37.テッペイなら

 コトが終わり、テッペイが離れたのを確認して、ルリカは着崩れた服を直した。テッペイもまた、ジーンズを履き直している。


「……邪魔しないでよね、テッペイ。私は……結婚、したいんだから……っ」


 それだけ言って、急いで婚活の場に戻る。

 橋田が「お腹大丈夫?」と心配してくれて、ルリカは愛想笑いで応えた。


 先ほどテッペイを見てきゃーきゃー言っていた女子たちは、「さっきの人、馴れ馴れしすぎだよね」「発言がセクハラ!」とプリプリ怒っている。

 一瞬でテッペイの評判が地の底まで落ちていることにルリカは苦笑し、刺される心配はないなとホッとしたのだった。



 ***



 それからルリカは、結婚相談所を何度か利用した。

 けれども、どうにもピンとくる人がいない。

 相談員に言われて何人かに個別で会ってみたりもしたが、ルリカの収入が目当てだったり、逆に男より稼いでいるのを嫌がる人もいた。

 オタクや腐女子だとバレると引いてしまったり、漫画で稼いでいると楽でいいねと言われたり、高卒であることを遠まわしに蔑んでくる人もいる。

 ルリカの化粧やファッションについて説教してくる人もいたし、本当に人間色々だ。


 テッペイとの関係は相変わらずだった。

 毎晩テッペイがルリカの部屋に現れて、性欲を発散させてから戻っていく。

 最近、特に感じさせられているような気がして、この日もコトが終わるとルリカは熱い息を吐いた。


「あー、もう……最近、気持ち良すぎて……」

「やっぱ、女も生だと余計に感じんだなー」

「……はぁ?!」


 生、という言葉にガバリと飛び上がる。顔の血の気がザーッと引いていく。


「うそ……なんで、つけてないの……っ」

「なくなったから」

「いつから!!」

「瀬川原ん時から」

「二週間も前じゃないの!!」


 二週間も前から、避妊していなかった。

 大量に買っていたから、安心しきっていたのだ。避妊具はテッペイが持っていて、ルリカは残数を把握していなかったのもある。


「妊娠してたら、どうしてくれるの……っ」

「別にいーだろ」

「よくないよ!! バカなの!!」


 ルリカが頭を抱えて「どうしよう……」と涙声を出すと、テッペイは軽く言った。


「妊娠率って高くねーんだろ。大丈夫だって、気にすんなよ」

「も、信じられない……サイッテー……」

「また生でやろうぜ。気持ち良かっただろ?」

「コンドーム、買ってくるから……っ本当にそれだけはやめて、お願い!」

「んだよー、一回やったら何回でもおんなじだろー」


 テッペイはぶつぶつ言いながら出ていったが、ルリカは頭が真っ白になって眠れない。

 もし、妊娠していたらどうすればいいのか。

 もちろん、残りの避妊具の数を確認していなかったルリカにも非がある。が、この仕打ちは酷過ぎではないだろうか。

 今さら緊急避妊薬など処方してもらっても遅いだろう。ルリカはとにかく、妊娠していないことを祈るしかなかった。


 妊娠しているかどうか分かるまで、婚活は中断しようと思っていた矢先のこと。

 携帯番号を交換していた橋田から、連絡が入った。

 橋田とは、バーベキューの時以外にも一度会ったことがある。お互いにそんなに悪い感情を持っているわけじゃなかったので、普通に電話を取って応えた。

 その橋田にまた会ってほしいと言われて一度は断ったが、どうしてもと言われて結局会うことになったのだった。


 翌日の夕方に待ち合わせ場所に向かうと、橋田はすでにルリカを待っている。急いで駆け寄ると、橋田は優しく、そして少し申し訳なさそうに笑った。


「急なお誘いすみません」

「いえ、大丈夫です」


 一度断っておいて大丈夫とはおかしな返答だが、橋田は気にしていないようだ。


「お忙しいと思いますので、単刀直入に言います。結婚を前提に、僕とお付き合いしてください」

「え? 私とですか?」

「はい、ぜひ」


 唐突の言葉にびっくりしたが、全然ドキドキしない。

 心の中で『あらら〜』と呟いて、どうしようかと悩んだ。

 今は妊娠しているかどうかわからないので、返事をできるような状況ではない。しかし妊娠していないなら、手放してしまうのは惜しい気もする。


「もちろん、まだお互いを知らないことが多いので、色々と突っ込んだ話ができればいいなと思っています。もし結婚したらこうしたいとか、どんな生活がいいとか、意見を交換するのはどうですか?」

「そうですね、話すだけなら」


 橋田の提案に頷いてみせると、彼は嬉しそうに笑った。


「じゃあ僕から。結婚したら、ルリカさんには料理を作ってもらいたいです。もちろん僕もできる時はするし、できない日は仕方ないけど、なるべく作ってもらいたいなあ」


 これを聞いたルリカは、内心『うげっ』と思った。料理は作れないわけではないが、今は半分以上出来合いのものを買って食べている。

 テッペイもコンビニか冷凍ものばかりで、お互いに買ってきたものをシェアしたり、ルリカが作ったものを摘んだりしているだけだ。そのスタイルが楽なので、料理を強要されるとつらい。


「じゃあ、次は私ですね。そうだなぁ……私は一人の時間がほしいですね。漫画を描いたり読んだり、ゲームをしたりするのが好きなので」

「ああ、趣味に漫画とゲームってありましたね。でもオタクってほどじゃないんですよね?」

「いえ、立派なオタクだと思いますよ。部屋にBL本があっても引かない人がいいです。私、腐女子なんで」

「ふ、ふぅん」


 色々と突っ込んで話すのが前提だったので、ルリカはちゃんと伝えた。

 結婚するならバレてしまうことだ。早目に知ってもらっておいた方がいい。


「えーと、僕の番だね。今は鳥白市にいるけど、出身は山中市なんだ。将来的には実家に帰って、農業を継ぎたいと思ってる」


 またもルリカにとって『うげっ』案件である。ようやく稼げるようになって都会でも暮らしていけるようになったというのに、冗談じゃない。

 慌ててルリカは次の意見を口にする。


「私は漫画エッセイを描いて生計を立てているので、結婚後もこれを続けていきたいと思っています」

「漫画エッセイ?」

「はい。私を主人公にしたお話と言えばわかりますか?」

「それって……僕も出るってこと?」

「そうですね、結婚すれば出さざるを得ませんから。どんな風に描かれても平気な人がいいですね」


 ルリカがそういうと、橋田は明らかに嫌そうな顔をした。

 まぁ普通、家庭内や男女のアレコレを描かれるのは嫌だろう。まったく気にしないテッペイの方がおかしいのだ。


「僕は、実家に帰った時に農業の手伝いをしてくれると嬉しい。漫画を書くのはいいけど、仕事としてではなく、趣味の範囲内でお願いしたいよ」


 結婚すると、農業ベースで漫画は趣味。そんなこと、ルリカは望んでいなかった。ルリカは漫画だけを描いていたいのだから。


「私、漫画はやめません。売れなくなったとしても、この仕事が好きなんで」

「やるなとは言ってないよ。農業を手伝ってほしいってだけで」

「すみません……多分、ご期待には添えません。橋田さんには私なんかより、もっと似合う方がいらっしゃると思います」


 ペコリと頭を下げると、橋田は悲しそうに、でも納得したように笑った。


「農業の話を出すと、みんなそう言うんだよ」

「でも、そんな人ばかりじゃないと思います! 今はスローライフが流行りですし! 絶対に橋田さんに合う女性がいると思います!」

「来栖さんに当てはまればよかったのになぁ」

「私は……す、すみません」


 もう一度謝ると、「気にしないで」と橋田は笑った。

 そしてお互いの道は交わらないであろうことを確認して、橋田とは別れた。


 橋田は、いい人だったと思う。

 言っていることもまともだったし、誠実さが伝わってきた。お互いに印象も悪くなかったはずだ。

 おそらく、橋田が料理に関して折れてくれたり、鳥白で一生サラリーマンをするつもりだったり、漫画を描くことを認めてくれたならば、ルリカは真剣に彼との将来を考えただろう。


「婚活って、難しいんだなぁ……」


 結婚というのは、本当に難しい。

 二人の見据える先が真逆だと、どれだけ相性が良くても結婚まで辿り着けないのだから。

 そう思いながら、ルリカはテッペイを思い浮かべる。



 テッペイなら。


 ルリカがオタクでも腐女子でも気にしないでいてくれる。



 テッペイなら。


 ルリカの学歴の低さをバカにしたりしない。



 テッペイなら。


 ルリカの高収入を喜びこそすれ、夫より高い収入に怒ることはない。



 テッペイなら。


 漫画を描いていると、すげーと、上手いと、褒めて喜んでくれる。



 テッペイなら。


 ルリカが化粧もせずだらしないパジャマ姿でいても怒らない。



 テッペイなら。


 一緒にゲームで遊んでくれる。



 テッペイなら。


 なにを漫画にしても怒らない。



 テッペイなら。


 いつも楽しい所に連れていってくれる。



 テッペイなら、テッペイと一緒なら、きっと一生ネタには困らない。



 テッペイなら。


 テッペイなら。


 テッペイなら。



「なんで、結婚願望ないのよ……ばかっ」


 ルリカは一人、グシっと涙を拭った。

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