15.じいちゃんの遺言
もう二度と、テッペイとは一緒にお風呂に入るまい。
そんな思いを抱えながら、好き放題されてしまった胸を押さえて、ゼーハーしながらお風呂を出た。
本当に嫌ならもっと真剣に怒ればいいというのに、それをしなかった自分にも非があるのだと反省をする。
自分の部屋でパジャマに着替えたルリカは、なにか飲もうと台所に戻ってきた。
そこにはやはり、水を飲んでいるテッペイの姿がある。なんだか顔を合わせづらいが、テッペイはそんなことを気にする男ではない。
「気持ちよかっただろ?」
平気でニヤニヤしながら聞いてくるのだから、返答にすごく困る。
「……全然」
「嘘つけ! 素直じゃねーな!」
「嘘じゃありませんーー!」
「じゃーエッチさせろよ! 感じさせてやるからよ!」
「ダメだっつってんでしょ、このバカ! ちょっと避けて、お茶飲みたいんだから!」
「くっそー、いつになったら本当にヤらせてくれんだよ……プレゼントまでしたっつーのに!」
この男のプレゼントは、本当にそれだけが目的だったらしい。ヤりたいだけだったのだと納得すると同時に、胸はしくんと痛んだ。
ちくしょう、と思いながら、ポットからお茶を注ぐ。
「あー、そういや明日、俺バイト休みだからさ。実家に帰るけど、ルリカも一緒に来るか?」
「え、テッペイの実家? ど、どうして私が?」
「いや、ネタになるかと思って」
少し勘違いしてしまったルリカは、動揺を悟られないようにお茶をゴクリと飲んだ。
「テッペイの家族かぁ……お兄さんいるんだよね? 結婚してるの?」
「いや、独身で家にいるぜ」
テッペイの家族。兄という存在。とても気になる。会ってみたいという好奇心が、緊張に勝った。
「じゃ、行く。でも、なにしに実家に行くの?」
「金せびりに」
「ほんっとサイテーだよね?!」
「仕方ねーじゃん、家賃は半分になったけど、バイト辞めた期間があるし、遊びすぎちまったんだからよ。半分はルリカのせいだ」
「ちょっと、人のせいにしないでくれる?!」
ルリカが怒るも、テッペイはニヤニヤ笑っているだけで。
からかわれているのだろうなと思うと、なぜか逆に嬉しくなってしまった。
翌日は、バスでテッペイの実家へと向かう。
テッペイの実家は鳥白市から少し離れた、沢谷町というところ。
バスに乗っている時間は四十分程度だったので、それほど遠くない印象だ。
沢谷町というところは、都会の喧騒はなりを潜ませ、のどかな畑が広がっていた。
バスから降りて少し歩くと、二階建ての家の前にやってきた。瓦葺きで、それほど大きくはないが、日本らしい家屋だ。玄関前にはかっこいい大型の黒いバイクが置いてある。
「ただいまー」
ガラッと扉を開けて、遠慮もなしに入っていくテッペイ。敷居が高かったので、ルリカは踏まないように気を付けて跨ぎながら中へと入る。
テッペイは玄関にペッペと靴を投げ捨て、そのまま上がろうとしたので、ルリカは必死に止めた。
テッペイは実家なのだから当然だが、ルリカは他人だ。家主の許可なく上がるのは抵抗がある。
「なんだよ、遠慮すんなって。行こうぜ」
「けど……ちょ、待って!」
許可なく上がるのも嫌だが、玄関に置き去りにされるのも嫌だ。
慌ててルリカも靴をそろえて、テッペイの後ろを追いかけた。
「金くれー」
二十六歳とは思えないセリフを吐きながら、テッペイは一つの襖を開ける。
そこには両親と思われる人物と、兄と思われる人物が寛いでいた。テッペイとルリカの突然の登場に、皆は目を大きく広げて驚いているようだ。
「鉄平?!」
「後ろのお嬢さんは……?!」
「いいから、金」
テッペイがそう言った瞬間、居間にいた三人は飛び上がり、ルリカの前に来るといきなり手をついて、頭をゴンっと勢いよく床にぶつけた。つまり、土下座である。
なんだなんだと思ううちに、三人は顔だけでルリカを見上げ。
「「うちの愚息が!」」
「俺の愚弟が!」
「「「なにか致しましたでしょうかーー!!」」」
と、再び三人は頭を床へと擦りつけた。
「……へ?」
いきなり土下座をされたルリカは意味がわからず、ぽかーんと足元の三人を見つめる。
「今すぐに渡せるお金は、十万ほどしかありません!!」
「は? あの??」
テッペイの父親という、ルリカよりも遥かに年が上の人物に頭を下げられるのだから、当然居心地は悪い。というより意味がわからない。
「お嬢さんの心の傷を考えると、こんなものでは済まないとはわかっております!」
「はあ?」
母親も、頭を床に擦りつけたまま声を上げ、土下座をやめる気配はなく。
「どうかどうか、裁判沙汰だけは、どうぞよしなに……!!」
「えっと……?」
ルリカが混乱していると、テッペイは怒ったように息を吐き出した。
「ったく、土下座なんかすんじゃねーよ! なんもやってねーっつーの!」
「え? そんなばかな」
「ホントなのか、鉄平」
「なにもしてない……本当になにもされていないのかい、お嬢さん!!」
ガバッと顔を上げて、すがるような顔で見つめてくる父親。その顔は、六十を超えていそうなロマンスグレーだったが、かなりの男前だ。
「あの、なにもされて……さ、されてません」
前日に胸を揉まれまくったことは、秘密にしておいた。おそらく、そういうことを心配していたのだろうと察して。
「ほ、本当に……? ああ、よかった! 成長したのね、テッペイ……!」
母親が歓喜の涙を流している。残念ながら、まったく成長してはいないのだが。
とにもかくにも、まずは自己紹介が先だろうと、ルリカは声をあげた。
「あの、初めまして、
そう自己紹介すると、なぜか一気に三人の顔が曇りを見せる。
「一緒に……暮らして……?」
「被害がないなんて信じられん……どうして……」
「まさか、鉄平がなにも言うなと脅迫を……」
どんどん青ざめていく家族に対して、テッペイも怒りが沸いてきたのだろう。機嫌の悪そうな声で叫んだ。
「なんもしてねーっつーの!! いいから金くれ! 十万円出せんだろ!」
「ちょっとどんだけ出させる気なのよ、このバカ!! ……あ」
テッペイのあまりの言い草に、ついいつもの調子で突っ込んでしまうルリカ。
やっちゃった、どうしようと思っていると、今度は一転、みんなの顔が輝き出した。
「素晴らしいお嬢さんだ!」
「鉄平にここまで言ってくださってありがとうございます!」
「これからも鉄平をよろしくお願いします!」
三人に囲まれて、まるで有名人にするように次々と握手されてしまった。
その顔は父親も母親も兄も、とんでもなく美形である。
「私、鉄平の父親の
「母の、いずみです」
「兄の
昭久といずみと仁が、丁寧に自己紹介をしてくれた。こんな人たちから、どうしてテッペイのような人間が生まれてきたのか、甚だ疑問である。
「父さん、俺、お寿司頼むよ」
「そうだな、それがいい!」
「理香ちゃん、お寿司大丈夫かしら?!」
「大丈夫ですけど、あの、お気遣いなく……」
「お、寿司ラッキー。ルリカ連れてきてよかったぜー」
ルリカがキッと睨んでも気にした様子もなく、テッペイはどこ吹く風だ。
この家族は、絶対にお金で苦労しているに違いないというのに。特に、この次男坊のせいで。
そんなこんなでガヤガヤしていると、奥の方からおじいさんが現れた。
「鉄平、帰っとったんかー」
「おー、じいちゃん、ただいま!」
唐突のじいさんの登場に、ギョッとしてルリカはテッペイを見上げる。
「あんた、おじいちゃん死んだって言ってなかった?!」
「言ってねえよ、遺言だって言っただけだっつの」
「遺言って、生きてるじゃん?!」
ちらとそのじいさんの方を確認すると、テッペイそっくりのいやらしい目つきで、ニヤニヤと笑っている。なんだか嫌な予感がして、ゾクリと身震いする。
「テッペイや、ようっく聞くんじゃぞ」
「なんだ、じいちゃん」
ふ、と不敵に笑ったかと思うと、このじいさんは。
「こんな活きのいいおなごは、足をひっつかんだら迷わず押し広げるんじゃ!! これはじじの遺言じゃあ!」
「わかってるぜ、じいちゃん!」
無念はないとばかりに叫ぶ老人に、それを聞いてサムズアップするテッペイ。
酸欠でくらぁっときた頭をどうにか耐えたが、このアホなやりとりはどうだ。
「ちょっとなに言ってんのー、あんたらーっ!」
「「「ほんっっとうに申し訳ありませんーー!!」」」
思わず突っ込んだルリカに対し、再び三人が綺麗な土下座を見せる。
今のでよくわかった。テッペイは……じいさん似だったということが。
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