小さくて大きな恋物語

身分違いの恋の行方は

1

 この時代、貴賤結婚きせんけっこん、すなわち身分違いの結婚はありえない話だった。

 貴族の場合、平民と結婚しようものなら社交界からの追放などといったペナルティが科せられる。また、女性側が貴族で男性側が平民の場合、男性側が誘拐罪で投獄されるケースもあった。

 このナルフェック王国でもそうだ。





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 ジゼル・カミーユ・ド・タルドは今年17歳になる少女だ。

 ナルフェック王国の王都アーピスから離れた田舎町を治める貴族、タルド男爵家の令嬢である。

 ブロンドのふわふわした長い髪にエメラルドのような緑の目で、見た目は美しく深窓の令嬢らしさがある。しかしジゼルは2人の兄と共に育った為とてもお転婆だった。木に登ったり、馬に乗っては転げ落ち、擦り傷を作るので、両親や世話係からよく叱られていた。そして遂には侍女の目を盗み屋敷から抜け出す事もあったのだ。

 今だってそうだ。黙って屋敷を抜け出したジゼルは大きな木に登り、広がる景色を見ていた。

(海の見える街! 何て綺麗なの!)

 ジゼルはエメラルドの目を輝かせていた。

 少し高台になるこの田舎町からは、近隣の港街の景色がよく見えた。

(それに、あの海の向こうはきっと外国よ! 行ってみたいわ! きっと素敵な所のはずよ!)

 ジゼルははだ行ったことのない国を想像して、うっとりとしていた。

 その時、木の下から声がする。

「おいお前、またそんな所にいたのかよ」

 褐色の髪にアンバーの目の少年が呆れた表情をしていた。

 彼の名はアンリ・サヴィニャック。ジゼルより1つ年上の少年だ。

「あら、アンリさん、お仕事帰りですか?」

「ああ。ジゼル、お前その体勢じゃ落ちるぞ」

「落ちませんよ! 私、木登りには自信があるんです!」

 そう胸を張った矢先。ジゼルは足を滑らせる。

「きゃあっ!」

「ジゼル!」

 結構な高さなので、落ちたらかなり痛いだろう。ジゼルはいずれ来る痛みに備え、目をギュッと瞑った。

 だが、いつまで経っても痛みはこないので、ジゼルは恐る恐る目を開けてみる。

「っ! アンリさん!」

 ジゼルはアンリに横抱きにされていた。いわゆるお姫様抱っこだ。小柄なジゼルは体格のいいアンリにすっぽり収まっていた。

「だから言ったじゃねえか」

 アンリは呆れた顔で、ゆっくりとジゼルを下ろした。

「怪我はねえか?」

 ぶっきらぼうなアンリ。だが頬は少し赤く染まっている。

「はい。アンリさんのお陰でこの通りです。ありがとうございました」

 少し照れつつも。ニッコリ笑うジゼル。

 ジゼルとアンリは互いに惹かれ合っていた。だが、ジゼルは貴族、アンリは平民なので、決して結ばれる事はないだろう。2人共そのことは理解していた。

「そろそろ暗くなるぞ。途中まで送る」

「ありがとうございます」

 アンリの申し出に、ジゼルはふわりと微笑んだ。

「あの木の上からは、隣の港街と海が見えるんです」

「そうだな」

「あの海の向こうの国は、ネンガルド王国でしょうか? それともアシルス帝国でしょうか?」

「どうだろうな? ただ、あの街からは外国からの輸入品が載った船やナルフェックから輸出する品が載った船が出てる」

「やはりそうなのですね!」

 ジゼルは目を輝かせていた。まるでエメラルドがキラキラと輝いているようだ。

 アンリはそんなジゼルを見てフッと笑う。アンバーの目は優しげだ。

「そう言えば、女王陛下のご結婚がもうすぐですね。王都では盛大な式が行われるみたいです。外国の王族の方もいらっしゃるとか」

「そうだろうな。ネンガルドとかアシルスからは来るんじゃねえか? 女王陛下の兄上はネンガルドの王配だし、アシルスの皇帝夫妻は女王陛下の祖父母に当たるからな」

「確かにそうですね」

 ジゼルはクスッと笑った。

「それにしても、この町も結構裕福になったな。少し前まで生活の苦しい奴らが多かったのに」

「そうですね。お仕事に就ける人が増えましたよね。それもこれも、女王陛下のお陰です」

「だな。女王陛下が平民向けの、学費無償の学校を設立設立して識字率も上がったからな」

「貴族と平民の方々の貧富の差も少しずつですが小さくなっていますからね。このまま身分が関係なくなれば……」

 ジゼルは少し俯く。

「んな事言ったって今はどうにもならねえだろ」

 アンリは呆れながらもどこか切なげな表情だ。

「分かってはいます。こうしてアンリさんとお話できるだけでも幸せな事です。ただ、時々どうしようもなく悲しくて……」

 ジゼルは涙を流す。アンリはジゼルを抱きしめた。

「俺もだ、ジゼル」

 結ばれる事は決して有り得ないと分かっている。しかし、時々2人はどうしようもない切なさと悲しさに押し潰されそうになっていた。






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 あれからしばらくして落ち着く事ができ、2人は再び歩いていた。

「ほら、そろそろだ。ここからなら1人でも帰れるな?」

「はい。送ってくださってがとうございます」

 ジゼルはふふっと笑うが、若干の涙の跡が残っている。

「じゃ、気を付けて帰れよな」

 アンリはフッとアンバーの目を細めた。

 ジゼルは屋敷に向かいながらも途中振り返りアンリを見る。アンリもジゼルが帰り着くまで見守っていた。

 身分が違うゆえ、周囲から何を言われるか分からない。だからダルド男爵家の屋敷まで送る訳にはいかないのだ。ジゼルもアンリも、互いが互いを守る為にそうするしかなかった。

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