第3話 イインチョの秘密

 嘘だろ?

 イインチョ…浮いて、る?!


 イインチョは、フワリとその場に浮き上がり、俺の耳を凝視しながら手を伸ばしてきた。

 見間違いなんかじゃない。

 イインチョの足は、確実に20センチは地面から離れている。

 片足だけじゃなくて、両足ともに!


「この耳…」

「いや、待て待て。そんなことより」


 大きく尖り、体毛に覆われた俺の耳に触れる直前で、彼女の手を取る。


「イインチョ、浮いてるぞっ?!」

「えっ…キャッ!」


 ハッとした顔をした直後、イインチョはドスリと地面に着地した。よろけた彼女の体を、とっさに抱きかかえる。


「ごめん…ありがとう」


 珍しく恥ずかしそうに俯いて、イインチョは俺から体を離す。

 離しがてら、体毛に覆われ、鋭く伸びた爪が光る俺の手に、そっと触れて。


「私、興奮すると、体が浮いちゃうの」

「…えっ?」

「誰にも言わないで」


 クルリと俺に背を向けて、イインチョは歩き出した。


「じゃあね、正人くん」

「ああ…えっ?」


 今イインチョ、俺の名前…?


 ブルブルと頭を振り、慌ててパーカーのフードを被り直す。


 あるわけねぇ、イインチョがいきなり、俺を下の名前で呼ぶなんて。


 人目を避けるようにして、俺は走って家まで帰った。



 皆既月食を一緒に見てから数週間。

 イインチョは特に変わった様子もなく、学校でも普通に俺に接してきた。

 というか。

 普通に接触自体殆ど無いから、ただ、同じ教室にいるだけの関係。

 …一方的に俺だけが意識してしまっているのが、悔しいくらいに。


 あの日のイインチョは、本当にイインチョだったのか?


 そんなことすら思ってしまうくらいに、彼女は無表情で人を寄せ付けない雰囲気を纏わせたまま、日々を過ごしていた。


 そんなある日。


 …あれ?

 イインチョ、か?


 テスト終わりの学校からの帰り道。

 帰りが早かったこともあり、少し足を伸ばした隣駅のショッピングモールでイインチョらしき姿を見かけて、俺はなんとはなしに気になった。

 ついさっきまで長い髪の毛をキッチリ三つ編みにして、デコ丸出しで、黒縁メガネを掛けていた彼女が、髪を解いて眼鏡まで外してるんだ、気にならない方がおかしいだろう。

 別人かとも思ったが、彼女が着ている制服は間違いなくうちのガッコの制服だし、それにあの鞄はイインチョの鞄。

 あの日以来気になって彼女を観察していたお陰で、俺はいつの間にか彼女の持ち物まで覚えてしまっていた。

 それともう一つ、気になったことがあった。

 それは。


 スローモーションでも見ているのかと思うほど、歩くのが異様に遅いこと。


 なにやってんだ?あいつ…


 気づかれないように、距離を取って後を付けていたのだが、彼女のあまりのトロさに我慢ならず、俺はついイインチョに声を掛けてしまった。

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