第91話 茜差す部屋で語られる真実とは(11)

 沈黙が流れる中、プルルルルという電子音が辺りに響く。滝田さんのスマートフォンだ。

「はいはい、滝田です。ああ、そう、丁度いいタイミングね」

 電話に出た彼女は相手にそんな事を言った後、何度か相槌を打った後に電話を切って言った。

「東雲さん、ビンゴだったわよ。降矢先生のマンションのベランダから駐車場にかけて調べてさせみたら微量ながら壁の一部から彼の血液が検出されたという事よ。  

 それから、えりなさんの制服も調べさせた。こちらからは熊谷先生の皮膚組織と汗が付着されていたのも確認出来たわ。という訳で先生、詳しくお話を伺いたいんですけど、ちょっと署までご同行願えませんか?」にじり寄るように近づいていく。対して先生は慌てる素振りを見せずに言った。

「わかりました。全てお話します。私が降矢先生と校長を殺しました」

 その言葉はとても静かなものだった。

「そうですか。動機はやはり二見えりなさんの復讐?」

 滝田さんもそれに動じず返事を返す。だが、先生はそれに対しては首を振った。

「いえ。それは違います。あの子は関係ありません。途中まで東雲さんが話した事は事実です。薬を飲まされて昏睡状態のまま無理やり降矢に自宅まで連れ込まれました。それで彼は私を裸にして写真を撮りました。それをネタに彼との結婚を迫られました。脅迫されたんです。でも、ついに我慢がならなくなって、彼らを殺しました。えりなの事は関係ありません」

 この期に及んで熊谷先生はえりなと付き合っていた事や、彼女が人殺しを画策した事を隠そうという魂胆らしい。

「先生。流石にそれは無理がありますよ。じゃあ、何でえりなは死んだんですか」

 私はその答えに我慢がならずに反論の声を上げる。

「わからない。でも、彼女は自分で屋上に上がったんでしょ。心療内科に通っている話も聞いていた。誰にも言えない悩みを抱えていたのかもしれない。それを気付けなかったのはとても残念よ」

「つまり、彼女は飽くまで自ら命を絶ったと言いたいんですか?」

「辛い事だけどね、私はそう思うの。彼女の死は私や降矢との事は関係ない。私がそう言っていた事。刑事さん、東雲さんもちゃんと覚えて記録しておいてください」

「な、何を言ってるんですか」

 一瞬彼女の言葉の意味が掴めなかった。戸惑いつつ言葉を上げる私の方に向かって熊谷先生は迫って来て言った。

「どきなさい!」

 その言葉で気づく。彼女が目指しているのは私が背にしているベランダの方向。扉出入り口は滝田さん達がいる。だから、そちらからは逃げられない。でもじゃあベランダに向かってどうするというのか。そんな所へ出たって逃げおおせる物ではない。ただその上で考えられるとしたら一か所だけ彼女の逃げ場はあった。

「先生。どうするつもりなんですか」

 私は分かっていながらあえてその言葉を口にする。

「わかってるんじゃない?」

 そういう先生の表情はとても不吉なものだった。間違いない。彼女は命を絶つつもりなんだ。

「先生。ここで死んでどうなるんですか」

 言っていて空しい言葉だと想った。そんな言葉今の彼女に刺さるとは思えない。

「じゃあ、このまま生きていてもどうなるっていうの? どきなさい!」

「きゃっ!」

 言って彼女は猛然と向かってくると私を突き飛ばしてベランダの扉に手をかけてそれをグイッとあけ放ち柵に手を掛けようとした。窓の外にはあの日の様に夕焼けが辺りを染め上げている。が、

「させないっす」

 と、そこへ聞き馴染のある声が耳に入って来た。いつのまにやらベランダに男の人が現れて先生の身体をグイッと抑え込んだ。それは滝田さんの部下有吉刑事だった。

「は、放して。放してよ。あの子の所に……行かせてよ」

 熊谷先生は始めは強く抵抗していた様だがそれも段々と弱まり、消え入りそうな声で呟いた。そこへ近づいてきた滝田さんが言った。

「熊谷しおりさん。暴行の容疑で現行犯逮捕致します」

 つまりそれは私を突き飛ばした事に対するものという事だ。

 その言葉と同時に品川刑事が手錠を取り出して熊谷先生の両手にガッチリと嵌めた。それで無駄だと悟ったのだろう。彼女は抵抗を止めると諦めた様にすっくとその場に立ち上がった。そして、品川刑事と有吉刑事に付き従われる形で扉に向かって歩き出す。

 それに対して私は「先生」と言葉をかけずにはいられなかった。

 それが聞こえたのか。彼女はその場に立ち止まる。品川刑事も有吉刑事もとどまってくれていた。

「なに? まだ何かいうことがあるの?」

 すっかり抜け殻の様になった彼女に対してでも私は言わずにはいられなかった。

「えりなが人殺しをしようとしていた事を認めたくないという気持ちは分かります。彼女の名誉を考えれば貴方にとってそれは正しいのかもしれない。でも、先生。それは彼女にとっての裏切りじゃないですか」

「ど、どういうこと? 一体何が言いたいのかな?」

「人を殺そうとした。そんな彼女のしたことは褒められることじゃありません。でも、先生。彼女は何の為にあんな事をしようとしたんでしょうか。それは、貴方の為です」

「私の……ため?」

「はい。やり方は間違っていたかもしれない。でも、彼女は貴方の為に闘ったんです。命を賭してでも貴方を守ろうとしたんです。だから、貴方だけはそれを否定するべきじゃないんじゃないでしょうか。彼女がどれだけ悪し様に言われようとも、非難されようとも、彼女が貴方の為にしたその行為を貴方だけは否定するべきじゃないと想います。それに何より亡くなる直前にあった二見えりなは私に言っていました」

 そこで私は言葉を区切った後に続けて言った。

「大好きな人がいるって。その後とても嬉しそうに貴方の話をしていました。今なら確信します。彼女は貴方を愛していました。貴方と彼女は確かに恋人同士だった。それを否定するような事だけはしないであげてください」

 言いながら私の目からは一滴の涙が零れ落ちる。これは誰の為の涙なのか自分でも分からない。そして一瞬の沈黙の後彼女は言葉を絞り出すように言った。

「……そうね。そうなのかもしれないね」

 その肩を品川刑事が叩く。促されるように三人は理科準備室を出て行った。

「終わった、かしらね」

 後に残った滝田さんは私の方に向かって言った。

「そうですね。あの……滝田さん。滝田さんはどこまで気づいていたんですか」

「二見えりなが殺人計画を練っていたんじゃないかっていうのは、当初から可能性の内の一つとして考えていたわよ」

「やっぱりそうだったんですね。じゃあ、えりなと熊谷先生の関係は?」

「それも可能性としては考えていたわ」

「殆どお見通しだった訳ですね。じゃあ、私がやった事って余り意味なかったんでしょうか」

「まあ、そうとも言えないわよ。こっちは捜査するのに裏付けが要るしね。その上被害者も加害者も死んじゃってる。で、また、降矢先生と校長先生殺害に関しては管轄外。色々と面倒な状況だったのよ。貴方のお蔭で色々上手く事が運べたわ」

「はあ……」

 聞いて少し複雑な気分になった。結局私は彼女の手の上で転がされたようなものということか。そんな私の胸中を知ってか知らずか彼女は続けてこう言った。

「まあ、でも、これで事件もひと段落してよかったじゃない。とはいえ、これから又皆楽しく学校生活……って訳にはいかないでしょうけどね」

「ええ。でも、それは私達が頑張りますよ」

 真相が露見したことにより、学校は更なるダメージを喰らうかもしれない。でも、だからといってこのままダラダラと沈鬱なムードが続くよりはましだ。と想いたいところだ。

「そっか。じゃあ、頑張ってね」

「はい、ありがとうございます」

「いえいえ。こちらこそ」急に彼女は表情を今までのニヤケ顔から真面目な顔になった。そして、

「東雲塔子さん、ご協力ありがとうございました」

 私の方に向き直ると、赤く染まった夕焼けを背景に敬礼する。私はいつもの彼女の様子と余りに違い過ぎて面食らってしまった。

「いえいえ、こちらこそお世話になりました。デカジョウさん」

 何だか面映ゆくて最後はまぜっかえすように言葉を返した。

「ああ、もう。貴方までその呼び方して~、止めてっていったでしょ」

 私の言葉に彼女はすぐ表情を崩してしまう。

「ははは、すみません」

 むくれるような顔をしていう滝田さんを見て私は少し笑い声をあげた。

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