魔女、お約束を体感する
宿に戻ったメリルを待っていたのは、件の公爵令嬢の行方が分からなくなったという知らせだった。
騎士団の面々は各地に情報収集に行き、辺境騎士団の拠点となっている宿はにわかに人が減る。
慣れない王都で今メリルにできることは、体調を整えて令嬢の行方がわかったらすぐに会いに行けるよう準備を整えることぐらいだ。
部屋で準備をしていると、宿の主人からメリル宛ての手紙を受け取った。
メリルがここにいることを知るものなど誰もいない筈なのにと不審に思って差出人を見ると、むかつく名前が見えた。
「あの腹黒ドラ息子!」
魔女の庵を出る際にメリルは、今回の旅行に急遽行けなくなったことへの「公爵家」へのお詫びと、「ドラ息子」への生贄の件への苦情と脅しと貸しの上乗せを要求した手紙を出しておいたのだ。大方その返事だろう。
ヴァレリウス=ファン=パーセン。
隣国であるカルガハット共和国で、大陸でも最大級の商団を経営しているパーセン公爵家本家の次男だ。
ひねくれた考え方ばかりするむかつく輩で、メリルとは徹底的にそりが合わない。公爵家当主はとてもいい方で、今回の豪遊旅行もそのご当主様からの招待なのだ。仲介人がこの男でなければと何度思ったことか。
今回もきっと、腹の立つ内容に違いないとため息をつきながら、手紙の封を開ける。
手紙はいつも通り、魔術を使った動画と音声の手紙だった。
開くと中空に送り主の姿が映し出される。
等身大のその映像に、メリルは、思わず口の中でげっと呟いてしまった。ヴァレリウスの顔など見てもむかつくだけのメリルにとっては、もはや嫌がらせだ。
『魔女メリル、早速だが君に閣下からの伝言を伝える。閣下は君の置かれている状況に理解を示されて、日程の延期を了承された』
ヴァレリウスの冷たい嫌味な口調は相変らずだ。
見下す目線にいらっとして、なんでこの世界の動画付きの手紙には、画像オフのスイッチがないんだろうと本気で考える。
『しかしメリル、君は肝に銘じておくべきだ。――先代の魔女メリルと当家が特別な関係にあることは君も知っての通りだが、君自身はそうではない。今回の配慮の理由は……分かっているだろう? 君は、公爵家との今後の関係を、今一度きちんと考え直すべきではないかな』
ヴァレリウスには、メリルが先代と公爵家との特別な関係を利用して公爵家に取り入っているように見えているのだろう。公爵家当主がメリルに甘いのを腹に据えかねているのだ。
「わかってるわよっ。私だっていつまでも公爵様に甘えるつもりはないし、今後の身の振り方は考えてるわ」
でも、今回の豪遊旅行は、メリルに対してのお礼なのだ。多少贅沢すぎるかもしれないが、そのぐらい甘えさせてもらってもいいのではないだろうか。――いや、大分贅沢すぎるかもしれないが……。
『それに、君の都合に合わせて計画を練り直す僕の身にもなってほしいね。全く、また同じ手配を繰り返すのに、どれだけの手間がかかるのか。君も知っての通り、僕は多忙だ。しかし、閣下直々の命令だから断るわけにもいかない。これは君の言うところの、明らかな『借り』ではないのかな? 君がこの国に来た時には、感謝の気持ちをぜひ行動で示してほしいものだね』
「ううっ、わかってるってばっ。借りは、もちろん返すわよっ、返せばいいんでしょっ……ちょっと待って! そんなこというならあんたのしでかした生贄の件はどう責任取ってくれるのよっ」
一瞬丸め込まれそうになってしまう。危なかった。
あの無駄に金をかけた大きな動画つきの手紙は、威圧感を増して言う事を聞かせようという魂胆なのだとメリルはやっと気づく。
『君は生贄の件についてきっと思うところがあるんだろうね。でも、勘違いしていないかな? 君はむしろ僕に感謝すべきだろう? 君がいつも通りに仕事を受けていたら、忙しくて旅行なんて無理だったはずだ。これは計画通りの日程で君が旅行に来れるようにするための僕の配慮だよ』
そうなのか? 確かに今回はおもしろいぐらいきれいに仕事がはけた。
「……はっ、違うよね!? ただの営業妨害だから!! また言いくるめようとしたわね! だからあんたは油断ならないのよっ」
『そもそも、仕事が減っても我が家の後ろ盾があれば困らないはずだ。重ねて言うが、これを機に、僕たちの関係も考え直すべき時だと思っている。この話は君がこちらへ来た時に改めてしよう』
ちなみに、動画は記録映像なので、もちろん会話をしているわけではない。それなのになぜか会話になってしまう理不尽さ。手の平で踊らされているような気になって、それも余計むかつくのだ。
『それより本題だ。ルフト王国の聖女の件は、こちらにも情報が入ってきている。閣下もとても心配しているんだ。こちらでも外交面から対応をとるべく動いている最中だが、すぐには難しい。君は、誓文で縛られた予言の魔術以外は絶対に手を出さないように。特に、王宮へは決して近づくな。――君はいつも減らず口ばかり叩いているのに、実はおせっかいだし頼まれると断れない。いい加減、自分の考え方が甘いことを自覚すべきだ。それに、不注意な面も自覚するんだ。以前のように不注意で本当の姿を知られてみろ。僕だからよかったものの、周りの男たちがどんな反応をするか。君の本当の姿は……もう少し過去の行いを振り返って……』
「ああ、もう、うるさーいっ」
メリルは、手紙をテーブルにたたきつけると、肩で息をした。
中空の映像がぷつりと途切れる。
「ネチネチ性格悪いのよね! 嫌味なしにまともなこと言えないのかしら! だいたい、私が何年生きてると思ってるのよ。何様!? 仕事のやり方まで指図しないでよね! ああむかつく」
王都へ行くとだけ書いたのに、メリルの居場所を突き止めて手紙まで送ってくる辺りはさすがだけれど、その優秀さを嫌味をいうスキルに使わないで欲しい。
ちなみにメリルが顔のいい男が信じられないのは、こいつのせいである。
とりあえず、この男に関しては何をとってもむかつくので、もう考えるのをやめることにした。
メリルは、大きく息を吐くと気分を変えるためにお風呂に入ることにした。
魔女のローブをベッドに放り投げる。
頭を軽く振ると、束ねていた紐がほどけ、零れ落ちる白髪が見る間にふわふわの亜麻色の髪に変わる。
組んだ両手を天井に向けて体をぐんと伸ばすと、年老いたからだが徐々に若い体へと作り変えられていくのがわかる。ぴんと伸びきった体に隅々まで力がいきわたるようで、久しぶりに体中がすがすがしい。
「あー、久しぶり」
メリルは、久しぶりに姿変えの魔法を解除して、十九歳の体に戻っていた。がらがらのだみ声も、年頃の娘らしい鈴を鳴らすような澄んだ高い声に変っていく。
メリルは、ローブの下に来ていたワンピースの下着一枚になると、バスルームに向かった。久しぶりにお湯をはった風呂に入れるのがうれしくてちょっとわくわくしていた。魔女の庵にはお風呂なんてなかった。宿の部屋にお風呂が付いているのを見た時の感動と言ったら言い表せない。
聖女対策で色々とやらなければならないことがあるのは確かなのだが、心に潤いは必要だ。これぐらいのご褒美があってもいいだろう。
「うーっ、前世以来の久しぶりのお風呂! いやぁ、これだけでも、ここに来た甲斐があったわ」
メリルは、バスルームでゆったりと湯船につかると、頭までお湯につかってぶくぶくと息を吐きだす。
あんなに長い時間老婆の姿でいたことは、初めてだった。メリルの生まれ持った魔力の器は結構な量だったが、それでも、姿変えの魔術は少なくない量の魔力を消費する。湯船で体を伸ばすと、リラックスした体が、魔力を回復させようとして、睡魔が襲ってくる。
さすがに今は眠るわけには行かない。
「いけないいけない。そろそろ出ないと湯あたりしちゃう」
メリルはふんふんと鼻歌を歌いながら立ち上がり、お風呂のそばの椅子に掛けてあったタオルをとって、体を拭こうとした。
その時、部屋の入り口からノックの音がする。
「メリル殿。状況が変わった。急いで話がしたい」
「はっ……!!」
デュークだ。返事をしようとしてメリルは慌てて口を閉ざす。
今のメリルは、老婆の姿ではない。
声が違うのだ。
今はまずい。
そう思って慌てて口を手で押さえた拍子に側にあった水差しの瓶をひっかけて落としてしまった。ガチャンとガラスが割れる音が大きく響く。
(ああーーっ、何やってるの私!?)
「メリル殿!」
(こんなんじゃまたあいつに嫌味言われる……はっ、手紙! あれ見られたらまずいんじゃっ)
手紙には、メリルの不注意をなじるような内容があった。姿変えの魔術をにおわせるようなことも。ヴァレリウスのいう不注意とは、まあ、そういうことである。あの男には魔女メリルの正体を知られてしまっているのだ。
メリルはよく見えやすい場所に放置してしまった手紙を思い出して、慌てて風呂から上がる。
けれど足元に飛び散っているガラスを慌ててよけると、そこには転ぶ以外の選択肢が残されていなかった……。
再び、思った以上に大きな音が部屋に響いた。遅れて転んだ足や腕にひりひりとした痛みが走る。ガラスはうまく避けられたけれど、もう、最悪である。
(もうやだあ……)
「入るぞ!」
(ええ!? ちょ、ちょっと待って!)
ガンっと大きな音がして、開け放たれた扉からデュークが駆け込んでくる。彼は即座に転んだメリルの前にやってきた。
扉からの風で、テーブルの上の手紙がひらひらと部屋を舞い、メリルとデュークの間へ落ちてくる。
慌てて手を伸ばすメリルより先に、デュークがそれをつかみ取った。
「ああっちょっ」
取り返そうと手を伸ばすが、目の前に光る剣先に、押し留められる。
突然剣を向けられた恐怖に、メリルの体は、足先まですっと冷えた。
「お前は、誰だ」
(はっ、まずいまずいまずい! 手紙よりこっちの方がまずいじゃない!)
今のメリルは、十九歳の体に戻っているのだ。
デュークがいぶかしげに目を細める。
「メリル殿をどこへやった」
(ここにいるんだけどっ。って、違う! どうするどうするどうする)
半分パニック状態に陥っていたメリルはとっさにある方法を思いついて、デュークから死角にある方の指で、祈りながら小さく魔法陣を描いた。
「ええっと……」
『あたしはここだよ。それより、大きな音がしたけど、サアヤは大丈夫かい?』
次の瞬間、お風呂場から、「メリル」のだみ声が響く。
メリルは、咄嗟に風魔法を使って偽物のメリルの声を流したのだ。
サアヤは、魔女になる前のメリルの本当の名だ。
「お、おばあちゃん、私は大丈夫。少し躓いて、水差しを落としちゃっただけなの」
『そうかい、気をつけな。デューク、その子は王都に住んどるあたしの孫娘のサアヤだよ。あたしの手伝いをさせようとして呼んだんだ。失礼なことをするんじゃないよ』
デュークは、それを聞くと、息をついて抜いた剣を鞘に収めた。
お互いの間にあった張り詰めた空気がやわらぎ、メリルはやっと体から力を抜くことができた。
すでにメリルの髪から落ちる水滴も、床に水たまりを作りつつある。髪も拭けない状態でバスルームから出てきてしまったのだ。
メリルが再び顔をあげると、デュークと目が合った。
不思議なことにデュークの顔がどんどん赤みを増してくる。
デュークははじかれたようにそのまま後ろに向き直ると、首をかしげるメリルの頭に、後ろ手に自分のマントをばさりと投げかけた。
「その、すまなかった。メリル殿に何かあったのかと気が焦ってしまった。恋文も、取り上げるような真似をしてしまい申し訳ない」
「こいぶみ……って、え……」
デュークはヴァレリウスからの手紙をテーブルの上に置く。
そうだった。平民の男女がお金をかけて映写の手紙をやりとりする用途と言えば、恋文以外にはなかった。
メリルは一瞬遠い目をする。ひどい誤解をされているような気がする。
しかし、今この状況で多くを望むべきではない。姿変え魔術に関わる部分までは見られていないようなのでよしとしよう。
つっこんで藪蛇になりたくはない。背に腹は変えられない。
「その、頼みがあるのだが――何か着てくれないか」
「はい?」
そして、今の自分の状態に思い当たる。――やっと。
「ふえ? ――っ、っ、ひっ、や、ちょ、出て行ってー!!」
メリルは、その日多分、ラブコメのお約束を回収した。
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