魔女、追手をまく
その日の夜半、メリルは宿をそっと抜け出した。
二階にある部屋の窓からこっそりと風の魔術を使って地面に下りるやり方は前回と同じだ。
辺りの店や民家も大部分が灯りを消しており、周囲は静寂に包まれていた。
メリルは数日前にロウガと待ち合わせに使った酒場に向かっていた。
裏通りにあるその場所はあまり治安がいいとは言えない。
ただでさえ夜半で人の少ない時間だ。メリルはフードをすっぽりかぶると、人気のない細い道に入る際は周りにあやしい人影がないか細心の注意を払った。
(つけられてる?)
三本目の角を折れたあたりで、なんとなく、誰かが付かず離れずの距離にいることに気づいた。
ただの物盗りならばいい。店に入れば普通はあきらめるだろうし、店を出るまで待ち伏せされたとしても、ロウガがどうにかしてくれるだろう。
でも、聖女の手の者だったら?
考えたくないが、何らかのつながりで聖女にデューク達の活動が明らかになっているとする。だとしたら、一番まずいのは、メリルがつけられてアーティファクトを横から奪われることだ。
もう目的地の酒場は近い。メリルは、追手を倒すことにした。
メリルの魔術は、発動に時間がかかる。あらかじめ風で吹き飛ばす陣を手の中へ組んでおく。左手に二つ、右手に三つ。
メリルは、酒場とは別の方向に角を曲がり、そこに身を潜める。
(出会い頭に、気絶させる)
メリルは戦闘の訓練を積んでいるわけではない。
相手を傷つけないで沈黙させるには、不意打ちをするしかない。
後をつけていた人影が角から姿を現す。
メリルは、即座に顎先に向けて左手の風の陣を放った。
けれど、その風の陣は、人影に触れる前にかき消すように消えてしまった。
信じられない現象にメリルは一瞬動きを止める。
その隙に相手がメリルの左手をつかんだ。瞬間、フードの隙間から見えたその人にメリルは目を見開く。
(デューク!)
いつの間にか右手も捕まれ、メリルは両手を壁に押し付けられていた。
「どこへ行く?」
デュークの顔を見るのが怖くなり、思わず目を逸らす。
彼の瞳の中に疑いや不信の色を見つけるのが怖くて思わず目を逸らしてしまった。
すぐにそれが失敗だと気づくが、メリルはデュークの顔をどうしても見ることができない。
仕方なく、彼の首元を見ながら、何でもないことのように笑って見せる。
「デューク? もう、びっくりした。怪しい奴かと思って魔法を叩きこもうとしちゃったじゃない。私は家に帰るところよ。おばあちゃんのところに来てたんだけど、遅くなったから、みんなを起こさないように窓から出入りしたの。はあ――泥棒にでも見えたなら謝るわ」
けれど、デュークは手を離さない。
静かな声で、再び、問う。
「どこへ行く?」
「だから家に帰るんだけど! ちょっと、いいかげん手を放してくれない!?」
「メリル殿の様子がおかしかった。――これは、俺に話していない予言に関係しているのだろう」
息を飲む。しまった、と思った時にはもう遅かった。
「やはりそうか。転生者とは、あるべきを知る者だという。聖女が転生者で魅了のアーティファクトを知る存在だというならば、解呪のアーティファクトの存在も知っているはずだ。それなのに、未だ神殿に安置されている前提で話を進めている。なぜだ?」
「……ちょっと考えすぎじゃない?」
「そう思いたかった。だが、君は行動を起こした。だからこう思った。おそらく、解呪のアーティファクトは、聖女ですらその存在を放置するほど取得が難しい状況なのだと」
「そうだったら、そう言うでしょ。ほんと考えすぎ」
「そう、取得が難しいのなら騎士団に言って、一緒に策を考えるはずだ。しかし、そうしない理由が、一つだけある――予言の中で、俺は、死ぬのだな」
「……っ!」
さっきよりさらに大きな反応を返してしまった。こらえきれなかった。
「隠す理由なんてそれぐらいしかないだろう。それで、君は何をしようとしている? どこへ行こうとしているんだ。こっちを向け、サアヤ!」
デュークはそう叫んだ直後、背後からの攻撃に反応し、剣を抜き放ち、武器を叩き落した。
メリルは自由になるとすぐにデュークから距離を取る。
メリルとデュークの間には、しなやかな身のこなしの暗殺者が片手で短剣を弄びながら割り込んでいた。
「おいおい、なんだよー。俺との約束ほっぽって男と痴話喧嘩かよ」
「ごめん。協力して。動きを封じる。絶対に怪我はさせないで」
「ちっ、めんどくせえ」
メリルが小声で囁くと、ロウガは大声でわずらわしさを口に出す。
「その男は誰だ」
「ああん、お前が知る必要はないんじゃねえの? 夜中に会ってる時点でわかんだろ?」
「サアヤ、一人で動くな。俺に話してくれ!」
「ロウガ!」
メリルは、デュークに向けて、手の中にある風の陣をたたきつける。もちろんデュークの前で霧散するため、デュークでなく、その手前の足元を狙う。
デュークが腕で足元から飛んできた砂や小石を防ぐ間にロウガが距離を詰めて、デュークの背後に回り込む。
ロウガのすぐ後ろにいたメリルは逆に飛び込むようにデュークに一歩を踏み出した。デュークがメリルに攻撃できずためらう。
それが一瞬の隙になった。
ロウガが、デュークの背後から首を打ち、デュークの意識を刈り取る。
「サア……ヤ」
地面に倒れ込むデュークに慌てて駆け寄りメリルはその体を支えようとした。ずるずると壁に押し付けるようにデュークの重い体をどうにか路地の脇に座らせると、隠しから眠り香を取り出し、デュークにしっかりと嗅がせる。ほどなくデュークの呼吸が寝息に変わる。メリルは、デュークの周りに、宝石を何ヵ所かおいて、簡易結界を張った。
これで、デュークは朝まで目を覚まさないし、誰にも気づかれない。
ほっとして立ち上がると、面白くなさそうに壁にもたれて腕組みをしているロウガと目が合った。
「ありがとう、ロウガ。助かったわ」
「何だよ、こいつを助けるためかよ。面白くねえ」
メリルは、ロウガのぼやきに曖昧に微笑む。ロウガが再び面白くねえ、とぼやくのを聞きながら、話を変えた。
「時間を取ってごめん。出発しようか」
「ああ」
メリルは、路地に残したデュークを一瞬だけ振り返った。
きっと、全てが終わって再会した時、前のような関係に戻るのは難しいだろう。
でも、後悔はなかった。
メリルとロウガは、デュークをその場に残し、神殿に向かった。
王国の未来を救う、解呪のアーティファクトを手に入れるために。
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