文芸部の後輩との恋愛事情~この恋を始めても大丈夫ですか?〜

三浦るぴん

第1話 前編




  *




「えっ? 何この空気?」


 その日の放課後。


 いつも通りに文芸部の部室へと足を運んだ俺は、いつもとは違う雰囲気を感じ取って首を傾げた。


 なんだろう、妙に重いというか、ピリついた感じが漂っている気がする。


 そしてそれは、俺の向かい側に座る後輩ちゃんも同じようで、どことなく居心地の悪そうな表情を浮かべていた。


 後輩ちゃんの顔は、明らかに無理をしているようにしか見えなかった。


「……何か、あったのか?」


「あぁ……、うん……、ちょっと……、ですね……」


 これは確実に何かあったな。


 ただ、その何かが分からないんだよなぁ。


 あの後輩ちゃんがここまで露骨に態度に出るってことは、よっぽどのことが起きたんだろうけど……でも、それが何なのかさっぱり分からん。


 それに、こういう時って下手に詮索するよりも、気付かないフリをした方が平和だったりするしなぁ。


 とりあえず、ここは黙っておくことにしよう。


 さてと、それじゃあ俺も読書を――。


「やぁやぁ、ちょっといいかな?」


「あ、はい! 大丈夫ですよ!」


 俺が本を取り出そうとした瞬間、部長から声をかけられる。


 その声に反応してか、ビクッと肩を震わせた後輩ちゃんは、慌てた様子で返事をすると、すぐさま視線を部長の方へと向けた。


 うん、完全にビビってるな。


 そんな後輩ちゃんの様子に苦笑しつつ、俺もまた、彼女と同じように部長の方を向く。


 部長は俺たちに、あることを語り出すのだった。


「えぇ、実は、ね――」


 そうして語られたのは、ある一つの噂だった。


 何でも文芸部の誰かが付き合っているという噂が流れているらしい。


 しかも、その相手が俺だというところまで特定されているようだ。


 なるほど、それで後輩ちゃんがあんなに挙動不審になっていたのか。


 まぁ、無理もない話だな。


 俺だって、もし同じ状況になったら、同じように動揺してしまうだろうし。


 とはいえ、このまま放置しておくわけにもいかないよな。


 だって、仮にも文芸部は文化部なわけで、こういったゴシップ系のネタには敏感なはずだ。


 早いところ誤解を解いておかないと、変な噂が流れてしまう可能性があるからな。


 ということで、俺は早速行動に移すことにした。


「俺と後輩ちゃん、付き合ってないですよ」


「……えっ?」


 俺の言葉に、部長だけでなく、ほかの部員たちもポカンとした表情を浮かべる。


 どうやら、全く予想していなかった展開だったらしい。


 そんなみんなの反応を見て、俺は苦笑を浮かべながら言葉を続ける。


「いや、だから俺と後輩ちゃんは付き合ってませんよ。ただの部活仲間です」


「はい、本当ですよ」


 俺の答えを聞いて、しばらく黙り込む部長。


 そして、少ししてから小さく息を吐くと、今度は後輩ちゃんに視線を向ける。


「……はぁ、そういうことなら仕方ないわね。疑って悪かったわ、二人とも」


「い、いえいえ! お気になさらず!」


「そう言ってもらえると助かるわ。それじゃあ、改めて話を戻すけど――」


 その後、俺たちはいつも通りに活動を始めた。


 と言っても、今日は特にこれといった用事もないし、読みかけの小説の続きを読むことにする。


 すると、しばらくしてから、ふと隣から視線のようなものを感じた。


 チラッと横目で確認すると、そこには何やら物言いたげな表情の後輩ちゃんがいた。


「……いえ、何でもないです」


 何でもない、と言いながらも、やはりどこか納得していない様子の後輩ちゃん。


 そんな彼女の様子を不思議に思いつつ、俺は再び小説に視線を落とすのだった。


「――よし、今日の活動はこれで終わりにしようかしら」


 それから一時間ほど経った頃、部長のそんな一言によって、今日という日の活動が終了した。


「お疲れ様でしたー!」


 各々が帰り支度を始める中、俺は自分の荷物を纏めて席を立つ。


 そのまま出口へと向かうと、扉に手をかけたところで背後から声をかけられた。


「先輩、ちょっといいですか?」


「ん、どした?」


「……いえ、やっぱり何でもありません。では、私はこれで失礼しますね」


 ペコリと頭を下げる後輩ちゃんに軽く手を振りつつ、俺は部室を後にする。


 うーん、やっぱり後輩ちゃんの様子が気になるなぁ。


 なんか妙によそよそしいというか、何かを隠しているような感じがするんだよな。


 とはいえ、それが何なのかは全く分からないし、無理に聞き出すこともできないんだよなぁ。


 う~む、どうしたものか。


 そんなことを考えながら昇降口へと向かっていると、不意に後ろから声をかけられる。


 振り返ってみると、そこにいたのは、今まさに頭を悩ませていた相手である後輩ちゃんだった。


「やっぱり、その……一緒に帰ってもいいですか?」


「どして?」


「いえ、えっと、その……ダメですか?」


 不安そうな表情でそう尋ねてくる後輩ちゃん。


 そんな姿を見せられて断れるはずもなく、俺は小さく笑いながら彼女の提案を受け入れることにした。


 そして、二人で並んで帰り道を歩くこと数分。


 校門を出た辺りで、それまでずっと無言だった後輩ちゃんが口を開いた。


「あの、先輩は私のこと、どう思ってますか?」


「……えっ?」


 突然そんなことを言われてしまい、思わず言葉に詰まってしまう俺。


 しかし、すぐに気を取り直して口を開く。


「ど、どうって……そりゃ、大切な後輩だと思ってるよ」


「それはつまり、恋愛対象としては見ていないってことですよね?」


「まぁ、そうなるかな」


 俺がそう答えると、後輩ちゃんは安心したように息を吐いた。


 だが、その直後、彼女は真剣な表情で俺のことを見つめてきた。


「だったら、私が先輩に告白したらどうしますか?」


「ふぁい!?」


 あまりに予想外の言葉に、つい間抜けな声が漏れてしまう。


 いやいや待て待て!


 なんで急にそんな話が出てくるんだ!?


 そもそも、どうしていきなり告白なんて話になるんだよ!


 いや、落ち着け。


 まずは落ち着くんだ、俺。


 ここで慌ててしまったら、きっと取り返しがつかないことになるぞ!


 よしっ!


 とりあえず深呼吸だ!


 スーハー、スーハー……ふぅ、少しは落ち着いた気がする。


 うん、これなら大丈夫そうだ。


 というわけで、俺は改めて後輩ちゃんに尋ねることにする。


「えーっと、さっきの質問だけど、それって、どういう意味なのかな?」


「言葉通りの意味ですよ。もし先輩が私を受け入れてくれるのなら、恋人としてお付き合いをしたいと思っています」


「あー、なるほどねぇ……」


 ふむ、これは困ったことになったな。


 まさか後輩ちゃんの方からこんな話をしてくるとは、さすがに想定外だぞ。


 とはいえ、いつまでもこうして黙っているわけにはいかないよなぁ。


 ここはもう、はっきりと返事をしておいた方が良さそうだな。


 というわけで、俺は大きく深呼吸をすると、ゆっくりと口を開いて言葉を紡ぎ始める。


「あのさ、俺は君のことを大事な後輩だと思っている。だから、君からの好意はとても嬉しいんだけど、正直言って付き合うことはできないと思う」


 俺の答えを聞いた後輩ちゃんは、少しだけ寂しそうな表情を浮かべながら俯いた。


 俯いていたが、いきなり後輩ちゃんの顔が勢いよく上がった。


 その表情には驚きの色が浮かんでおり、同時にその瞳からは涙が溢れ出していた。


 えっ、ちょっ、なんで泣いてるの!?


 予想外の事態に激しく動揺する俺だったが、次の瞬間、今度は別の意味で驚愕することになった。


 なんと、後輩ちゃんが俺に抱き着いてきたのである。


「せ、先輩……!」


「ちょ、ちょっと待って! 落ち着いて!」


「だって、今を逃したら、もう二度とチャンスが来ないかもしれないじゃないですか!」


「そ、そんなことないと思うけど……」


 そう言いながらも、俺の背中に回した腕にギュッと力を込める後輩ちゃん。


 それによって、彼女の柔らかな感触が伝わってくるのだが、今はそれどころではなかった。


 なぜなら、この状況を誰かに見られた場合、非常にまずいことになるからだ。


 主に社会的に死ぬという意味で。


 なので、どうにかして彼女を引き剥がそうとするのだが――。


「ちょっ、ちょっと離して!」


「絶対に嫌です!」


 ダメだ、全然離れてくれない!


 それどころか、むしろさっきよりも強く抱きしめられているような気がするんだが!?


 一体どうすれば……!


 打開策を考えている間にも、どんどん状況は悪化していく。


 気付けば周囲には人だかりができており、その視線は全て俺たちへと向けられていた。


 もう完全に詰みの状態だな、これ。


 こうなったら仕方がない。


 多少強引ではあるが、強引に引き剥がしていくしかないだろう。


 そう思った俺は行動を起こすことにした。


 最初にしたのは、周囲の人たちに向かって声をかけることだ。


「すみません! ちょっと集まるの、やめてもらってもいいですか!?」


 俺の声を受けて、周囲から人が離れていく。


 それを確認した後、次にやることはただ一つ。


 目の前にいる女の子の説得だ。


「ごめん! 本当に申し訳ないけど、離れてよ! このままだと、いろいろとマズいって!」


 渋々といった様子で離れる後輩ちゃん。


 そんな彼女にホッと安堵の息を吐きつつ、俺は続けて言葉を口にする。


 と言いかけたところで、不意に背後から声がかけられた。


 その声に反応して振り返ると、そこにいたのは――。


「――えっ?」


「あら、奇遇ね」


 そう言って声をかけてきたのは、何を隠そう我が文芸部の部長様だった。


 どうやら彼女もまた、この騒ぎを聞きつけてやって来たらしい。


 その後、俺たちは場所を移して話をすることにした。

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