魔女、暗殺者と手を組む
メリルはその日の深夜、王都の下町にある繁華街から、数本入った路地にある寂れた酒場へと足を運んだ。
頭からすっぽりフードを被り、若い女だと悟られないように注意を払う。これから行うことは、全て魔女の掟に縛られないサアヤがすべきことだから、この姿でないといけない。
すでに時刻は翌日になり人も少ない。
その酒場の一角、階段の影の席にメリルは座った。
そこは、ある人物と連絡をとりたい場合に使われる特別な席だった。
「よお、待たせたな」
しばらく待つと、背後から陽気な声と共に肩を叩かれ、メリルはビクリと体を震わせた。
(全く気付かなかった)
メリルに声をかけた人物は、乱暴な動作でメリルの向かいに足を投げ出すように座ると、背後の店主に向かって片手を上げた。
「オヤジ、いつもの」
メリルは、目の前の男をじっと見つめた。
茶色の髪に、金の瞳。面白いものを見つけたとでもいうような目線は、人懐っこそうに見えるが、騙されてはならない。彼が目的の人物だとしたら、その本性は冷徹そのものだ。彼は今、メリルを面白い「人」ではなく、面白い「物」として見ているのだ。
整った顔立ちなのに、その表情と振舞で粗野な印象を周囲に与えることに成功している。大きすぎないしなやかな体躯は、晒した肩の筋肉だけをみても鍛えあげられたものだとすぐにわかった。
メリルに武術の心得はないが、魔力の流れを読むことはできる。
武の達人は、魔力がなかったとしても体の中の力の流れを整えるのが上手いのだ。
この男が本当に目的の人物かどうか、メリルは目を眇めて見極めようとした。
「で、合格か? サアヤ」
突然名前を呼ばれて、メリルの集中が途切れる。
メリルは、名乗っていない。
男は無造作に手を伸ばすと、メリルの頭を目深にかぶったフードごと引き寄せた。
小さなテーブルの上で、引き寄せられたメリルの新緑の瞳と、のぞき込む男の金の瞳が至近距離から交錯した。
メリルは、逸らしたくなるのをぐっとこらえて男の目を睨みつけた。
男は、にっと下品な表情を作って八重歯を光らせながらメリルを品定めする。
「怯えるなよ。何も取って食おうってわけじゃねえ。へえ、結構可愛いじゃん。これがあのばばあになるとか信じらんねえ」
(私と老婆のメリルが同一人物なのも知られてる……)
これは本物だろう。
メリルは、ぱしっと男の手を頭から払いのけると、テーブルの上でゆっくりと手を組んであごをのせ表情を緩める。なるだけ余裕をもってみえるように微笑んだ。
「あんたと手を組みたいのよ――目的は同じでしょ?」
「ほう? 目的ねえ。それがほんとなら別にいいぜえ。もちろん条件次第だがなあ」
「あら、条件をつけるのはこっちじゃない? こっちが手を組んであげるのよ?」
「へえ、これまたずいぶん強気じゃねえか」
男は、面白そうにメリルを見て目を細めると、店主が持ってきた酒を受け取り、一息にあおった。
この男がヒロインに惹かれるのは、外見に似合わぬ芯の強さと優しさからだ。だけど、この男はとんでもないヤンデレなのだ。好かれると大変なことになるから、絶対に優しくしてはいけない。
先ほどからメリルは、この男が興味を引くように、けれど好かれすぎないように、絶妙なバランスの綱渡りをしていた。この男にとって、「物」と「人」の中間ぐらいの存在になれればいい。
「もう知ってるんでしょ。あなたの目的を達成するためには、あのアーティファクトが必要だってこと」
男は、にやりと笑う。メリルとサアヤが同一人物だと知っているのなら、宿で話した予言の内容も聞かれていたと考えるべきだ。
でも、メリルの『嘘』まではばれていない。
「騎士団の連中が動く前にあのアーティファクトを手に入れたいの。アーティファクト入手に協力してくれたら、私があなたを目的――聖女のいる場所まで手引きしてあげる」
「お前にしたら、いい取引だよなあ。でも、お前が裏切らない保証は?」
「ないわ」
「はっ。調子にのりすぎじゃあねえか。言っとくが俺への裏切りの対価は命だ。覚えておけ」
「問題ないわ」
「一つ、聞いておく。なんで、わざわざお前が先に一人でそれを取りに行く?」
「わかるでしょ? アーティファクトのある場所には、たいていお宝がたくさんあるのよ。彼らより先に行ってこっそり入手しておきたいの。そのあと、アーティファクトを持ったままあなたの目的につきあってあげるわ。五日後、騎士団の連中と一緒にアーティファクトを取りに行くときには、一緒に行ってアーティファクトをその場で手に入れた振りをするわ」
「あーあ、つまんねえ理由。――その宝、半分よこせ」
「三対七」
「四対六」
「まあそれでいいわ。その代わりしっかり働いて――契約成立ね」
「ああ」
メリルは、手を差し出す。契約の魔法陣をお互いに手に浮かび上がらせ、握手することによってなされる簡易契約だ。さほど強い契約ではないが、破ればギルドと次の契約者へ違反が知れる。信用問題で仕事が得られなくなる。
男の視線は、さっきの品定めするような目つきから、どうでもいい「物」を見るような目つきへと変わっている。メリルへの興味を失ってくれたらしい。
無事、男の興味を引くことなく契約を結ばせることができそうで内心ほっとする。
けれど、男はメリルに手を差し出しかけ、ポツリとつぶやいた。
「――お前、さっきから何だかいい匂いがするな」
「は?」
男は、メリルの差し出した腕をつかむと体を乗り出してくる。
男の顔が再び近づいてきて、メリルは一瞬逃げようとして、すんでのところで踏みとどまった。
(逃げたら舐められる)
そのまま近づいてきた男の顔が首筋に埋められ、メリルは固まった。
「ああー。やっぱ懐かしい匂いだ」
首筋に生ぬるい感触がして、体にぞわりと悪寒が走る。
(――って、ほんとに舐める!? このばか馬鹿! 変態!)
「へえ、逃げないんだ。つまんねえ」
「気が済んだ?」
頭の中では悪態をつきながら、メリルはひっぱたいてやりたい衝動をどうにか抑え込んだ。この男の興味を引いてはならないのだ。そして我慢したかいあって、それは無事成功したようだ。
しかし、ほっとしたのも束の間。
「んー。――決めた。お前が裏切ったペナルティ。裏切ったらお前をもらうことにする」
「はあ!?」
男は、顔を上げてにやりと笑うとそのままメリルの手を握り、契約の魔法陣を発動させる。
呆然としているうちに、契約がなされ、手の平の魔法陣が輝きを失う。
『裏切ったらお前をもらう』
予言の中で彼がそのセリフを囁いた光景がよみがえってくる。
ヒロインが、血を流し威嚇する彼をなだめ、私は裏切らないと説得するシーン。そして。
『ええ、約束する。私は裏切らないわ』
「あんた……!」
「ああ? 粋がってるの匂いでバレバレなんだよ。まあいいじゃねえか。お前が裏切らなければいいだけだろう? こっちは裏切らないぜ」
(ヒロインのセリフ、逆に、言われた!? フラグ、フラグなのこれ!?)
これでフラグが立ってしまったのかどうか、もうよくわからない。
しかし、この男を味方につけて契約を結ぶというミッションはクリアした。
高望みしすぎても仕方ない。
メリルは、冷静さを取り戻すために何回か呼吸をし、男を睨みつけた。
「あなたのこと、なんて呼べばいい?」
「ロウガ」
「分かったわ。
メリルは、六人目の攻略対象の名を呼び、最後に爆弾を投下した。
「てめえっふざけんな! 隠してやがったな!」
「この世界は知らない方が悪いんでしょう? 今さら契約破棄?」
「……しねえよ!」
「期待してるわ、ロウガ」
「ちっ」
メリルは、聖女を殺す使命を負った暗殺者の舌打ちを背に、その酒場を後にした。
もう後戻りはできない。
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