魔女、借りを返す
メリルが再び目を覚ました時、全てが終わっていた。
というのもメリルが目を覚ましたのは二週間もたった後だったからだ。
王宮の一室だというその部屋は、各国の要人を招く際に使う貴賓室だそうで、品の良い落ち着いた調度で、明るく居心地が良い。
「もう、マリアがこーんなに看病してるのに、お姉さまったらちーっとも目を覚まさないんだから。聖女の力がなくなったのかって疑われちゃったわよ」
メリルが眠り続けていたこの二週間、マリアは、毎日のようにこの部屋に通って治癒をかけ続けてくれたらしい。
そのおかげか二週間眠り続けたと思えないほど体調はよかった。
「ありがと。マリア。私のこと心配してくれたんだって聞いてる。すごく嬉しい」
「ま、まままあね、お姉さまのためだから当然なんだけどね。あの暗殺者にもよく言って聞かせてね! マリアが頑張ったって。ね、きっとだからね」
ロウガにだいぶ絞られたらしい。目が必死だ。
もう、正しい聖女と暗殺者との関係を考えるのはやめた。
メリルは、マリアからこの二週間の王国の様子を聞いた。
今回の騒動の犯人はロドニーと闇ギルドとされ、聖女マリアは、その後の働きもあり利用されただけとしてお咎めはなかった。
王宮の人々にかけられた魅了は、マリアとクローディアの二人の力でほぼ解呪がなされた。王都の住人達に対しては、マリアが今後定期的に民との交流を図る場で、解呪を行っていくということで落ち着いたらしい。
国王陛下と皇后陛下は、ずっと奥宮に閉じ込められていたが、今では公務に戻られている。
王太子は、クローディアとの婚約解消とマリアとの婚約は魔法使いに操られていたためとして、クローディアに正式に謝罪し、婚約を結び直す手続きをとっている最中だ。
第二王子については、解呪した途端に元のクールビューティーに戻ってしまってマリアには目もくれない。
護衛騎士については、マリアに告白をしてきたらしいが、マリアは好みじゃないのよね、とあっさり断ってしまったらしい。
魔塔については、数年前からロドニーを介して闇ギルド「混迷の闇」(今思うと中二病の大分恥ずかしい名前だと思う)に脅迫され、実質支配されてしまっていた。情けない内情を露呈することで大きな罪を免れた。
そして、デュークは辺境騎士団を率いて魔法使いや魔獣を倒すための立役者として、英雄扱いされているそうだ。
(もしかしたら、デュークはクローディア様に特別な想いを抱いていたのかもしれないけど、王族の結婚ってきっとどうにもならないのよね)
少し胸が痛む。
「それよりあの方、ヴァレリウス様! 素敵だったわ。何よりお金があるところが素敵。隣国の公爵家の方で、大陸で一番大きなパーセン商会の会頭をされてる方なんでしょう。あんな方を婚約者にしているなんてお姉さまも隅に置けないわねえ」
「げ、げほっ。こ、婚約者ってち、ちがっ」
メリルは飲んでいた水で思わずむせてしまった。
ヴァレリウスは、そんな嘘をどこまで広めてしまったのだろうと頭が痛くなる。生贄騒動といい本当に迷惑な奴だ。
そこで、部屋の扉をノックする音がした。
「サアヤ殿、デュークだ。入っていいだろうか?」
途端にメリルの心臓がはねた。
落ち着いて話すのは、いつ以来だろう。
面と向かって話すのはさすがに勇気がいる。
「病み上がりのところをすまない、目を覚ましたと聞いて……話をさせてもらえないか」
部屋に入って来たデュークは、黒地に銀の縁取りがある騎士服を着ていた。階級を表す紐飾りや肩章は煌びやかで、グレーの片側マントは、歩くたびに体に添って揺れ、目を引いた。辺境騎士団の礼服なのかもしれない。初めて見るその姿に思わず見惚れてしまう。こうしてみると王子様で遠い世界の人なのだとよくわかった。
「大丈夫ですよー。マリアの治癒で、お姉さまの体調管理はばっちりでーす。でも、疲れは禁物ですので、あまり長くならないようにお願いしますねー。あ、お姉さま、婚約者様からのお手紙預かってますから。渡しておきますね」
「もう、だからっ」
マリアはにやにやとしながら、ヴァレリウスの手紙をサイドテーブルの上に置いて去っていった。
デュークの視線が、ちらりとサイドテーブルの上を通って、再びメリルに戻ってくる。なんとなく緊張してしまい、メリルは視線を下にそらした。
「君には、世話になったな」
「……ああ、魔獣の件ね。マリアに聞いたんだけど、実は、あんまりよく覚えてないのよね」
「君が持っていたのは、まぎれもなく伝説の魔獣デウスの毒針だった。貴重な武器を提供してくれたことに感謝する」
(ああ、そうなってるんだ)
どうもメリルがデウスの毒針を持っていて、それで魔獣テキーラにとどめを刺したらしい。メリルは毒針を持っていた覚えなどなかったから、ヴァレリウスが持って来たのかもしれない。
何だかヴァレリウスと言い争いをした後は興奮してしまったのかあまり覚えていないのだ。ヴァレリウスは損得に厳しい商会の経営者だ。隣国に恩を売れるこんな機会に自分の手柄を譲るような人じゃない。だとすれば、デウスの毒針の出どころを探られたくないのかもしれない。魔女の伝手といえば色々うやむやにできる。このあたりのいきさつは、きっとヴァレリウスの手紙とやらに書いてあるのだろう。先に読んでおけばよかった。
メリルがサイドテーブルの上の手紙を気にしながら、髪の端をつまんでくるくると回していると、デュークが突然騎士服の上着を脱いだ。
「ふえ??」
メリルの視線の先で、手袋を外し、シャツのボタンを外していく。
(なんで脱ぐの? いや、デュークの裸をみるのは、初めてじゃないけど。あの時は治療のための緊急事態だったから! はっ、もしかして前に言ってた、私だけが見られたのは不公平だから自分も見せればいいかっていうのを覚えてて?? いや、あれって冗談でしょ!!)
絶賛混乱中のメリルの目の前で、デュークは、シャツを脱ぎ終えて、上半身をさらした。
引き締まった体躯に、輝くような白い肌。
メリルは、デュークの意図にやっと気づいた。
「よかった……」
「ああ、魔獣の刻印は、全て消えた。俺は、魔獣の生贄という宿命から解放された――すべて君のおかげだ」
「ふ、ふふん、感謝して欲しいわねっ」
ついノリで威張ってしまったがデウスの毒針の出どころについては、さっぱり覚えがない。多少罪悪感があるので、言い直すことにする。
「でも、まあ、テキーラを倒せたのはみんなで協力したからだわ」
「だが、俺は君に礼を言いたい」
デュークがやけに素直で気持ちが悪い。
いつもの不機嫌で不遜な王子様はどこに行ってしまったのだろう。
デュークがこれだとメリルも調子がくるってしまう。
「うん、まあ、そういうなら、感謝は受け取るわ。どういたしまして。でも、おばあちゃんの過去の借りを返しただけだからそんなに気にしなくていいわ。魔女は借りは作らないのよ」
これで、メリルが返さなければならないと思っていたデュークへの借りは全て返し終わった。
メリルは、わずかな間だったけれどメリルに心地よい居場所を与えてくれたデュークと辺境騎士団の皆を守れた。
大切な彼らを守れたのだ。
全て終わったのだ。
デュークは遠い世界の人だ。もしかしたらもう会うことはないかもしれない。
そう思うと、一つだけ、メリルはデュークに聞いておきたいことがあったことを思い出した。
(デュークが私と過ごしたあの時間は、ただ、魅了に従っていただけだったの? それとも……)
そこまで考えて、メリルは頭の中で首を振った。
それを聞いてどうするのだろう?
もし魅了に従っていただけだと言われたらメリルは傷つくだろうし、デュークもきっとプライドが傷つくだろう。
そんなことをわざわざ言葉に出して気まずくなる必要もない。
メリルが自分の疑問に蓋をすることに決めると、衣服を整えたデュークが小さくつぶやいた。
「メリル殿が姿を消した」
老魔女メリルの方だと気づきはっとする。そういえば、ずっと宿にいた設定だった。部屋がもぬけの空できっと心配しただろう。
「あ、おばあちゃんね。山の庵に帰るって言ってたの」
「最後まで見届けると言っていたのに?」
「あ、あの、急なお得意様の依頼が入ったって!」
言い訳がどんどん苦しくなってくる。
魔女メリルはここにいるが、デュークは、サアヤがメリルだとは知らないのだ。知っているのは、ロウガとヴァレリウスだけだが、彼らはメリルの許可なしにそれを言うことはないだろう。
慌てるメリルをじっと見ていたデュークは、それ以上メリルの所在について追及するのはやめたようだった。
「伝えてくれないか? あなたの生贄もよいが、少し待ってくれと、サアヤ殿に、救われた命の恩を返さなければならないからと」
「それはっ、おばあちゃんの借りを私が返しただけで……」
「俺が命を救われたのは……君にだ」
「で、でもそれじゃ、おばあちゃんは借りを返せてないし、私も貸しを返してもらってないから……終わらないじゃない」
「そうなるかもな」
メリルは、デュークが何を考えているのかわからなくてその顔をまじまじと見つめた。
多分、デュークは、生贄が建前だと、とうに気が付いているはずだ。
メリルをみるデュークの金の瞳は、いつものようにからかいを含んだ表情にも見えるが、譲るつもりがない、という意思だけははっきりとわかった。
命を軽んじていたデュークが、生きるための発言をしたのは別に悪いことではない。それに、貸し借りを返すという名目でデュークとまたつながりを持ったままにできることに喜んでいる自分がいることにメリルは気づいた。
(私ってば現金だなあ)
短い時間だったが、彼らの側はとても心地よかったから。
「それから、覚えているか。責任を取ると言った話だが――君にふさわしい責任の取り方がまだ思いつかない。もう少し、考えさせてほしい」
「そ、そそそれは、もういいから! さっき……見たし……」
「あれでは十分堪能できなかっただろう」
「はあっ? あ、いやあれで十分っていうか、いや、違って、そういう意味じゃなくってっ」
その時の状況が思い出されてしまってぼぼっと頭に血が上る。以前は割り切れていたのに、今日は騎士服姿のデュークがかっこよすぎるせいか、うまく制御できない。
デュークは、そんなメリルの姿を見ていつものからかうような意地の悪い笑みを浮かべた。
「君との友情の証として何かふさわしいものを考えておく」
そして、サイドテーブルの上をちらりと見やって部屋を後にした。
「もう、何よ何よ何よ、最後まで人の事からかって!!」
メリルはデュークが去ると、側にあったクッションをばしばしとソファに叩きつけた。
「ゆう、じょうね。そう、そうよね」
何が引っかかっているのかわからないまま、メリルは、叩きつけたクッションを胸に抱え込む。
宝石を割り増しでくれればいいとあの時話がついていたということを、メリルは後になって思い出した。
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