使役士になりました

おきて

異世界の実感

落ちる先は

 底のない穴に落ちたことがあるかと問われて、なんと答えるか。

 無論ないと答えるのが多数、というかほぼ全ての人間の嘘偽りない事実だろう。


 でも俺は答える。あります、と。

 何故ならば――



「現在進行形で落ちてるから、なぁ……」


 逆さになりながら、今も尚落下している感覚を意識を失うこともなく味わいながら、自らの思考を呟く。


 事の発端はそう、ついさっき。

 親の用意した朝飯を食べて、昨日用意しておいた鞄を持って家を出て、高校へ歩いて向かう。そんないつもと変わらない道筋をなぞっていたはずだった。


 昼の弁当はなにかとか、今日の体育がダルいとか、適当なことを考えていながら歩いていたそんな時に、目の前の地面が消えて。


「え? …………ぅぅおおおおおおっ!?」


 真っ暗な闇に、転けたような体制で頭から吸い込まれていくことになった。


「もう何回も叫んだし、声も帰ってこないし、鞄もどっかいったし、いつまで経っても地面にもつかないし、なんだかなぁ」


 叫び疲れた喉で、ひとりごちる。

 高いところから落ちると、人は意識を失うと聞いた事があったが、自分もそうなりたかったと思ってしまう。

 そう思ってしまうほどに暇だった。だって、何も見えない落下中に景色を楽しむこともできず、何もできることがないのだから。


「どうするかなぁ……」


 最初は何がなんだかわからないまま死に対しての恐怖を感じて叫んだり、藻掻いたりしていたけれど、落ちてきた方を見ても落ちていく方を見ても何も見えない闇が広がるのみ。

 そんな暗闇にいつしか安心感のようなものを覚えている自分に少し笑ってしまう。


「……寝るか」


 正直、自分が馬鹿なことを試みている実感はある。ただ、もうこうするしかないと思っていた。



 だって、暇すぎるんだ。



 耳にどすっ、と。なにか重いものが落ちたような音が届く。


「――ッ!!!」


 それと同時に、尻から鈍い激痛が広がっていく感覚を味わうことになった。

 声も出せない程の痛みに瞼にしわができるほど強く閉じ、のた打ち回りながら痛みに耐える。そうしていると思考も徐々に痛みへの対処に追われ始めた。


「――いっっったあぁぁっ!!!!」


 頬に伝う涙を感じながら、遅ればせながら今の感情を一息に表す。喉の痛みを感じて、そういえばちょっと前も落ちながら叫んでいたな、なんて思って思ってみたりした。


「あああっ! クソっ! なんだってんだ!」


 続けて今の状況に対する気持ちを載せて言葉を放つ。無論誰かに届けるつもりもなく、虚しく俺の声が反響するばかり。


「……あれ?」


 尻をさすりながら、気付く。


 声が反響している。

 先程落ちていたときには帰ってこなかった声が、今は帰ってきている、と。

 痛みに耐えるために閉じていた瞼を、涙を拭きながら開けていく。

 

 そこには先程とは違う、白い空間があった。前後、上下、左右すべてが白い、先程までの暗闇に慣れていた目にはやや眩しい空間だった。


「……というか、俺なんで生きてんだろ」


 先程までの状況を思い返し、疑問が口をつく。長い間落下していたにしては、尻餅で腰も砕けていないし、そもそも頭から落下していたのに尻餅をついてるのは何故だろう。


「……ふふっ」

「っ!」


 尻の痛みに耐えながら立ち上がって思考に没頭しそうになった瞬間、背後から笑うようなが聞こえて、身体をビクつかせながらバッと振り返った。


「ごめんなさい、ちょっと動きが面白くて」



 そこにいたのは少女。

 長い黒髪を腰まで伸ばし黒い装いに身を包んだ俺より歳の低いように思える彼女の頭には、黒い目隠しのようなものが巻かれていた。

 白い空間に映える黒の少女。

 少し怪しく見える少女は、目元が隠れていてもなお美形であることが伺える顔を、俺の方に向けていた。


「……あんた」

「誰か、聞きたいのよね?」


 俺の考えをを見透かしたように言葉を被せる少女に、思わず面食らった。


「ふふっ――警戒とかはしなくていいのよ? 私はあなたを助けたい。それだけなの」


 そう言って少女は咳払いを一つした。


「私の名前は、エニティ。言うなれば――」


 身長にしてはだいぶ実りすぎに見える胸を張り、そこに手を当てながら、少女は言葉を放った。


「神様よ」

「いきなり胡散臭くね?」


 思考がモロに口をついてしまった。

 はっとしてちょっと機嫌を損ねたかもしれないと瞬間的に考えたが、それに反して少女は堪えきれないというように笑い声を上げた。


「あはははっ! ――まあ、そう感じても仕方ないわよ。いきなり現れて『どうも〜神様で〜す』なんて言われても、は? ってなるわよね」

「――ははっ! まあそうだな」


 いい終えても尚うふふと笑い続ける少女を見て、つられて少し笑ってしまった。



「ふぅ、笑い疲れたわ」

「なんかすまん」

「いいえ、むしろありがとう。笑ったのは久しぶりだったから、楽しいわ」


 先程まで小さく笑い続け、今も口元を緩めながら楽しそうに言う少女は、とても魅力的に見えて。

 思わず顔をまじまじと見つめてしまった。


「……そ、そんなに見つめないでよ。恥ずかしいわ?」

「えっ……あっ、すまん」


 自分で思っていたよりもガン見してしまっていたみたいだ。彼女は恥ずかしそうに顔を逸しながら言い聞かせるように抗議してきた。


「こんな顔を見るより、身体のほうが見ごたえあるわよ?」


 ほら、と。自分の豊満な胸を腕で寄せ、俺に見せるように身体を寄せてきたエニティ。確かに、それは彼女の細い両腕には収まらず、水風船のように零れ落ちそうでとても見応えが――


「いや、どう考えてもそっちのほうが恥ずかしいだろ!」

「んー、そうかしら。……喜んでくれると思ったんだけどなぁ」


 少し残念そうに呟きながら、組んだ腕を解いていくエニティ。その時に擬音が聞こえてきそうな動きをした二つの山に、思わず目が奪われてしまった。


「……喜んで無いわけではないみたいで良かったわ」


 自分より歳が低く見える少女の身体に思わず釘付けになってしまったことに罪悪感を覚える。

 そんな俺には構わずに嬉しそうな彼女は、俺の手を握って引っ張り始める。


「……えっと、どっか行くのか」

「ええ。こんなところで立ったまま話すのも何だし、ね」


 そう言って変わらず俺を引っ張りながら歩くエニティに、特に文句も言わずについていく。


「ん、ここよ」


 俺を導くように歩くエニティが、足を止める。


「……特に何があるようにも見えないが」


 歩いている間も白い空間が変わらず続いているだけで、どこか別の場所に向かっているようにも思えなかった。そんな中で足を止めた彼女に、思わず言葉を投げかける。


「見ていて。良ければ驚いてくれると嬉しいわ」

「そういうの、先に言わないほうが良くないか?」


 俺の言葉にふふっと笑って、彼女はパンッと手を一度叩いた。


 そして景色は一変した。

 彼女を中心に足元が土になり、頭の上がきれいな青空となって、そして周りには数えきれない木々が生えてゆく。

 白いだけだった空間が、見事に森の中に出来た開けた空間のような場所になってしまった。


「どう? 驚いてくれたかしら?」

「あ、ああ。流石に」


 現実離れした光景に感嘆のようなものを感じながら返した言葉に、彼女は嬉しそうにはにかんだ。


「さ、こっちに来て座って。お話しましょ」


 いつの間にやら出来ていた木製の簡素な椅子に座って、俺に着席を促してくるエニティ。


「お話って、話題は?」


 促されるまま椅子に座る。木製に見えていた椅子はしかし、座ると固くなく、むしろ先程の落下で尻を痛めた自分には優しいやわらかさをもっていた。

 俺の言葉に出さない感動をよそに、彼女は一息おいて、話し始める。


「ここがどこか、と。あなたがこれから行く場所。そして、私があなたを助けるために贈りたいものがあるの」


 そう言ってエニティは少し悲しそうな表情を見せた。

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