらはほのかに残り、私の心を穏やかにしてくれる。そう、まるで魔法の飲み物であるかのように、それは不思議と起こる。ただ飲んでいるそれだけで心地になるのである。ホットであれば寒い日でもぬくもりと元気を与えてくれる。アイスであれば夏の暑い時期にはすっきりとした味わいで楽しみ、涼しみながら落ち着くことができる。お菓子があればなおさらいいだろう。マドレーヌやクッキーといった洋菓子は言わずもがな珈琲にはよく合う。和菓子でも饅頭や最中なども甘いものは珈琲にはよく合うので、甘さと苦みを両方楽しむことができるだろう。そんな様々な楽しみ方ができる珈琲を嗜みながら過ごす「ひと休み」が今も昔も変わらず私は好きだ。


 ある日の事、いつものように私は学校に行き、授業を受けて、放課後は家に帰って最近ハマっていた本でも読みながらひと休みしようと思い帰路についた。ふと道の途中にどこか不思議な感じがする喫茶店が突然視界の隅っこに入った。純喫茶を感じさせる木製の扉、隣にはアイスの乗ったメロンソーダやさくらんぼ乗せのプリンパフェといった懐かしささえ感じられるようなメニューのサンプルが陳列されていた。家に帰っても特にやることはなく、夜遅いわけでもなかったためまだ時間がある。幸いにも今いるところから家まではあまり遠くもない。そう思った私は吸い込まれるようにその喫茶店に入っていった。

 店内はカウンター席とテーブル席がある喫茶店で、カウンターやテーブルは木製のもので統一されていた。落ち着いた茶色で渋い感じがまたいい。椅子は合皮を使用した艶のあるソファとカウンターチェアがいくつか並んでいた。それらを淡く照らす電灯はスズランのような形をしていて天井からいくつか吊り下げられていた。しきもどれも自然光に近い白い光を出していた。私にとってその店内の雰囲気は、誰もが一度は想像したことあるのではないかと思ってしまうほどの理想的なもので、そんな喫茶店の雰囲気に私はしばらく魅了されていた。

 

 少しすると、店の奥から店員らしき人が出てきた。ご時世ということもあり、マスクを着用していたがそれでもマスターなんだろうと思わずにはいられないという雰囲気の紳士だ。

「いらっしゃい」

 これまた声も落ち着いたトーンで素晴らしい。どこかの有名な監督のアニメ映画に出てくるんじゃないかというくらいまさしく喫茶店のマスターといった感じの声だ。夢か?最高じゃないか。あまりにも理想的すぎて注文を忘れて浸るとこだった。注文せねば。

「あの、珈琲をひとつ。ホットで」

 こういうザ・喫茶店というところでは他のメニューに目移りすることなくスパッと珈琲だけを頼み、味わう。それが喫茶店を知るのにちょうどいいと思っている私のこだわりというか癖みたいなものであった。最近では、パンケーキやら、パフェといった写真映えしそうなスイーツ、ナポリタンやオムライスといったレストランのようなメニューがおすすめといった喫茶店は多い。しかし!やはり珈琲にはそれぞれの喫茶店の味が出ている、と思っている。珈琲の知識が豊富にあるというわけではないが、チェーン店でもない限りやはり多少の違いは、珈琲を好んで飲むだけのただの素人に近い私にでも感じられるのである。

「かしこまりました。お掛けになって少しお待ちください。」

 マスターらしきその紳士は、静かに珈琲を作り始めた。どうやらサイフォン式で抽出するようで、ろ過器やロートのセットをしていた。それが終わると次にコーヒーミルで豆をゴリゴリと挽く音が聞こえてきた。今どき、商品を提供する速さや利便性を重視して、全自動のものを使う所や仕入れる際にコーヒー粉の状態にしておく所が多いイメージだったため、その工程は新鮮に感じた。この音を聞く段階から珈琲を楽しめるとは、いい店にたどり着いたものだ。

 コーヒー豆が挽き終わり、お湯も沸いていた。いよいよサイフォン式での抽出である。この時に香る珈琲の魅惑的な香りはもはや何にも代え難いものがある。チェーン店に行きがちな私からすると珍しいその光景を、まるで絶世の美女を見て息を呑む少年かのように私は夢中になって眺めていた。


「珈琲、お好きなんですね 。」

 マスターのイケボが唐突に聞こえて驚いた私は少しオドオドした感じになりながら答えた。

「あ、はい。ちょっとした休憩の時に珈琲を飲むのが好きで、よく飲んでるんです。」

「いいですね。私も開店前に自分で淹れた珈琲を新聞片手にここで一杯だけ飲むのが好きなのでよくわかります。」

 なんとも想像しやすいシチュエーションだ。これほどまでに絵に描いたようなことが続くとありきたりすぎて私でなければもはや冷めてしまうぞと思った矢先である。マスターはとんでもない一言を放った。

「うちは少し変わった店でね。ひと休みする時に珈琲を美味しく飲んでる人にしか店自体が見えないから頻繁にお客さんが来るってわけでもなくてね。あなたが久しぶりのお客さんですよ。」

 そんな発言に驚いている私にかまわず、マスターは珈琲をカップに注ぎ、私に差し出した。その珈琲からはまるで、優雅で甘美とも思える香りがしていた。

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