家を燃やす豚

村野ケイ

第1話放火魔

 家が熱い。


 この言葉を聞いて思い浮かべるものは、広告代理店が住宅探しの人向けに作った広告の一文。だが、実際はそのよくある日常の一コマではなく、今物理的に一軒家が炎に包まれていたのだ。


 その住人の一人であろう少年新島は、幼少期から現在まで過ごした自宅が燃えているにも関わらず、「熱い」という鳥のささやきのような声量を発し、ただ銅像のように茫然と固まっていた。

その前を消防隊員や町の住人たちがせわしなく通っていても、ただ唖然と眺めているだけ。


 何とも言えない匂いが充満する中、新島は何もすることもせず、燃えて行く家をただ興味なさげに眺めている。自分の家ではないかのようにだ。

まるで太陽が落ちてきたかのように、家は止まることなく燃えさかり、風が吹いては火の粉が飛び散り、周りに被害が広がっていく。


 面白がって集まった周りの見物人たちは、スマホで火事の様子を動画で取っていたり、隣の人とうわさ話をしたりして盛り上げっていた。


 そのうちのとあるマダムから、新島の耳に、こんな噂話が聞こえた。

「私、見たんだよ。夕方くらいかしら、新島さん宅から不審な男が出てきてねぇ……」

救急車のサイレンが響き渡る悪環境をもろともせず、隣同士と会話を始めるマダムたち。


途中までしか聞けなかった新島だったが、頭の回転が速いと自負していたため「なぜ火事が起きたのか」を推測した。


放火魔。


最近よくニュースなどで見聞する、火災事件の一つ。


目的は、到底常人が理解不可能な領域で、ゴミなどを燃やす者もいれば、一生モノの大事なものを燃やしては、持ち主の涙をみて、快楽を得る者もいる。言わば一種のサディストである。


その迷惑犯が、この町に来ては、恨みなど全くない、見知らぬ新島の家を燃やしたというのだ。


こんな迷惑なことはない。普通なら、涙を流し、冷静さを失い、取り乱すはず。だが、新島はそうじゃなかった。悲し気な表情を一切見せることなどせず、堂々とした姿で燃えゆく自宅を眺めている。それが、おかしなことだと町の住人たちは薄々気付いていた。彼を昔から知る者たちは、彼の家庭環境を知っていたため、「大丈夫か?」と、心配の声を掛けることが出来ず、棒立ちの彼をただ見守るしかなかった。


木が燃えていく音が、サイレンにかき消され、カメラを持ったまま、規制線の中に入ろうとする見物人たちを警察官が注意する。その間も、彼の顔は表情を一切動かすこともなく、体もピクリとも動かない。「見物人A」 のような無関係を装い、「静」が似合うほど彼は無表情だった。


もし、彼の心の中を覗ける者がいるのなら、新島の心境に驚くだろう。異様なまでの冷静さと、神の湖のような波も立てぬ静けさに。


新島が「静の悪魔」に支配されたのは、彼の家庭環境が原因だった。


一人っ子としてとある両親のもと生まれた新島明は、過度に行き過ぎた教育と、愛情という名の暴力を一身に受け、すくすくと育っていった。


両親からは異常なまでの期待を受け、自分自身に嘘をつきながらも、親の期待に応えるべく必死に勉強をしては、家の鬼教官から今日はここがダメだった。もっとこうしろという指導という名の暴力が一日の終わりに行われた。


朝は、両親よりも早く起き、住まわせてもらっているという自覚を忘れぬように朝一、両親の部屋に向かって口頭で感謝を述べる。そこから、廊下の掃除や、親の食事の用意など家事全般を済ませてから、両親が起きて来るまでには机に座り勉強を始める。


朝七時ごろ。鬼教官からの家事のチャックが行われるため、急いで下に降りてリビングに向かうが、息子に無関心な父親から「お前がいると気分が悪い」というような、無言の圧をビシビシと感じながら、教官でもある母から、指導が下される。


これが、午前中に受ける、母からの愛である。


学校が終わってからもやることは同じで、友人と放課後遊ぶこともせずすぐ家に帰っては、遅いと叱られ、罰として晩飯抜き、睡眠なしなど当たり前で、思春期の頃の少年にとって、重めの刑が言い渡される。


これを、生まれた時から、現在十六になるまで行うと、反抗期になったとき、黒歴史の住処である家が燃えようが全くの無感情になる。


いや、無感情ではない。正しくは「喜」の感情。


両親が愛していた家なだけで、決して新島が愛していた家なわけではない。だから、新島にとって必要な「衣食住」の一つが消えても、愛の巣窟が燃えようとも、不安よりも「喜び」の感情が今、心を強く支配している。


家に居るときが、一番の黒歴史だったといっても過言ではない。決して誰も知られたくない過去。それを消してくれた放火犯に新島は深く感謝した。

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