第5話茜色に染まる校舎に舞い落ちたのは(5)

『頑張ろう』といった言葉の中身。私については委員長としての活動について言ったのだろうが、彼女自身は何を『頑張ろう』と言っていたのか。この時の私には分からなかったが深くは聞かずに「うん、頑張ろう」と答えた。

「さーてと。じゃあ、行こうかな」

 言って彼女はスマホを取り出して画面を見ながら言う。ピンク色の白地でハート型が付いてスマホケースが目に付く。

「うん。そうだよ。日が落ちるのも早くなったからね。もうすぐ暗くなっちゃう。危ないよ、気を付けて帰りな」

「それはお互い様じゃない。トーコこそ、まだもう少しかかるんでしょ」

「私は家、そんなに遠くないからさ。あなたは自転車でしょ」

「ま、ね。お気遣いありがとう。気を付けて帰ることにするよ。名残惜しいけど。また来週」

「はいはい。また来週ね」

 今日は金曜日。開けて月曜日も祝日の為次の登校は火曜日になる。でも、この時はそんな暫しの別れとしか思っていなかった。

 ドアをガラガラっと開けてエリナが出ていくと、教室の中は静まり返る。

 後には私一人きり。薄闇も迫っている。遠くからは吹奏楽部の練習音や、部活動の掛け声が聞こえてくるが、それらになんだか寂しい気持ちが煽られていった。

 私は中断していた日誌を一気に書き上げると、それとプリントの束を持って職員室にむかう。

「失礼します」

 扉を開けて中を覗き込んだが担任のフル先の姿はなかった。その場合は本人の机の上に置いておけばいい事になっていので、一式置いた後、教室に戻る。

 ガラガラガラと音を立てて扉を開けるとそこから目に入った景色に思わず「うわ~」と声を上げてしまう。夕闇が先程より更に迫り、夕日の日差しが私を迎え入れるように教室を照らしつけていた。何だか心洗われるような気持ちになり、窓際に近づいていく。

「しゃ、写真撮っちゃおうかな」

 基本的にわが校は、スマホ持ち込みは認められている物の学校内での使用は控えるように言われている。禁止という程ではないし、ちょっとラインやメールを送りあう程度はお目こぼししてもらえるのが実情ではあるのだが、無闇に使用が許されているわけではない。ましてや私は委員長。クラスの範にならなければならない存在……。 

 だけどさ、今日は先生の言いつけ守ってこんな時間までクラス委員の仕事をやってる訳よ。ちょっとくらい、いいんじゃね。

 他には誰もいないし、ここで撮ったっていうのは大っぴらにはできない。だから見るのは私だけ。今日、一日働いた自分へのご褒美って事で。そんな言い訳になるのかならないのか分からないことを考えながら私はスマホを取り出すとオレンジ色に染まった教室の中と、夕日が沈む海の波間に向けて何度かシャッターを切った。

「んふ。なっかなか、芸術的じゃない」

 スマホ画面を見てそう独り言ちながら、エリナにならこれを見せてあげてもいいかな、なんてことも思った。彼女なら告げ口したり、咎めたりもしないだろう。

「さてと、じゃあ、私も帰るとするかな」

 人目がないことをいい事にそこそこでっかい独り言を更に漏らしつつ私はカバンを持って、再度窓の方に目を向けた。

「へ?」

 そこで思わず間抜けな声をあげてしまう。自分の目の前の窓に一瞬暗い影が差したからだ。それは上から下に動いた影……。

 そうではない。影なんかじゃない。正確に言うと上から下に何かモノが落ちたように見えた。

 一瞬の事であり夕日の逆光に照らされた為それは黒い影の様に見えたのだ。が、その一瞬見えたモノの正体を私の網膜と脳細胞は捉えていた。捉えてしまっていた。

「キャー」

 表から悲鳴が聞こえる。

「人が、人が落ちたぞ。せ、先生呼んでこい」

 ざわざわとした声が真下に広がっていくのが判る。

 瞬間、眩暈に襲われた。信じたくなかった。夢じゃないかと想いたかった。でも、茜差す夕日が目に眩しい。それによってこれは夢じゃなく現実だと思い知らされる。

 私は恐る恐る、窓を開けて下を覗き込む。

 そこには数名の生徒による輪ができており、中には教師らしき人物がしゃがみこんでいた。更にその輪の中心に人が倒れている。

 この距離でも誰だかわかった。エリナだ。

 彼女の身体の周りは血で彩られていて、更に制服の白地が夕焼けに照らされている。

 その現実味のない光景に一瞬「綺麗だ」などと考えながら、私はゆっくりと意識が遠のいていく事を感じていた。

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