16.シオちゃん
なんだかんだとあったが、無事にお寿司も届いてお昼ご飯となった。
じいさんとテッペイは特殊だが、他の家族は常識人のようだ。少し卑屈な感じはするが、じいさんとテッペイのせいだろうから仕方ない。
「鉄平、理香ちゃんとは、例のマンションで一緒に暮らしてるのよね?」
食事の最中、母親のいずみがテッペイにそう話しかけている。
「ったり前だろ。引っ越したばっかで他のとこなんか行けねーっつの」
「シオちゃんは元気なの?」
「知らね、最近会ってないし。元気なんじゃねーの?」
シオちゃん、という初めて聞く名前に、ルリカは耳をウサギのようにピクリと動かした。
「あの子はかわいくていい子だったわよねぇ〜。お母さん、あんな子にお嫁に来てほしかったわー」
「ちょ、ちょっと母さん」
兄の仁が母親を肘でつついている。それに気付いたいずみだったが、ルリカに対しての説明がないことを言われたと思ったのか、勝手にベラベラと話し始めた。
「鉄平からシオちゃんの話は聞いているわよね? 理香ちゃん」
「あ、いえ……初めて耳にする名前です」
「あら、そうなの? シオちゃんはねー、鉄平が大学四年の時にできた、彼女だったのよーう。この子がまた、ふわふわしててすっごくかわいい子でねー!」
「そうなんですか」
顔はなんとか取り繕ったが、上手く笑えているかの自信はない。
テッペイには過去に彼女がいたという話を聞いてはいるが、詳しいことはまったく知らないし、知りたいとも思っていなかった。
「一番長く続いた彼女じゃないかしら? って言ってもこの子、今までたった二人しか彼女できてないのよねー」
「うっせーっての」
「うっせーじゃないでしょ! お母さん、あんたとシオちゃんが結婚するの、今か今かと待ってたのに……」
そんな話を聞いただけで、胸も脳もグルグルと回って気分が悪くなってきた。この話の続きを知りたくもあり、怖くもある。
「シオちゃんを妊娠させちゃったとき、結婚すればよかったのよ! どうして結婚しなかったのッ」
「放っとけって! 俺とあいつは、あれでよかったんだからよ」
その後もテッペイといずみはギャーギャー言い合っていたが、ちっとも頭に入ってこなかった。
テッペイが、シオちゃんとやらを、妊娠させた。
その事実だけが頭の中を支配する。
妊娠させて、どうなったのだろうか。
結婚していない、ということは、堕したのだろうか。
それともテッペイと別れて、そのシオちゃんは一人で子育てをしているのだろうか。
ドクドクと、心臓が変な場所で音を出しているようだ。目の前が重く霞んでくる。
「だ、大丈夫? 理香ちゃん……ごめんね、うちの母親、デリカシーが足らなくて……」
兄の仁が、ルリカを気遣ってそう話しかけてくれた。
テッペイのデリカシーのなさは、どうやらこの母親譲りだったらしい。
「なにがですか? 全然、なんともないですよ?」
どうにかこうにか、笑顔を見せて答えた。
ベッドがあったら、倒れ込みたい気分だったが。
美味しいお寿司は、そこからまったく味がしなくなってしまった。
ご飯を食べ終えると帰るのかと思いきや、テッペイがどこからか、なにかの鍵を持ち出してくるくると回している。
「どうしたの、テッペイ。それなんの鍵?」
「あ、鉄平! それ俺のバイク!」
「貸してくれよ、兄貴。メットも予備あっただろ?」
ニヤニヤと笑うテッペイとは対称に、仁はガクッと肩を落としている。大事にしていそうなバイクだったし、人には貸したくないのかもしれない。
「お前、ちゃんとガソリン満タンにして返せよ……」
「わかってるって!」
テッペイは母親にお金をせびり、五万円を手にして財布に入れている。ガソリン代も、そこから出るに違いない。
奥の部屋に入って行ったかと思うと、仁のお古だという黒と赤のバイクスーツに身を包んで戻ってきた。それがまた、悔しいくらいに似合っていてカッコいい。
「テッペイ、大型バイク、運転できるの?」
「おう。二十二の時、免許取りにいった。親の金で」
「ほんっとサイテーだよね?! あ、いえ、つい……」
人の息子をサイテー呼ばわりしてしまい、慌てて口元を押さえるも、みんなは「いいんですいいんです」と苦笑いしているだけだ。
仁がヘルメットを渡してくれて、テッペイとルリカは家の外に出た。
テッペイがバイクのエンジンをかけると、クアァァァアンと大きな音が鳴る。
「乗るの、めっちゃくちゃ怖いんだけど?!」
「バッセンとおんなじだって。やりゃー楽しいんだよ。ほら、乗れ」
「ほ、本当に大丈夫なの……事故んないでよね……」
ルリカはヘルメットを装着したが、その程度で不安は払拭されない。
「これ、吹っ飛ばされたりしないよね? 私を振り落としたりしない?!」
「するわけねーだろ。吹っ飛ばされたくなきゃ、しっかり掴まっとけって!」
「ひーーーーっ」
テッペイの後ろに座ったルリカは、これでもかとテッペイを抱きしめる。
「よし、行くぜー!」
「ゆっくり、ゆっくりだからね!!」
「ひゃっほーーーーぅ!」
「うぎゃーーーーーー、はやすぎぃぃいい!!」
ルリカの叫びは、バイクのエンジン音にかき消された。
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